挿 話 クレヴァスの一日~あるスキンクの視点から~
百話目は挿話になりました。クレヴァスでの平穏な一日の紹介です。
岩の割れ目から朝日が射すと、日射しを受けた一角に暖かな温もりが充ちてゆく。小さな生きものは寝床にしている窪みから出てくると、暖かな温もりの中へ身を移して身体を温める。いつも通りの一日が始まろうとしている。いつも通りの平穏な一日が。
あの時から。
あの時、敬愛する主人が自分たちを救ってくれてから。
ここは自分たちにとっての、いや、か弱い小さな生きものたち皆にとっての楽園となった。
小さな生きものは、その日の事を思い返していた。
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いい具合に身体が温まった生きものは、奥にある水場へと向かう。この水場を作って下さったのもご主人様だ。お蔭で渇きとは縁を切る事ができた。
数匹のスライムが、いつものように水場の傍にいる。スライムはそもそも水場を好むし、それと同時に、水を汚す可能性のあるゴミなどを掃除する役割も受け持っている。そのお蔭でいつも綺麗な水にありつく事ができる。これもご主人様のご指示だ。
小さなスキンクはスライムたちに挨拶すると、美味い水を飲んで渇きを癒した。以前は種族の違う者に挨拶するなど考えもしなかったのにと、ふと可笑しくなる。挨拶しなかった昔を可笑しいと思うのか、当たり前のように挨拶を交わす今を可笑しいと思っているのか、それはスキンクにも判らなかった。ただ、可笑しいと思える今の生活を愉快に感じていた。
クレヴァス――ご主人様たちはここの事をそう呼ぶ――の奥に行くと、隅の食事台に置いてある食べ物――固形飼料というらしい――を口に含む。硬くて歯ごたえはあるが、嫌いな味じゃない。何より、この食物を食べるようになってからというもの、身体の調子が頗る好い。いや、好いどころじゃなく、分不相応なまでの魔力を得て、火魔法を使えるようになった。一足早くご主人様の従魔となったキーンの兄貴には及ばないが、少しはご主人様のお役に立てていると思う。一方で、まだご主人様のご恩に報いるほどの事はしていないとも感じている。
食糧は常に用意してあるし、ダンジョンコアに頼めば他の食物も手に入る。かつてのようにがっつく必要はない。
小腹も充ちたので、クレヴァスの外へと出て行く事にする。中に引き籠もってばかりだと不健康なんだそうだ。ご主人様の仰る事だから間違いはない。
割れ目の外には小さいながらも緑の茂みがある。泉から外に流れ出た水が小さな流れとなり、やがて地中に吸い込まれるまでの範囲に緑を呼び込んだ。狭い範囲だが水場となり、草や虫などの命を繋ぐのに役立っている。尤も、ごく小さな水場なので、旅の人間や、あるいは自分たちを狙うイタチやオオカミなどを引き寄せるほどではない。まぁ、今の自分なら、オオカミなどは簡単にあしらえるが。
小さな虫が目についた。昔なら躊躇無く餌にしていただろうが、今はそんな気にならない。ご主人様の従魔ではないがこの虫も同じ楽園に住む仲間だと感じる。でも、時々草の葉を囓るくらいはいいよな? この辺りの土は仲間が土魔法で育てたんだし、これくらいは家賃の範囲だよな?
クレヴァスの外にあるのは水場と茂みだけじゃない。クレヴァスの外でも自分たちが安全に過ごせるようにと、ご主人様は小さな隠れ場を幾つも作って下さった。ダンジョンマジックとかいう魔法をお使いになったので、たとえドラゴンがやってきても隠れ場が蹴散らされる事はない。不意の事態が起こっても身の安全を確保する事はできる。だから安心して外へ出る事ができる。
クレヴァスからネズミのような生きものが何匹か出てきた。小さいけど、あれでもケイブラットというモンスターなんだそうだ。比較的最近になって召喚されたモンスターで、ダンジョンコアの眼となって、周囲の警戒を受け持っている。ハイファさん――の分身――が菌糸を伸ばして常時外を警戒してくれているけど、緑が少ない今はまだ警戒範囲が狭いので、ケイブラットが穴埋めをしている。緑を増やすためには、土魔法持ちの仲間が頑張っている。ご主人様のご指示通りに、地中の深い場所に水を通さない層をつくる事で、地中にしみ込んだ水が効率的に乾いた土を潤していく。やがてクレヴァスを中心に緑の範囲が広がるんだろうが、ご主人様の仰るにはそれは拙いんだそうだ。クレヴァスが目立つのはよくないとかで。だから不透水層は――細い水路で繋がってはいるが――飛び石状につくって、緑を島状に増やしていく予定だ。ご主人様はクレヴァスの外にも泉をつくる事も考えておいでのようだ。自分としてはどちらでもいいと思っている。ご主人様に言われたとおりの仕事をこなすだけだ。
ケイブラットが何かを咥えて戻って来た。弱ったスレイターのようだ。また、新たな仲間がここに加わるんだろう。自分は周囲の警戒と観察を続ける。何か変化があれば、たとえ小さな事でもダンジョンコアに報告する事になっている。そこから先の判断はコアの仕事だ。
何気なく周囲を見回すと違和感があった。注意して見直すと、一ヵ所の土が僅かに動いた。
……いや、あれは土じゃない。土に似せた何かだ。
一応念話――これもご主人様の従魔になってから得たスキルだ――で仲間たちに報告して、いつでも火魔法を放てる準備をした上で、ゆっくりと近づく。
違和感の正体はずんぐりした体型の小さな――といっても、胴体の長さは自分と同じくらいはあるんだが――トカゲだった。身体の表面は地表の色に似せた刺のような突起に覆われている。自分たちとは違う種族だが、腹を空かせて弱っているようだ。敵意がない事を確認して、クレヴァスへ連れて行く。こいつも新しい仲間になるんだろう。
そろそろ日が暮れて寒くなってきたので、クレヴァスに戻る。夜間の警戒は引き続きハイファさんと、ケイブラットと交代したケイブバットが受け持つ事になっている。少し小腹が空いたので軽く食事をとって、いつものようにご主人様に感謝を捧げてから眠りにつく。
明日もいい日でありますように。
もう一話、挿話を投稿します。




