第二百二十四章 混沌、イスラファン 4.イスラファン国務会議~泥田坊の残響~
ヤルタ教教主がヤシュリクを、ハラド助祭がシュライフェンを、そして世間の目がベジン村の界隈を向いている時、別の場所に警戒の目を向けている者たちがいた。
他ならぬイスラファンの上層部であり、その目の向く先はナイハルからネジド村に至る範囲であった。
何でそんな事になっているのかというと……実は、クロウたちが生み出した「泥田坊」がその遠因であった。
ネジド村近くの街道脇にクロウが出現させた「泥田坊」――実はスケルトンとスライムの熱演の賜物――を目撃したナイハルの金貸しが、その場で神速の回れ右を決めて逃げ帰り、事の次第をナイハルの教会に懺悔して俗世を離れた事は既に述べた。
問題は、その報告内容を深読みして震え上がったナイハルの金貸したちが、我が身の可愛さにその懸念をイスラファンの上層部に上申した事であった。
曰く――〝ネジド村近くに現れた魔物の挙動は、嘗てテオドラムのダンジョン近くに現れた怨霊の挙動と似通った部分がある。ダンジョンが発生した可能性が捨てきれない〟
……役場の担当者が一笑に付して黙殺するには、このところあまりにもダンジョンの活動が活溌化し過ぎていた。
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「結局のところどうなのだ? 白か黒か?」
イスラファン王城の一室で内務卿と軍務卿が相談しているのは、ネジド村の近くに発生したかもしれない「ダンジョン」の件であった。
「現在判っているだけでは何とも言えん。ただ……ナイハルの金貸しどもの主張は、かなり無理があるような気がするな」
「無理……か?」
「うむ。抑だ、金貸しどもの主張する根拠というのは、ネジド村付近に現れたという化け物が、資産を奪われた事に対する怨み言を言っていた――という又聞きの報告でしかない。それを聞いたと言っているのは唯一人の金貸しだけだ」
「……それだけの事からダンジョン発生の可能性なんてものを捻り出すというのは……ある意味で稀有な才能ではないか?」
「芝居でも書いていた方が出世したかもしれんな。ただ、目撃者という金貸しの為人からすると、全くの出任せだとも思えん。……だからこそ、ナイハルの金貸しどもも震え上がったのだろうがな」
内務卿の説明を聞いた軍務卿は、ふむ――と小さく頷いて考え込んだ。
「……要するに、何かの魔物が出た事は恐らく確か。ただ、それをダンジョンと結び付けるには根拠が弱い。……そういう事か?」
「それがそう単純でもない」
訝るように片眉を上げた軍務卿に、苦笑いを浮かべた内務卿が説明する。
「ナイハルの金貸しどもの主張は根拠薄弱なものだが、ネジド村の近くに魔物が、それもこれまで確認されていない魔物が現れたのは事実らしい。そして……その魔物はそれきり姿を消している。……軍務卿として何か思うところは無いかね?」
「……ふむ。軍務卿として――と言うなら……〝その魔物はどこに消えたのか〟という点を問題にしたいな」
「そういう事だ。①これまで確認されていない魔物が突如として現れた。②その魔物は突如としてどこかに消えた。つまり、魔物が隠れ込むべき場所が突如として現れた。③このところ大陸各地で続々とダンジョンが発生している。……この三題噺のオチは何かと言うと?」
「……ダンジョン……という事になる訳か……」
穏やかならざる帰結ではある。
「もう一つ。魔物が突如として現れ、突如として消えたという点だけを見るならば、似たような事例が最近確認されている。……マナステラにあるダンジョンでね」
「……何だと?」
内務卿が説明した「百魔の洞窟」のスタンピード(仮)の顛末は、軍務卿にとっても意外な話であったらしい。だが、そこまで話を広げるというなら……
「そう。ベジン村やガット村で起きたという怪異騒ぎ、それとの類似にも目を向けねばならん」
「むぅ……」
「無論、ダンジョンだと決まった訳ではないし、頭から決めてかかるのも問題だ。とは言え――」
「事ここに至っては、現地に人を遣って確かめさせるしかないか……」
ネジド村……すなわちクロウが「隠者の洞窟」という正真正銘のダンジョンを設置した場所の近くに、イスラファン王国が調査隊を派遣しようとしていた。




