第二百二十章 残響そこかしこ 3.ナイハル
「……決心は変わりませんか?」
「はい。思えば今まで罪深い人生を送って来ました。この上は罪の根源を全て捨て、信仰の道に生きようかと思います」
「財産を捨てるだけが信仰に至る道ではないのですが……いえ、止しましょう。貴方は貴方の信じる道をお行きなさい。神は必ずや貴方の信心を嘉し給うでしょう」
「ありがとうございます」
ここはナイハルの町の一教会。壮年の信者に授戒を終えた神官は、どこか割り切れぬ思いを拭えなかった。
(……彼は契約に厳しいところはあったが、阿漕な金貸しという評判は聞いた事が無い。入金の当てがあるというなら、返済期限を延ばしてやった事も一度ならずあった筈だ。……なのに……無数の亡者に祟られた? しかもネジド村の手前で?)
厳しいという評判は聞いてはいたが、あの金貸しを怨んで死んでいった者がいたという話は聞いた事が無い。彼はどこかで怨みを買っているのだろうと思い込んでいたようだが……抑、ネジド村で無念の死を遂げた者がそんなにいたか? 借金云々は別にしても。
(……ネジド村とは無関係な亡者が――という可能性もあるが……いや……だとしたら、なぜあの場所に現れた? 彼の後を追って――というなら、態々ネジド村まで待つ必要は無かった筈だし……抑、彼を怨んでいる死んだ者が大勢いるなどという話は聞いた事が無い。……大体、脅かされたぐらいで財産を寄進するような人情が残っている者が、そこまで人を踏みつけにするか?)
ベジン村からガット村、更にネジド村手前で起きた怪異の噂は、まだナイハルにまで届いていなかった。それもあってこの神官は、内心で首を捻るのであった。
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数日後、ベジン村に端を発する一連の怪異の噂話は、ナイハルの町にまで届いていた。そしてその噂を耳にした神官は、改めて頭を悩ます羽目になった。
(……ベジン村やガット村で起きた騒ぎは、飽くまで〝騒ぎ〟の範疇にある。怨みだの何だのという話は出なかったという。……なのに……ネジド村での泥人形だけが、恨み言を口にした……?)
――明らかにベジン村発の怪異とは毛色が違っている。……という事は……これはベジン村の怪異とは別件ではないのか?
ベジン村発百鬼夜行のせいで、他の怨霊妖怪までもが活性化された……と考えるなら、話の筋は通らないでもない。その場合、件の金貸しがネジド村を訪れたのはそれとは無関係な筈なので、彼が本来のターゲットではなかった可能性もある……いや、その可能性が高い……
これらを考慮すると……
・〝泥田坊〟はガット村起源の怪異とは別件であり、ゆえにまだ終熄していない。
・〝泥田坊〟が怨んでいるのは別の金貸しである可能性が高い……
そこまで考えた神官は、念のためにと町役人に自分の憶測を伝えたのであった。
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この推論に震え上がったのが、ナイハルにいる他の金貸したちである。
既に心穏やかな隠棲生活を送っている先の金貸しとは違い、彼らは依然として高利貸し稼業に邁進して、債務者から金を取り立てている。
――次に襲われるのは自分たちなのか?
「……ネジド村の辺りへ行かなければ大丈夫ではないのか?」
「いや……それは飽くまで『希望的観測』というやつに過ぎん。亡者どもが仇を探して、今この瞬間にもナイハルへ近寄っていないとは……誰にも言えん」
ナイハルはイスラファン南西部において古くから栄えた宿場町で、謂わば経済と物流の要衝であった。ゆえに、この町を拠点と定めた金貸しは多い。件の〝泥田坊〟が金貸しを怨んでいるのなら、まずナイハルに狙いを付けるだろう――というのは筋の通った推論であった。
そして更に、集まっていた金貸しの一人が、予想外の話を掘り起こす。
「……なぁ……コーリーの話を憶えてるか?」
「コーリー?」
「誰だそいつは?」
「いや、待ってくれ……思い出した。昨年テオドラムのダンジョン前で取り殺されたという……同業者だな?」
「何……だと?」
〝強欲な金貸しが怪物に襲われて取り殺された〟――という話の共通項から、「怨毒の廃坑」前で処刑されたコーリーの件が再浮上する事になったのである。
「……あれは……ダンジョンの仕業と思っていたが……違うのか……?」
「ダンジョンの前で殺されたからそう思っておったが……あやつが怨みを買った相手は人間じゃ。ダンジョンではない」
「うむ……」
ダンジョンとは無関係に、怨みを買った金貸しが怪物に取り殺されただけというなら、話の解釈は変わってくる。ついでに自分たちに迫る危険の評価も。
不幸中の幸いと言うのか、ここに集まっている金貸しの中には、テオドラム相手に奴隷売買をやらかした者はいなかった。ゆえにそっち方面からの怨みは買っていない筈。
とは言え、それは気休め程度にしかならない。不法奴隷の件を別にしても、怨みを買った憶えには不自由しない者が揃っているのだ。
「いや、待ってくれ……あのダンジョンに出たのは怨霊だという話ではなかったか?」
「ダンジョンの配下となった怨霊が怨み重なるコーリーを祟り殺すのに、主たるダンジョンが手を貸したのだと?」
「直接的にではないにせよ、そこにはダンジョンの意思があったと言うのだな?」
――これもまた筋の通った解釈であるし、付け加えるならば事実である。
ただ、この命題を推し進めた先にあるのは……
「まさか……あの辺りにダンジョンが現れたと言うのか!?」
――クロウにとって甚だ迷惑な結論であった。




