第二百二十三章 泥縄道路騒動 6.モルファン~ツーラ守備隊~(その1)
取り敢えず、地下のグーテンベルグ城を始めとして辺り一帯のダンジョン化とその隠蔽作業を済ませ、内部調査のために残った精霊たちを除いてクロウたちが帰還した後、ハンスたちは野営の準備に取りかかっていた。
ハンス本人の希望――グーテンベルグ城の所在こそ明らかになったが、同時に埋もれた城下町の調査など、興味深い課題はまだまだ残っている――という事もあるが、仮にも道楽貴族の歴史学徒を標榜している以上、あまりあっさりと撤退しては却って不自然だろうという判断もあった。
そんな感じで馬車――実際には移動型ダンジョン――を中心に野営の準備をしていたのだが……
「おぃ……お客さんのようだぜ?」
バートの警告する方向に目を遣ると、
「兵士のようだが……身を隠す風でもなく、堂々とこっちにやって来るな?」
「あぁ、急ぐ様子も無ぇ。……俺たちをどうこうしようって訳じゃねぇみてぇだな?」
そのまま油断せずに様子を見ていた一行であったが、
「あーっと……諸君はここで一体何を?」
些か決まり悪げな様子で、兵士風の者たちの方から声をかけてきた。
(「……こっちの素性を詮索する前に、自分たちが名告るのが礼儀だろうによ」)
(「そういう礼儀を知らないか、知っていても迂闊に名告れない立場なのかもな」)
(「いや、堂々と軍装でやって来た時点でそれは無いだろう」)
(「軍装そのものが贋物なのかもしんねぇぜ?」)
――などと後でヒソヒソ話をしているカイトたちの事など気にも留めない風で、兵士たちに応対するのはハンスである。一行の中で対人スキルが一番高いし、建前上も彼が雇い主という事になっている。ハンスが応対するのは必然であった。
「生憎と家名を名告る事を許されておりませんので、ハンスとだけ名告らせて戴きます」
――という一言で、自分が貴族の出である事と、素性の詮索が無意味である事に釘を刺す。後で見ているカイトたちが感心するほど鮮やかな手際であったが、感心するにはまだ早かったようだ。
「自分は歴史学徒を自認しておりまして、予てから名高いグーテンベルグ城趾を見学に訪れた次第ですが、何か問題でも?」
「あぁ、いや……問題という訳ではないのだが……」
筋の通ったハンスの、丁寧ながら些か切り口上の対応に、兵士らしき男も少々及び腰である。訳ありの貴族のお坊ちゃまなど、一介の兵士には荷が重過ぎる相手だろう。
「態々自分たちを誰何にいらしたという事は、何か不都合をお感じになったという事でしょう。それはこちらとしても不本意ですので、事情を教えて戴ければ、改めるべきところは改めますが……その軍装はここイスラファンのものではありませんよね? お見受けしたところモルファンの方のように思われますが……態々山を越えてこちらにお見えになる程の事が?」
柔やかに追及の論陣を張るハンスに、モルファンの兵士たちの顔も引き攣っている。
モルファンの兵士数名が、事前の通告も無しにイスラファン領内に越境したとあれば、これは下手をすると政治問題である。かと言って、力尽く憲兵尽くでどうこうできる相手とも思えない。もしもモルファンの兵士が、モルファンの軍装のままイスラファン領内で、民間人――と言うか貴族――に実力行使に及んだなどという事が明るみに出れば、大国モルファンと雖も拙い立場に置かれるのは必至である。
となれば、ここは事情を説明して納得してもらうしか無いのであるが……
「……失礼した。お察しのとおり自分たちはモルファン軍の所属で、ツーラの守備に当たっている者だ」
「ツーラ……イラストリアとの国境付近に置かれた要衝ですよね。それがなぜ、越境するような危険まで冒してここへ?」
ツーラの守備兵だと明かしても小揺るぎも見せないハンスの態度に、下士官らしき男も肚を括ったらしい。素直に自分たちの事情を説明した。
「はぁ……年明け早々に王家の方がイラストリアに留学……その警備のための事前視察ですか……」
「あぁ。イラストリア・モルファン・イスラファン三国の国境が交わるこの場所は、襲撃には持って来いの場所になる。無論、イラストリア側からも警備兵は出るだろうが、だからと言って自分たちが何もしない訳にもいかん」
道路整地の下検分がてら周辺の様子を見に来たところで、赤い崖の崖下に場違いな馬車が停まっており、しかも暢気に野営の準備など始めているのを目撃した――という事らしい。
この連中がテロリストの一味で下見に訪れたというなら見過ごす事はできないが、それにしては余りに堂々とし過ぎている。ならばイスラファン軍の下見かというと、馬車が軍用のものでなく一行も軍装でない事から、その可能性も却下される。軍人なら自分たちの所属を明らかにするものだし、諜報部や暗部なら抑目立つような真似をする筈が無い。イラストリアという線も、態々山を越えてイスラファン領内に入る必然性が無いという事から棄却される。
向こうは姿を隠す気は無いようだし、だったらこっちも堂々と誰何に赴けばいい。ついでに自分たちが山一つ向こうに布陣している事を示唆して、妙な真似をするなと釘を刺しておこう……というのが、ツーラ守備隊の考えであったようだ。
ただ、ハンスの方が一枚上手であったようで……
「それは心強い」
――と、心底嬉しそうな様子で言葉を返した。
「山一つ向こうとは言え、モルファンの兵隊さんが気にかけて下さるのなら、自分たちも安心して調査できるというものです」
尻尾を巻いて退散する気はさらさら無いようであった。




