第二百二十四章 混沌、イスラファン 3.ヤシュリク~ハラド助祭の迷走~(その3)【地図あり】
「……ベジン村で目撃されたという『鬼火』と、伝道士たちのベジン村訪問の順序が前後しているのが気になるが……聴き取りのミスか? ……いや、件の『鬼火』は陽動ではなかったという事か? 伝道士たちの報告にあったように、単に村人が精霊を見間違えただけなのかもしれん。……だとすると、バトラの使徒どももさぞや焦った事だろうな」
その焦りがあれほど大仕掛けな怪異騒ぎになったのだとしたら、これは或る意味で痛快な話だ――などと、独り納得して悦に入っていたりする。思い込みと誤解もここまで来れば立派である。
そして――助祭の思考は更なる愉快な迷走を始める。
「『迷い家』と『シェイカー』が商人どもに対する陽動だとすると……問題は、陽動を仕掛けられた商人たちが一体何を企んでいたのか――という事になるな」
商人に対する陽動だとしたら、「迷い家」や「シェイカー」は寧ろ適切な選択だろう。場所がイスラファンとは隔たっているのが気になるが、イスラファンがアムルファンかヴォルダバンと組んで何かを画策していたとするなら、この配置もそうおかしくはない。アムルファンかヴォルダバンの調査も重要だと進言してみるべきか。
しかし、今はそれより先に考えるべき事がある。
「……仮に『迷い家』と『シェイカー』が商人どもに対する陽動で、スタンピード擬きがイラストリアに対する陽動だとすると、ベジン村での一件は……」
――「何」から目を逸らせようとしているのか。要点はこれに尽きるだろう。
「教主様は、ヤシュリクに『バトラの使徒』どもの拠点があるのだろうと仰せだったが……いや待て……そうすると、おかしな事にならんか?」
「バトラの使徒」は、イスラファンの商人たちがノンヒュームの事を探ろうと動いた時に、「迷い家」と「シェイカー」という大仕掛けな陽動を繰り出している。つまりはそれだけ商人どもを警戒しているという事だ。
なのに、ヤシュリクから目と鼻の先とも言えるベジン村で事を起こすというのは……
「……首尾好く商人どもの目をベジン村に引き付けられれば好いが、もしも陽動だと見抜かれた場合には……」
ヤシュリクに土地鑑のある、そして抜け目の無い商人たちの目を、逆にヤシュリクに引き付ける事になる。そんな危険を冒すだろうか? 寧ろヤシュリクとベジン村は、怪異が現れては消え去ったというガット村とネジド村も含めて、同じ陽動の一環と見なすべきではないのか? だとすれば、ここまでの陽動をかけてでも目を逸らせたいものとは……
「……『船喰み島』か?」
ベジン村で怪異が始まる少し前に、正体の知れぬ何者かが「船喰み島」の事を嗅ぎ廻っていたという。それに対する陽動だとすれば……
「……いや、その解釈にも無理がある」
レンツで「船喰み島」の事を嗅ぎ廻っていた何者かは、どうやら島の調査を終えて引き上げていったらしい。上手くやり過ごした後になって、態とらしく陽動など仕掛けるのは逆効果だろう。
「寧ろ……『船喰み島』までが一連の……遠大な陽動と考えるべきなのか?」
だとしたら、「バトラの手先」は我々の目を、イスラファンの南部……殊に南東部に引き付けておきたいと考えている事になる。そうすると、彼奴らの本命はイスラファン南東部とは対極の位置にあり、これまで話題にも上っていない場所……
「……シュライフェンか?」




