第二百十章 モルファンの動揺 2.甘党たちの驚愕(その1)
さて、首尾好くイラストリアに留学の件を呑ませたモルファンの使節団であるが、そのままゾロゾロと回れ右してお終い――という訳にはいかなかった。
まず、使節団の一部――正式な身分は随行員――はこのままイラストリアに残留し、本国との連絡役に当たる事になっている。何しろ本国モルファンとイラストリアの距離は大きく、その都度人を派遣していては、情報の遅れは否めない。魔導通信機を持った連絡員を残しておくのが、モルファン・イラストリア双方のためである――という事で、イラストリアの了承も貰っている。
残りの者はなるべく早く帰国して、本国に詳細な報告を上げたいところであるが、焦って帰国したと思われて足下を見られるのも業腹なので、来た時と同じように、イラストリア国内では馬車を仕立てて帰る事にする。これが延々二週間。なので、あまりノンビリとしている時間は無いのであるが、それでも彼らには自分の目で確かめておくべき事があった。
「ほほぉ……これがノンヒュームの菓子店ですか……」
「えぇ。開店して彼此四ヶ月になるのですが……ご覧の通りの有様です」
イラストリアの役人に案内される形でモルファンの使節団が立ち寄ったのは、シアカスターにあるノンヒュームの菓子店こと、「コンフィズリー アンバー」であった。予てより各国で噂になっている菓子と菓子店をその目で確かめてこいという、上層部からの指示によるものであったが……彼らが訪れた「コンフィズリー アンバー」は、今日も今日とて菓子を求める客でごった返していた。
そして……辛抱強く順番を守って店に入った使節の目に入ったのは、綺羅星の如き砂糖菓子の数々であった。
(これは……予想以上の品揃えではないか……)
何しろモルファンとイラストリアの間は――色々な意味で――遠い。なので、菓子の情報は入って来ても、交流が盛んな訳でもなかったため、現物が入って来る事は少ない。……いや、正確に言うならば、モルファンの首都に辿り着く前に、途中で餓狼の如き国民に食い尽くされてしまうのである。僻地の住民にとっては、モルファン上層部のご威光よりも、目の前の甘味の方が重要であった。
なので、モルファンの中枢部にいればいるほど、菓子の情報が乏しくなるという事態に見舞われていたため、正確な情報と、できれば現物を入手してくるようにと厳命されていたのであるが……
(「おぃ……これだけ種類があると、全部を買って帰るというのは難しくないか?」)
(「うむ……見れば結構値が張るものもあるようだしな。……メロン丸ごとの砂糖漬けだと……?」)
評判の「ワタガシ」というものが置いてないらしいのが気になったが、今はここに置いてあるものを入手するのが先である。祖国との距離がある事を考えて、少しでも日保ちのするものを――という配慮から、店員に日保ちを確認した使節であったが、
「いえ、ここにある品は何れも、一月や二月は問題無く日保ちいたします。これらは元々保存食でございますので」
――という店員の説明を聞いて、心の底から仰天する事になった。たかが果物や野菜を保存するのに、砂糖を使うと言うのか!?
健全な価値観というものからすると、保存する中身よりも高価な保存料を使うなど、本末が転倒した話のように思える。
しかし――そこは彼らも海洋交易で名を馳せた、大国モルファンの民であった。長い航海の間に、脱力や鈍痛・歯肉からの出血や歯の脱落・傷が治りにくくなり、古傷が開いたりする――などの症状が船員たちに頻発し、酷い時には命を失うという事も、その予防に果物が効果があるという事も承知していた。
であるなら、その果物を保存するために砂糖を使うというのも、強ちおかしな話ではない。幾ら砂糖が高いとは言え、熟練の船乗りと引き換えにできるほどのものではない。
(これは……ある意味では、我ら航海民にとっての戦略物資ではないか……)
果物を保存するだけならば、マジックバッグのような便利な魔道具もあるが、何しろ保存するべき量が量である。保存の手段は多いに越した事は無い。砂糖漬け自体は自国でも生産できようが、それにしたところでお手本となるものは必要だ。資金の許す限り買って帰らねば……と力んでいた使節であったが、幾つかの事が気になった。
「この……四角い塊のようなものは? 白と黒と両方があるようだが?」
「あぁ。それも砂糖……白砂糖と黒砂糖でございます。四角く整形しておりますのは、その方が調理などに便利なためでして」
「便利!?」
「便利でございますよ?」
「いや……そうだな。……確かに便利だろう……」
使節が言いたかったのはそこではない。
使い易さ便利さを売り物にするほど、この国の民は、あるいはノンヒュームたちは、砂糖を日常的に使っているというのか?
頭がクラクラする思いの使節であったが、その間にも店員の説明は容赦無く続く。




