第二百十六章 革騒動~間奏~ 3.ヤルタ教天罰編(その2)
「何と……『幻の革』のマントが手に入ったとな?」
その報せを聞いた時、ヤルタ教教主ボッカ一世は自分の耳が信じられなかった。仄聞したところでは、クリムゾンバーンの革製品は「幻の革」と謂われる程に稀少なものだという。マントのような大物は、到底手に入るまいと諦めていたのだ。それを、この司祭はどういう手品を使ったものか、探し出してきたという。
「はい。心利きたる商人に探させましたるところ、どういう伝手を辿ったものか見つけ出して来まして……謹んで猊下に献上させて戴きます」
「うむうむ、大義であった。……そなたの厚き信仰心、必ずやヤルタの神も嘉し給うであろう」
「ははっ」
改めて目の前のマントに目を向ける教主。以前目にしたものよりも、赤い色がより鮮やかな気がする。これなら遠目にも映えるだろう。次の集会ではこれを身に着けて、信者の賛美を得たいものだ。
そして――悲喜劇はいよいよクライマックスを迎える。
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中央教会での説教の場に、上機嫌な教主が件のマントを纏って登場したのである。ざわつく信者の驚きの顔を見て、内心でふふんと得意げな教主であったが……信者たちの反応は、教主の期待とは些かずれたところにあった。
端的に言えば――ワイバーンの革というのは要するに爬虫類の皮であるので……遠目には教主が、頭を残して大蛇に呑まれているように見えたのだ。そりゃ、信者がざわつくのも道理である。
そんな事情も知らずに上機嫌な教主であったが、そこへこの日最大の見せ場が訪れる。
(……おぃ……何か教主様のお顔が……おかしくないか……?)
(……あぁ……何だか膨れ上がったような……いや、浮腫んでんのか?)
(顔色もおかしかねぇか? 何だか赤くなってらっしゃるような……)
(いや……ありゃ、マントの色が映ってんじゃねぇのか……?)
事ここに至って、漸く我が身に異変を感じた教主が口を開こうとするが、猛烈なクシャミと涙と鼻水に襲われる。言葉も発せず噎せ返る教主を見て、信者の不安と混乱は最高潮に達した。呪いだ祟りだ天罰だと騒ぎ出す信者たちを怒鳴り付け、司教や司祭たちが大慌てで幕を引き……教主が期待した大喝采でなく大混乱のうちに、この日の説教は幕を閉じた。
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「祟り」の正体はアレルギーである。
ワイバーンの革を染めるのに使われた染料が、教主の肌に合わなかったらしい。
――そう、件の小商人は手に入らないクリムゾンバーンの革の代わりに、ワイバーンの革を赤く染めたものを手配したのであった。
同じような事は既に誰かが試みていそうな気がするが……実は、ワイバーンの革は染料との相性が悪く、染めにくい事で有名であった。
そんな革を無理矢理染めるために、怪しげな薬やら魔術・錬金術まで動員して染め上げたらしい。兎に角染めさえすれば問題は無いとばかりに、それ以外の全てを無視して染色だけに注力したようだ。無論、健康への影響などは毫も考慮していない。
その結果案の定、染色作業に使った薬品におかしなものが含まれていたらしく、これが教主の蕁麻疹やらクシャミやら鼻水やらを引き起こしたのであった。
会場を埋め尽くす信者全員の目の前で。
――この話には後日談がある。
一つは、怒った教主がクリムゾンバーンの革を悪し様に罵ったのだが、他の愛用者には被害が無いため、却って教主の方が疑いの目で見られる結果になった事である。ちなみにマントはその後お蔵入りになったと聞く。
もう一つは、件の場面を目撃した信者たちから、ヤルタ教の教主が――教主だけが――クリムゾンバーンに祟られたという噂が広まった事である。
以後、ヤルタ教は不本意な噂の打ち消しに躍起とならざるを得ないのだが……それはまた別の話になる。




