第二百二十章 残響そこかしこ 5.教主、企む
そういった次第で、国情探索の命を受けたヤルタ教の伝道士たちがイスラファンへと潜入したのであるが……では、彼らがベジン村に現れたのは何故か?
イスラファンの主要都市を尻目にベジン村のような寒村に現れたというからには、さだめし強い理由があったのではないかと勘繰られそうだが……事実はと言えば何の事は無い。ヴァザーリから街道を西進してヤシュリクに入ったところ、そこでベジン村の噂――近くの入植地跡に人魂が出る――を聞いただけである。
テオドラムでもやったように、僻地の寒村で住民の不安を払ってやり、そこに拠点を築いて周囲に勢力を伸ばすのは、ヤルタ教の常套手段である。今回もそのプロトコルに従っただけだ。
「実際に魔物を呼び出した訳ではないのじゃな?」
教主直々の問いに、呼び出された責任者が答えて言うには――
「は、そこまで力のある者たちではありませぬ」
――そう、魔物を呼び出したりはしていない。もっと正確に言うのであれば、魔物を封じたりもしていない。
ベジン村の村人たちから話を聴き、恐らくは精霊か何かの弱い魔物が彷徨いているのだろうと状況を正確に推察して、〝鰯の頭も信心から〟――とばかりに弱めの結界を張っただけだ。
そんなものでも一応結界は結界、実際にも精霊程度の魔物なら嫌がって近寄らない程度の効果はあったのだが……クロウ一味が接近した時点で、そんな効果は雲散霧消していた。精霊たちが村に忍び込むのに、何の不都合も出なかったのである。
「抑の話、彼の地は以前からとかくの噂があった由。それを綺麗に棚に上げて、我らが原因であるが如くに吹聴されるのは心外というもの」
「うむ……」
――責任者氏が憤るのも無理はない。
今回ヤルタ教は完全な濡れ衣を着せられた訳だが、就中腹に据えかねるのが、騒ぎの発端となった入植地の件である。
彼の地を襲った悲劇は悲劇として、それはヤルタ教とは何の関係も無い。どちらかと言えば、現地の状況を能く調べもせずに入植者を送り込んだベジン村に責任の一端があるだろう。
なのにあの村の連中ときたら、それすらもヤルタ教に責があるかのように言い立てて、自分たちの咎を覆い隠そうとしている。腹の立つ事に、ガットとかいう村の連中までその尻馬に乗っかり、恐喝紛いの被害請求をしているのだという。ヤルタ教の悪評が広まるのは困る責任者氏は、何とか穏便に事を収めようとしているようだが、向こうはその足下を見るかの如く強気に出ているそうだ。これが憤らずにいられようか。彼の地に真実怨霊がいれば、今度こそ立腹して化けて出るに違い無い。
……という責任者氏の憤慨が解るだけに、教主も余計な事は言わない。部下の好感度を不必要に下げないのが、良い上司としての務めである。
だが、それはそれとして、今後の事については考えておく必要がある。教主はベジン村での顛末から連想して、エメン絡みでテオドラムの贋金の黒幕と疑われた時の事を思い出していた。あの時も我がヤルタ教は、根も葉も無い……ほとんど無い言い掛かりを付けられて、あわや国家転覆の濡れ衣を着せられそうになった……
(……状況が……と言うか、手口があまりにも似過ぎておる。……無関係と見過ごすのは愚かであろうな)
つまりは、これも「バトラの手先」めの仕業に違い無い。そこまでは教主でなくとも解るだろう。教主に解らないのはそこではなくて、
(……じゃが、偶々訪れただけの寒村での布教活動に、あそこまで激烈な反応を返してきた理由は何故なのか……?)
ヤルタ教と「バトラの手先」は嘗てイラストリアでも敵対したが、イラストリアではヤルタ教もそれなりの権勢を誇っていた。「バトラの手先」がヤルタ教を目障りと思う理由はあったのだ。
(じゃが……イスラファンでは事情が違う。聞けばベジン村とやらは、僻地の寒村に過ぎぬというではないか。訪れた伝道士も高々二人に過ぎぬ。彼の地に教会を建てた訳でもないというのに、ここまでの反応は納得がいかぬ。……何か理由があると考えるべきじゃな……)
――理由など判りきっている。
あの寒村の近くに「バトラの手先」めの拠点があり、わが使徒は偶然にもその内懐へ踏み込むような真似をした。それを危険に思った手先どもが、あのような過激な反応に走った。それ以外に説得力のある説明は無いではないか。
(彼奴らの本拠地はイスラファン、それも恐らくはヤシュリクであろう。ベジン村とやらに近い町と言えば、まずはヤシュリクであろうからの。労せずして敵の根拠地が判ったわけじゃ……)
これもヤルタの神の思し召しであろうか。いや、きっとそうに違い無い。
(手先どもめが、泡を喰って動いたのであろうが……手抜かりよな。〝上手の手から水が漏る〟――というやつか。色々と小癪な真似をしてくれたが、本拠地が判ればこちらのものよ。彼奴めらを片付けて掃除を終えれば、イスラファンは安泰の地となるではないか)
そうと判った以上は行動は、弥が上にも慎重にせねばならぬ。
「……ヤシュリクに人を入れよ。ただしヤルタ教としてではなく、飽くまで無関係な者を装うのじゃ。その上で密かに……念には念を入れて密かに、ヤシュリクの情勢を探らせよ。……彼の地は『バトラの手先』どもの巣窟となっておる虞がある」
「……は? ……は、はっ!」
「手先どもの悪行を曝き、良民たちの目を覚まさせる事ができれば、彼の地はヤルタ神の嘉したまう地となるであろう。そなたへの神の覚えも目出度くなる筈。心してかかるがよい」
「――ははっ!」
斯くして、平和な沿岸国であったイスラファンは、策謀の渦中に巻き込まれる事となったのであった。
――ちゃんちゃん♪




