第二百十九章 ベジン村異変(笑) 4.ベジン村百鬼夜行(三の幕)
ベジン村の一角で八雲怪談そこのけの納涼芝居が繰り広げられている頃、他の一画ではまた別趣向の一幕が始まろうとしていた。
場面はここも霧の漂う夜の道。小急ぎに帰路を急ぐ村人Cの姿があった。
何しろ一昨日の一件以来、この村には不穏な空気が漂っている。さっきも不気味な鳥の声――人の声ではない筈だ――を耳にしたばかりだし……こんな日はさっさと家に帰って寝てしまうに限る。
そう焦って道を急いでいたところが……突然何かに躓いたかのように転んだ。……いや……躓いたと言うより、何かに〝足を取られた〟ような……
そう思って足許を見下ろした男Cの目に……地面から生えた手が、しっかりと自分の足首を掴んでいるのが見えた。
「――θ!≠∈◇⇔★~ゑ∬⊥~??£II――ッ!?」
これまた定番どおりの奇声を上げると、〝火事場の馬鹿力〟を体現したかのような勢いでその「手」を蹴り払い、這々の体で逃げ去ろうとしたところが――
「――っ!?」
何者かに襟首を掴まれたかと思うと、いきなり物凄い力で吊り上げられ、その直ぐ後に放り出された。幸い高さはそれ程でもなかったので、落下で怪我をする事は無かったが……怯えながら辺りを見回しても、自分を吊し上げた何者かの姿は無い……
――村人Cはものも言わずに駆け出した。
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『おぉ……こっちも予定どおりに動いてくれたか……この村の連中は素直で好いな』
妙な具合に感心しながら画面を眺めているのは、やはりと言うか、今度もまたクロウであった。種明かしは比較的簡単である。
まず、土魔法を使える者がタイミングを見計らって村人を転ばす。男は「手」に足首を掴まれて転んだと思っただろうが、実際の順番は少し違い、土塊を足首に纏わり付かせて転ばせた後に、土塊を「手」の形に成形したのである。こっちの方が楽で好い。
その後は、男Cがへたり込んでいる隙にマンションのハエトリグモが男の首筋に糸を絡め、滑車を使って持ち上げたのである。ちなみにハエトリグモは、この作戦参加に当たって「サルト」という名前を貰っている。ハエトリグモの学名――正確には科名――であるSalticidaeをもじったものである。
滑車で男一人を吊り上げるのは、さすがに掌大のハエトリグモ――ハエトリグモとしては異例に巨大――の手に余るという事で、その役目を買って出たのはネスであった。魔術で姿を隠せるのを良い事に、嬉々として名告りを上げたのである。
フェイカージャンパーの糸は尋常でなく強靱だが、それでも見えるか見えないかの糸一本で大の男を吊り上げるのは無理であったとみえて、糸は直後に切れる事になった。が、これは当初の予想どおりである。吊り上げっ放しでは、却って始末に困るというものだ。
その後は……決死の形相で自宅に駆け込んだ男は、隣近所への説明もそこそこに家に閉じ籠もり、幾ら呼びかけようとも決して出て来なかったのであった。
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ちなみに、この晩この村を襲った怪異はこれだけではない。
黄昏時に荷馬車を御して家へ戻ろうとしていた男Dにも、その災難が降りかかる事になった。
「――な、何だ? 今のは……?」
サルトの大仕掛けに嵌まった男Cの血も凍るような絶叫は、村の反対側にいて荷馬車を御していた男Dの耳にも届き、その不安を掻き立てる事になった。ただでさえ昨夜の一件で不安になっていたところへ、人のものとは思われぬ(笑)この叫び声である。男の不安と怯えが弥増したのも無理はない。思わず馬車を停めて耳を澄ますが、辺りはしんと静まり返っている。
「……気のせいか……?」
男Dは不安げに独り言ちると、改めて馬車を進める。
「まぁったく……昨夜からこっち、妙な事が続きやがる……」
独り言が多いのは不安の表れだろうか。年老いた愛馬に話しかけるように言葉を紡ぐが、勿論返事が返ってくる訳も無い。
「……やっぱりよ、あの集落跡に何か居着いてやがったのかな……? あっこじゃ昔人が大勢死んで、そっからは誰も住み着く者はいねぇんだが……」
『今もいるぞ』
「――!?」
耳許で嘲るかのように聞こえた小さな嗄れ声に思わず硬直し、怖々と辺りを見回すが……誰もいない。
「……空耳か……? まったく……怖い怖いと思ってると、聞こえる筈の無ぇもんが聞こえやがる……」
『今もいる――と言ったのだ。……ここにも、な』
……再び耳許で、しかし今度ははっきりと聞こえた嗄れ声に、男は人のものとは思われぬ(笑)絶叫を上げ、愛馬を駆けさせた。
言うまでも無く、これもまたエコーの音魔法――と言うか、腹話術――である。熊本は天草島に伝わる「油すまし」――或いは「油ずまし」――の怪談に想を得て、然したる手間も準備もかけずに半ばぶっつけ本番の形で試してみたのだが……
『……予想以上の反応だな……』
『見かけより小心者であったようでございますな』
『馬も気の毒に……』
――仕掛けたクロウたちも呆れるほどの効果があったのである。




