第二百十六章 革騒動~間奏~ 1.ホルベック卿の悩み
このところホルベック卿は、自分は何か気付かぬうちに邪神の加護でも貰ったのだろうかと悩んでいた。
幸運か不運かと聞かれれば、間違い無く幸運な方だと言えるだろう。ただ、巡り合わせの悪さによって、幸運が途轍も無い災いの素に転じているだけだ。
何の話かというと、今や貴族社会の話題を――古酒に続いて――席捲しつつある「幻の革」の件である。
遡ればまだ「幻の革」が評判になる前の事、バンクスに居座っている末っ子が、珍しく贈りものを寄越したのが発端であった。
「ほぉ……あやつが父親に贈りものなど、槍でも降って来るかと思ったが……」
取り出してみれば気品ある赤い革の細工物である。
「ふぅむ……これは……染めたものではないのか?」
ホルベック卿もこれで一応は貴族であるから、宝飾品について一通りの目は持っている。その目で見る限りでは、市販品で能く見かける染色品とは一線を画しているようだ。後から染めたものではなく、最初からこういう色合いなのか? しかし、こういう色合いの皮を持つ動物などいただろうか?
気になった卿が手紙を読み進めると、どうやらクリムゾンバーンなるワイバーンの変種、その皮を加工したものらしい。なんでも非常に珍しいもので、クリムゾンバーン自体はともかく、その加工法は既に失伝しているという。
そんな貴重品をどこから入手したのか気になった卿が、なおも手紙を読み進めると、
「……ノンヒュームの冒険者が持ち込んだものじゃとな?」
この時胸裏に兆した一抹の不安、それをもう少し重視していれば、その後の展開は少し違っていたかもしれない。
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「ふむ……? 珍しくもビルのやつが何を送ってきたかと思えば……」
数日後、バンクスに居を構える旧友パートリッジ卿からの贈りものを手に取ったホルベック卿は、複雑な表情を浮かべていた。その手にあるのは気品ある赤い色の革細工。そう、愛息から贈られたのと同じ、クリムゾンバーンの革細工であった。まぁ、品物自体は違っていたが。
「……ビルのやつまでこれを送って寄越したところをみると……これは余程に珍しいものか?」
昆虫狂いの末っ子はともかく、旧友パートリッジ卿の見る目は確かだろう。その二人が揃って送ってきたところをみると、相応以上の値打ちものとみるべきか。
革製品には今一つ明るくないホルベック卿であったが、これなら夜会にでも持って行って披露しても問題は無いかと判断する。色合い風合い自体は気に入っているし。
何の疑いも抱かずに、それらを身に着けて社交の場に出てお披露目に至った訳なのであるが……その後の事はここに改めて記す必要も無いだろう。
――ノンヒュームたちが古酒に続いて幻の革を売りに出した。
――第一次販売分は既に売り切れて、次回分は入荷待ちだそうだ。
――王家が市販に待ったをかけて、次回以降の入荷を全て買い上げるそうだ。
――ノンヒュームたちの拠点があるエルギンでなら手に入らないか?
――そう言えば、エルギン男爵ホルベック卿は「幻の革」細工を幾つも所持して、常日頃からそれを持ち歩いているそうだ。
そして、無責任な噂はある一点に収束する。
――ホルベック卿なら「幻の革」を入手する伝手を持っているのではないか? いや、きっと持っているに違い無い。
斯くして、今度もまた卿の許に嘆願が殺到する事になるのであった。
「……そんな伝手など持っておらんと言っとるのに……」
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「そう言えばエルギンの領主、クリムゾンバーンの革がお気に召したようで、複数購入してご機嫌だという話だぞ」
「へぇ……んじゃ、追加でできた分の幾つかは、領主様へ献上するか」
「そうだな。普段から色々と骨を折ってもらっているのだ。これくらいしても、罰は当たるまい」
「だな。精霊術師様も普段から、人間たちと友誼を繋げって仰ってるしな」
――エルギン男爵ホルベック卿、彼が心の安寧を得る日はまだ先のようである。




