第二百十三章 名も知らぬ遠き土地より流れ着く……@船喰み島 5.試作(その1)
さて、一見すると菓子職人に喧嘩を売っているようにしか見えない挙に出たクロウであったが、彼には彼なりの思案があった。
(狙っているのはチョコレート、もしくはその代替品だが、ここにあるのは飽くまでローク豆……カカオ豆とは違う訳だしな。チョコレートの製法に囚われるのは愚策だろう)
目の前にあるローク豆は、地球のイナゴ豆に似たものらしい。だとすると抑の材料からして、カカオ豆とは大きく違う訳だから、そうまでチョコレートの製法に拘る必要は無いと判断していた。本質的な作業とその意味が解ってさえいれば、似たような加工はできる筈だ。あとは材料の性質次第で、それはクロウの責任ではない。
そんなお気楽な暴論の下に、ままよとばかりに錬金術の試用に踏み切ったのである。まずは素材の特性を知るべきと、とりあえず【鑑定】してみたのであるが……
(ふむ……やはり果肉の部分は、ココアやチョコレートの代用になるようだな。地球のイナゴ豆の果肉――確かキャロブとかいったな?――は、仄かにチョコレートを思わせるといった程度だと聞いたが……これはどうなんだ?)
試しにと細片を口に含んでみたクロウであったが、
(おぉ……こりゃ、カカオと然して変わらんのじゃないか? これならココアもチョコレートも何とかなるか。……しかし……)
この世界でもココアやチョコレートの味わいを、誰憚る事無く享受できそうだとなって、思わず悦に入りかけたクロウであったが、それはまだ早いと気を引き締め直す。
(……やはり、チョコにするには脂肪分が足りんな。ココアとして飲むんなら丁度好いくらいだが、甘味は絶対的に足らん。それと……牛乳の類は手に入るのか?)
ココアとして飲むにせよ、チョコレートに加工するにせよ、そこにミルクは必須である。嘗てオルメカやマヤ、アステカの貴人たちは、砂糖もミルクも入れずに唐辛子で味付けしたものを飲んでいたそうだが、クロウはその顰みに倣うつもりは露ほども無かった。カカオにはミルクと砂糖、これは絶対に譲れない。
『おぃ、ミルク……牛や山羊などの家畜の乳は、こっちでも手に入るのか?』
誰に言うともなく訊ねたクロウに、眷属や精霊たちは目を見合わせていたが……結論から言うと、入手は可能であるらしい。
この世界の人間たちの間では、未だミルクはバターやチーズの原料という認識に留まっているようであるが、獣人たちの間では――バターやチーズの原料とするのは無論であるが――ミルク自体を飲む習慣もあるという。
そんな獣人たちは、村でキャプラという家畜を飼育しているが、これが実に上質の乳を出すのだという。外見的には山羊に似て小さな動物であるし、生態的にも山羊に近いのであるが、そのミルクの質は――飲み較べてみた者の話では――山羊より寧ろ牛のそれに近いらしい。しかも授乳期間が長いので、通年でミルクを得る事も可能だという。
『ふむ……だとすれば……ローク豆の品質次第では、チョコもココアも実現は可能か……』
どうやらお膳立ては整っているようだ。ならば、あとは試作に進むだけ。材料の砂糖はオドラントからダンジョン転移で調達できるし、ミルクは……とりあえずはマンションにある牛乳を使えばいいだろう。キャプラのミルクは牛乳に近いそうだが、だとすると放置したらクリームとスキムミルクに分離するかもしれない。それはそれで都合の好いところもあるが、飲むとなると脂肪が分離しないようホモジナイズ処理をした方が好いかもしれない。
(……ま、その辺りは現物を見てからでいいだろう。とりあえずは試作だな)




