第二百二十四章 混沌、イスラファン 2.ヤシュリク~ハラド助祭の迷走~(その2)
「……ベジン村での騒ぎが我々の伝道士に対する陽動なら……ヤシュリクに現れたイラストリアの密偵に対しても、何かの陽動が行なわれたのではないのか?」
改めて手許の資料を引っ繰り返したハラドは、陽動という観点から、先程の一覧表に幾つかの事柄を書き加えた。
・1月 ヤシュリク 商人たちが協議。議題は恐らくイラストリアの新年祭。
商人たちがエルフやドワーフの動きを探る。
・5月 ヴォルダバン アバンの廃村で「迷い家」が確認される。
・6月 ヴォルダバン テオドラムとの国境付近で「シェイカー」が活動。
ヤシュリク イラストリアの密偵らしき者の姿が見かけられる。
・7月 ヤシュリク イスラファンの商人が会合。議題は恐らく「幻の革」。
商人たちが沿岸国の商業ギルドに働きかける。
マナステラ 「百魔の洞窟」でスタンピード騒ぎ。
ベジン村 村外れで鬼火が目撃される。
ヤルタ教の伝道士がベジン村を訪れる。
レンツ 密偵らしき何者かが「船喰み島」の事を探る。
・9月 ベジン村近辺 ベジン村発の数々の怪異が北上し、山へ入って消えた。
ちなみに、六月にはテオドラムとマーカスの国境付近に「誘いの湖」が出現したりもしているが、これはさすがに違うだろう。しかし、七月にマナステラで起きたというスタンピード擬きの話は、一応は疑ってかかるべきかもしれない……
「……いや……やはりこれは考え過ぎだろう。『バトラの使徒』は奇妙なスケルトンドラゴンを使役していると聞くが、幾ら何でもスタンピードまで引き起こせるというのは……況してそれを単なる陽動に用いるというのは勘繰り過ぎだ」
――クロウがスタンピードを引き起こせるのは事実だが、「百魔の洞窟」のスタンピード騒ぎがクロウの意図したものでないのも事実である。的中率は半々といったところか。
「……となると……『シェイカー』はともかく『迷い家』をここに加えるのも躊躇されるが……」
そうすると、ベジン村での「百鬼夜行」は含めるのに、アバンの「迷い家」は省くのかという話になる。取捨選択が恣意的に過ぎるだろう。更に言えば、「百魔の洞窟」のスタンピード騒ぎとて、明確にスタンピードと確認された訳ではないとも聞いた。
ハラドは改めて考え直し、マナステラでのスタンピード騒ぎも検討に含める事にした。
「そうすると……ふむ……イラストリアの密偵に対する陽動として考えられるのは、マナステラでのスタンピード騒ぎか。……成る程、なぜマナステラなのかと訝っていたが、イラストリアに対する陽動だというなら筋も通る。マナステラはイラストリアの隣国だし、このところイラストリアへの接近が取り沙汰されているからな」
ウンウンと心得顔に頷くハラド助祭であったが……とんでもない誤解である。クロウが聞いたら唖然とするだろう。
「となると……『迷い家』と『シェイカー』は……ふむ、商人どもの動きに対する陽動、もしくは牽制か……」
ヤルタ教の暗部で前線指揮官を任されているくらいだから、このハラド助祭も決して愚かな男ではない。ただしこの時は――まるで悪魔の悪戯か何かのように――条件が揃い過ぎていた。一連の不可解事の平仄がピタリと合った事で、この仮説は揺るぎないもののように思ってしまったのである。
そして――そういう大いなる予断を持って、問題の一覧表を眺めるのであれば……




