第二百二十四章 混沌、イスラファン 6.ヤシュリク~イスラファン商業ギルド~【地図あり】
「ナイハルの金貸しどもは、自分たちが何をやったか解っとるのか!」
イスラファン商業ギルドの一室で憤激の声を上げているのは、ここヤシュリクに居を構えるベテラン商人のザイフェル老である。
「ベジン村の近くにダンジョンがあるなどと根も葉も無い事をほざきおって……そのせいで、ナイハルからヤシュリクへの街道は、めっきり閑古鳥が鳴いておるのだぞ!」
額に青筋を何本も浮かべて吼え立てるザイフェルであったが……彼が癇癪を回すのも無理はなかった。
嘗てシュレクのダンジョンによって粛清されたコール宜しく、自分たちもまたダンジョンの魔物だか怨霊だかに取り殺されるのではないかと――何の根拠も無く――怯えたナイハルの金貸したちが、保身のために当局を動かすべく、〝ベジン村の傍にダンジョンが発生した虞がある〟――などとぶち上げたばっかりに、ナイハル~ヤシュリク間の街道を通る者たちが激減したのである。
ザイフェルら商人にとっては身代と進退に関わる一大事なのであるが、ナイハルの金貸したちは――どちらかと言うとハデンやレンツの住人を相手にしている事もあって――ヤシュリクの事まで気が回らなかったようで、それがまたザイフェル老の血圧を上げていた。〝金貸しを名告っておきながら、金の流れも解らんのか!〟――という訳である。
「まぁ……今のところはそこまで大きな影響は無い訳だから……」
――と、ザイフェル老を宥めようとしたラージンであったが、それは火に油を注ぐが如き所業であったらしい。悪鬼の如き形相で振り返ったザイフェルに、
「ラージン! 貴様、解っておるのか!?」
――と、噛み付かれる羽目になった。
「ここヤシュリクは、イスラファンにおいて唯一とも言える東側への窓口なのだぞ!?」
――少し説明が必要であろう。
イスラファンとその東の隣国のイラストリアは、「神々の西回廊」と呼ばれる山脈によって隔てられているため、東の国へ向かう街道はヤシュリクの町を経由する街道しか無い。
貿易立国を標榜するイスラファンとて、海外との交易によって得た物品を購入してくれる国が無くては成り立たない。北隣のモルファンと南隣のアムルファンは、イスラファンと同様の交易国家であり、旨味のある商取引は望めない。取引相手として望ましいのは東隣の内陸国であるが、その内陸国イラストリアとのほぼ唯一の通商路が、根拠の怪しいダンジョン説によって脅かされようとしているのだ。これを国難と言わずして、何を国難と言うのか。
腹の立つ事に、イスラファンの隣国であるイラストリアは、このところノンヒュームが供給するあれこれの品々で、商取引における存在感を大いに増している。なのに、本来ならその恩恵を一番に受ける筈のイスラファンは、忌々しいダンジョンの噂のせいで商業流通に支障を来している。
「……ハデンで船を下りた商人たちの一部は、ダンジョンに出会う事を恐れてか、ナイハルへ進まずに南へ下ってアムルファンに入り、カファからソマリクに向かっているらしい。そこからここヤシュリクを訪れる者よりも、そのままテオドラムに入って、マルクトからヴァザーリに入っておる者が多いようだ。……アムルファンの商人どもは笑いが止まらんだろうが、イスラファンは閑古鳥の住処と化しておるわ。最近ではレンツに入る船の数まで減っておるという話だ」
憤懣遣る方無いといった表情で、ザイフェル老の長広舌は続く。
「……イスラファンからアムルファンに入るには関税が要る。イスラファン国内の街道を通ってヤシュリクを目指す者は、少なからぬ料金を支払って護衛を雇っておる。どちらにしても負担は大きい。……イスラファンに入国する限りは――な!」
対してアムルファンはソマリクからマルクトを経由してイラストリアへ向かうルートがあり、またモルファンはツーラからノーランドへ向かうルートを使う事ができる。
イスラファンとてイラストリアへ入国するのに不都合は無いのだが、肝心のヤシュリクと他の商都市の間の流通が停滞しているため、充分な交易品を掻き集める事ができないでいた。
幸か不幸か、目下のところイラストリアは――と言うよりノンヒュームたちは――国外に廻せる程に多くの商品を提供できないようで、本格的な交易は始まっていない。その意味ではイスラファンもまだ出遅れてはいないのだが……それがいつまで続くのかは予断を許さない。
「この上は一刻も早く、ベジン村とやらの近在にダンジョンなど無い事を証明せねばならん。全く……あの腐れ金貸しどもめが……」
「しかしザイフェル老、もしも本当に本当にダンジョンがあったら……」
〝どうするつもりだ?〟――とラージンが続けるより早く、
「ダンジョンなど無い! いいか、ダンジョンなどあってはならんのだ!!」
……ザイフェル老の咆哮が室内に谺したのであった。




