第二百十章 モルファンの動揺 7.着道楽たちの驚愕(その2)
そんな事情で草木染めの情報を掴んでいなかったらしい使節殿は、恐る恐るという口振りでホルベック卿に問いかけるが、その間も視線は奥方と令嬢――の衣装――に釘付けである。甚だしくマナーに反する事は承知しているが、これらの衣類の情報は完全に隠し球だった。何が何でも――情報を――祖国に持ち帰らねばならぬ。無礼だの何だのと言ってられるか。
一方、問われたホルベック卿の方は、こちらも何故か怖ず怖ずとした様子であった。それを見た使の脳裏にちらりと不審の念がかすめる。ノンヒュームの手によるものとは言え、これだけの品を入手できた事は誇ってもよいであろうに、なぜ気の進まぬ様子を見せているのだ?
しかし――そんな疑念も、ホルベック卿の返事によって吹っ飛んだ。
「いえ……これは少し前から、領内で試作しているもので……」
「……は……?」
一瞬理解が追い付かなかったらしき使節殿であったが、やがてその顔は驚愕の色に覆われる。これだけの品を、たかが男爵領の領民が作っていると言うのか!?
イラストリア王国の価値を一気に暴騰させかねない重大情報に、使節一行は茫然自失の体である。
一方ホルベック卿の方はと言えば、内心で頭を抱えて悪態を吐いていた。友禅染めがお気に入りなのは知っているが、何もこのタイミングで着てみせる事は無いではないか。妻も娘も何を考えているのか。
ホルベック卿の想いはそういうものであったが、妻子には妻子の言い分がある。こんな晴れ舞台を逃して、一体どこで着るというのだ。たかが男爵の妻子である自分たちには、噂に聞く王都の夜会などに参加する機会は無いのだ。今日この時こそが、神の与えたもうた千載一遇の好機ではないか。
……夫人と令嬢は、本気でそう思っていた。
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「……『草木染め』とやらがこれほどのものとは……」
ホルベック邸を辞したモルファンの使節一行は、ホルベック男爵夫人とその娘に見せられた草木染め――その中でも特に「友禅染」というものらしいが――の美しさと先進性に溜息を吐いていた。大国を自認しているモルファンであるが、遺憾ながらあれだけの品物を創り出すほどの技術力は持っていない。それも、ノンヒュームや学院の者たちが案出したというならまだしも、あれを創り出したのは僻地の一寒村だと言うではないか。
「……ノンヒュームの連絡会議に加えて、あれ程の品を創り出す村まで抱えているのか。……ここエルギンからも目が離せぬな」
「連絡員を残すか?」
「いや……そうしたいのは山々だが、エルギンにはイラストリアが駐在員を置いている。ここで我が国がしゃしゃり出て連絡員を残したりすれば、イラストリアの感情を逆撫でしかねん」
「やはり止めておいた方が良いか」
老獪なモルファンは、馬鹿正直にイラストリアを刺激するような手を打つつもりは無かった。目を配っておきたいのは事実であるが、
「――だな。別口で密かに潜入さておけば済む事だ」
「あぁ、焦らずじっくりと進めるべきであろう」
「どちらかと言えば、エッジ村の方を監視するべきかもしれんが……」
「そっちにはホルベック卿の手の者か、事によると王家の手の者が網を張っていよう。下手に動けば藪蛇になりかねん」
――そんな事は無い。
「現状では、エッジ村と直接に接触できる伝手も無いしな。エルギンを見張るぐらいが手頃か」
――という具合に、クロウの拠点にモルファンが食指を伸ばすが如き展開は避けられたのであった。
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「……そう言やぁモルファンの使節殿は、そろそろエルギンに着いた頃か?」
「日程を考えるとそうなりますね」
「あそこはノンヒュームたちの拠点だからなぁ……Ⅹが温和しくしててくれりゃあいいんだが」
「Ⅹが敢えてモルファンに手を出す理由は無いと思いますが?」
「だがよ、そんな甘い期待を悉く覆してみせたのが、Ⅹってやつだろうが」
「……最近ではⅩ本人も、想定外の事態に引き摺られているような気配もありますしね。……確かに、少し気になるところですか」




