第二百十章 モルファンの動揺 1.使節派遣までの経緯
さて、クロウのやらかしたあれやこれやのせいでテオドラムが混乱するのに半月ほど先だって、北の大国モルファンでも動きがあった。ネタとなったのは、以前にも触れたが、イラストリアに留学させる王族を選定する一件である。
大国モルファンが他国に王族を留学させたという事なら、それは過去にも例がなかった訳ではない。ただ――隣国イラストリアがその留学先に選ばれた事は、意外な事に一度も無かったのである。遠交近攻が世の常であるこの世界に於いて、不用意に隣国と誼を通じる事は、地域に不安定化の種を蒔きかねない――という情勢判断もあったし、何よりイラストリアがモルファンを――当のモルファンには何の他心も無かったのだが――警戒していた。
そんなこんなの事情から、今までイラストリアに対しては儀礼的以外の交流を持ちかける事は控えていたのだが……最早そんな悠長な事を言っていられる状況ではなくなったのである。
「何しろビールに始まって、砂糖菓子やら古酒やら幻の革やら……今や彼の国は騒ぎの渦中にある……と言うか、盛大に大渦を生み出しておるからな」
「幸か不幸か、あの国の存在感は嘗て無かったほどに高まっている。我が国が誼を求めても、怪しまれる事も警戒される事も無いだろう」
「何としてもイラストリア……正確にはあの国に住まうノンヒュームたちとの間に伝手を求めて、件の品々を輸入できるように取り計らわんと……」
「マナステラや、沿岸諸国の商業ギルドも動いているというからな。我が国が後れを取る訳にはいかん。……国内の貴族どもも煩いからな」
「全く……国内にノンヒュームがおらぬ事を、今ほど怨みに思った事は無いぞ」
――そう。大国モルファンの唯一とも言ってよい瑕疵。それは、気候条件の為せる業か、国内にエルフも獣人も、ほとんどいないという事であった。そのせいで、ノンヒュームたちの連絡会議に直接話を通す事が、難しくなっていたのである。
そういう事情を抱えたモルファンが打った手が、連絡会議の事務所を抱えるイラストリアへの王族の留学となった訳だが……案の定、その選定は難航……と言うか、紛糾した。常時展開中(笑)の勢力争いとはまた別次元の争いが、其処彼処の水面下で繰り広げられる事になったのである。
喧々囂々・侃々諤々・七転八倒の論議の末に、イラストリアの第一王子(十歳)と年が近いという事で、第三王女が派遣される事に決まった。いささかあざといのではないかという意見もあったが、イラストリアの第二王子――着ぐるみパジャマの件で一気に脚光を浴びた――はまだ七歳であり、留学に託けて誼を通じるには少々幼過ぎる。第一王女というターゲットもいないではなかったのであるが、この世界では王族の女子は学園になど通わず、王宮内で教育を受ける事が多いため、留学を通じて誼を深めようと目論むモルファンにとっては都合が悪い。消去法で第一王子という事になったのである。
「……余計な気を回さぬよう、また、回させぬよう、充分に配慮する必要があるだろうが……」
「婚姻を通じてイラストリアの乗っ取りを企んでいる……などと疑われでもしたら、目も当てられぬからな」
イラストリアとの仲に余計な軋みを生じさせたくないモルファン上層部は、隣国への配慮に頭を痛める事となっていた。
「――で、イラストリアに派遣した使節だが……何人かの者は残すのだよな?」
「あぁ。先方からも了承を貰っている。魔導通信機で即時の連絡ができるようにしておかんと、彼の国はここから遠いからな」
モルファンの使節がイラストリアに赴くのに、実に十七日を要している。
飛竜を使えばもっと速く、五日もあれば到達できるのであるが……
「まさか隣国の首都に、いきなり飛竜で乗り付ける訳にもいかんからな」
「うむ。刺激するのは控えた方が良い」
飛竜自体は飛竜便として民間ベースの運送にも――高価ではあるが――使われているのだが、同時に飛竜は軍用にも使われている。いきなりイラストリアの空にモルファンの飛竜が舞うような真似をすれば、要らぬ警戒を抱かせるだけだ。
という事で今回の使節は、国境までは飛竜に乗って飛んで行ったものの、そこから先は馬車で延々二週間をかけて王都まで辿り着いたのだ。まぁ、そこまでの配慮をした甲斐あって、イラストリアからは――半ば戸惑ってはいたようだが、それでも一応は――好意的に迎えられたのであった。
――モルファンの動揺はここから始まる。




