【閑話】ある勇者の話
閑話のくせに長い
目覚めれば鮮やかな栗毛色の髪に中々の顔立ちのまだ少女と呼べるであろう年齢の娘が彼を覗き込んでいた。
「あ!起きました!
起きましたよー!主様ー!」
そう言うと、パタパタと元気に足音を立てて少女はどこかへと駆け出してしまった。
彼の名前はジュリオ・ロトロ。神王国軍に勤めている。従軍してもう二十年に差し掛かろうかというベテランだ。
そんな彼は非常に困惑していた。
大の字に寝かされ、肢体を台に拘束されているからだ。
美少女と拘束された自らの体、ミスマッチにも思える組み合わせに彼が思い付いたのは、いかがわしいお店だった。
彼はそういう性癖なのだ。この謎の状況に少し興奮を覚えていた。
謎の状況下で謎の美少女に謎の事をしてもらう。もう彼の頭の中はいかがわしい事でいっぱいだった。
とはいえ彼も軍人である。
この異常事態に冷静になりつつあった。
(どこだここは?
えっとたしか昨日いかがわしいお店から出て帰路についている所までは思い出せるな。
そうだ、いつも通り家までの最短ルートを行こうと裏路地に入ったんだ。入った後からの記憶がない。
襲われて連れられたってとこか)
彼は平兵士では無い。
口の堅さと優秀さを買われ尋問官に任命されている。
しかし尋問とは名ばかりで、実際に行われているのはただの拷問にすぎない。
それ故、恨みを買う心当たりはいくらでもある。
彼はどの組織だろうかと思案しながら、魔力による身体強化を施し拘束を破壊しようと試みる。
結果、びくともしない。彼の身体強化は下手ではない、むしろ上手い方の部類に入るだろう。それにも関わらず壊れるどころか少しも動く気配すらない。
彼を拘束しているのは貴重な金属を惜し気もなく使った、とにかく頑丈な拘束具だ。常人ならばどうする事もできない。
早々に諦めた彼はどこの誰が彼を拐ったのか考えることだけに専念し始めた。
(先日脱走した殺人犯か?
いやあいつは単独犯だ。いまいち会話も成立していなかったし、恐らく仲間はいないだろう。
なら勢い余って殺しちまったギャングの仲間による報復か?
個人的な私怨の可能性もあるか。
だとすればジャックとかいうやつか?
上手く揉み消したつもりだがあいつの息子を轢き殺しちまったのが、どこからかバレたのかも知れねぇ。
クソ、心当たりが多すぎる。
もっと真っ当な人生を歩むべきだったのかもな。
どこで間違えちまったんだろう。
あークソ、死にたくねぇ)
彼の思いとは裏腹に、現実は彼の予想の上を行く。
ガチャリとドアの開く音がする。
誰かが彼が拘束されているこの部屋に入って来たのだ。
ドアは彼の頭頂の方向に位置しているため、首まで拘束されたジュリオには左右を見るのが精一杯で、誰が入ってきたのか見ることはできない。
コツ、コツと音を立てて一歩づつ近づいて行く。
「やあ、久し振りー。
元気してた?
あ、私の事覚えてるよね?」
そう言うと同時に主様と呼ばれていた男がジュリオを覗き込む。
ジュリオは驚愕した。
(忘れるわけがない。
人類史に名を残す大罪人。
七日七晩の拷問の末、処刑前に逃亡した俺が担当した拷問の中で一番のビックネーム!)
「お前は、勇者ガァッ!」
ジュリオが言葉を発するや否や、音もなく忍び寄った灰色の髪の少女が彼の口の中へ拳を突っ込む。
「主様をお前呼ばわりするとは…良い度胸だ…
この舌を切り裂いて…二度と無礼な言葉を発せられなくしてやろうか…」
灰色の髪の少女がそう言った。
彼女の名前はルーパ、栗毛色の髪の少女と同様に美少女だ。
街で彼女の容姿についで聞けば十人中九人は美人だと答えるたろう。
実際恥ずかしがる彼女を無理矢理連れ、本人の前でアンケートを集計したので間違い無い。
因みにアンケートを実施したのはルーパが主様と呼ぶ隣の男だ。なんというセクハラ上司であろうか。
そして再び栗毛色の髪の少女も遅れてこの部屋にやって来た。
ルーパとは異なりパタパタと騒がしく足音を立ててだが。
彼女の名前はティグレ。
ティグレの容姿についても十人に聞けば五人が美人、五人が可愛いと回答するだろう。
こうして二人並んでみると二人とも美人であるが、ティグレの方が可愛い系だ。
愛嬌があり、仲間からの信頼も厚い。
「ルーパ、私はこの男から謝罪を聞きたいんだ。
懺悔を聞きたいんだ。だからまだ駄目だ。
それと私はガァッなんて名前じゃないからな」
主様と呼ばれる男がそう言う。
その顔はどことなく悲しそうに見えるが、何も思っていないようにも見える。
ジュリオは困惑していた。
(こいつは何を言ってやがる。
懺悔するのはお前の方だ。
お前は膝ま付いて神の前で処刑されなきゃいけないんだ。
裏切りの勇者め、罪人ごときが調子のりやがって)
ティグレがピクリと反応する。
「主様!こいつ主様が国を追われた真実を知らないみたいだよ!
教え無くていいの!?」
「あーやっぱし?
ロトロ君、下っ端の部類だしね。
でも説明いらないでしょ。どうせ信じないだろうし」
男はどこからか取り出した刃物をクルクル回しながら、そう言った。
「はっ!何が真実だ!
どうせ、そこの二人には嘘をついて騙してるんだろ!
自分の都合の良いように事実を捻じ曲げてな!」
ジュリオは感情任せに言いたい事を言った。
下っ端と言われたのが彼の自尊心を傷つけたのだ。
確かに系統図では下っ端にあたるが、それはジュリオの部署が特殊で、昇進しづらいからである。
給金としては普通より多く貰えている。
ただあまり日の光を浴びない役職なので人気はない。
当然彼はこの事を理解している。給金は殆どの同期より多い、選ばれた者にしかできない仕事だとずっと自らに言い聞かせている。
だが同期たちが戦勝パレードに顔を並べ、歓声を浴びる姿を見ると、羨ましいとか本来なら俺も並んでいるはずだとか、ある種の劣等感を胸に抱いていた。
彼は自尊心の塊だった。
ティグレに心を読まれた事すら忘れる程に、この事がコンプレックスだった。
男がニヒルに笑う。
男も良い顔立ちである。見る人によっては素敵だと思うであろうその笑みも、ジュリオにとっては生理的に嫌悪感を覚えるだけであった。
「おうおう、威勢が良いね。
じゃあ始めようか。
ルーパ、持ってきて」
手元のナイフが光る。
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
カチャカチャ
と、音が部屋に響く。
「な、何をしている」
カタッ
ジュリオの問いかけをしかとして三人は続ける。
「ルーパ!それ取って!」
「ん…」
「ありがとう!」
ジュリオはこれから拷問が始まると思っていた。
いつも誰かにしていた。それだけにいつか報いを受けるのだろうと覚悟はしていた。だが一向に始まる気配がない。
それどころか拷問と全く関係の無い行為をしているように見える。
当惑。
彼の状態はこの一言に尽きるだろう。
(何だ、何なんだこいつら!
なんで飯を食っていやがる!?
こっちは拘束されてんだぞ!)
ジュ…
「あっつ!」
三人はルーパが持って来た卓袱台で昼食を摂っていた。
男の手元にあったナイフはただの包丁の替わりだった。
ナイフで肉塊を薄く、長く切り、熱した水に晒している。所謂しゃぶしゃぶだ。
因みに本来この世界にしゃぶしゃぶは無い。この男が持ち込んだのだ。
「おい!質問に答えろ!
何で食ってやがる!」
「うるせーな、子供がまだ食ってる途中でしょうが!」
某作品を彷彿させる返答をする男。
予想を上回る返答に面を食らうジュリオ。
「ごちそうさまでした…」
「ごちそうさまでした!」
突然ルーパとティグレがこの世界に無いはずの挨拶をする。
「はい、お粗末様でした。
足りた?」
「はい!主様!
お腹いっぱいです!」
「同じく…」
「よし、それじゃあ拷問始めるよ。
ロトロ君も待ちきれないようだし」
ジュリオの心拍数がはね上がる。
「あの…主様…
どうしても…やるのでしょうか…?」
男の呼び掛けにルーパが問い掛ける。
ジュリオにとっては一筋の光が射し込んだように思えた。
すぐに希望でも何でも無いとわかるのだが、それでもすがってしまうのは人の性なのだろうか。
「わかるよ。悲しい事だ。
でもこいつは私の爪を剥がしたんだ。全部剥がされた。
そして聖魔法で爪を再生させて、再び剥がした。
歯も眼球も膓も抜かれた。癒されてまた抜かれた。
骨は折られ、鼻は削がれて、皮は剥がれされて、
繰り返しだ。
私だって本当はやりたくないんだ。
誰かが苦しむ顔なんて見たくない。
でも仕方無いだろう?
世界が私をこうさせるんだ」
男は顔を附せ、嘆くような声色で
笑っていた。
「主様…
あなたは…そう言うのですね…
私は…主様が何を思おうと着いていきます…」
「私も!誓います!」
二人の決意を表す言葉に男は何かを諦めるかのように、少し苦笑いをした。
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
水車のような木製の輪が回る。
グルグルと。
ジュリオの足を乗せて。
音で例えるならば ガコッ が相応しいだろう。
ジュリオの股関節が外れた。
アアアアアアア
当然痛みに耐え兼ねて叫ぶ。
叫び声が木霊する。
「ティグレ、もう一回外すから聖魔法で入れ直して」
聖魔法は応急措置とは異なり、傷ついた腱も靭帯も筋肉も全てが元通りだ。痛みに馴れることはない。
ジュリオには男の無慈悲な言葉を聞き取る余裕すらない。
例え、聞こえていたとしても絶望するだけだろう。
股関節が通常に戻り、ジュリオの呼吸が整うまで待つ。
酷く無機質な声で質問する。
「ロトロ君、謝る気になった?」
磔のジュリオを覗き込む。
ヒューヒューと荒い呼吸の音。
返答では無い。
「外して」
男の無機質な声と、ジュリオの叫び声だけが部屋に響く。
再び入れ直して、会話ができるまでようになるまで待つ。
そして、RPGの村人のように同じセリフ、同じトーンで同じ質問を繰り返す。
「ロトロ君、謝る気になった?」
「…あ、あや」
「外して」
無機質な声と叫び声だけの空間。
次はジュリオの回復を待たずして男が提案する。
「ロトロ君も飽きた頃だろうし、そろそろ部位を変えようか。
大体が股関節を外すくらいは拷問として序の口だしね。」
とても人の言葉とは思えない。
だがジュリオ自身も誰かにしていた事だ。
ジュリオは分かっていたつもりの人の痛みを、自らが被害者となって初めて理解した。
きっと生きて帰れたなら彼は軍を辞めていただろう。誰かを傷つける度に痛みを思い出してしまうから。
「ロトロ君、歯を一本ずつ丁寧に抜いてくれたよね。
だから、私は一本ずつ砕くよ」
ジュリオの全身から血の気が引いていく。
呼吸が整っていないのも無視して無理矢理喋る。
「っ、すまなかった!
ゲホッ、俺が間違っていた!
頼む!許してくれ!
スパイでも何でもする!
金も妻も子供でもやる!助けてくれ!
お願いだ!」
ジュリオの軍人の誇りを捨てた。
ヒト族の矜持も捨てた。
父としての尊厳も捨てた。
この時、こいつはヒトでは無くなったのだ。
この場にいるのは、ただの畜生だ。
「何でも?」
「ああ!何でもだ!
本当に何でもする!」
「じゃあここで死んでくれよ」
その言葉は深海のように冷たく、ジュリオが再び口を開く事をを許さなかった。
「醜い。
こいつは醜い。
謝罪なんて正直どうでもいい、屈辱を味わわせたかっただけだ。
だが想像以上だ。
想像以上に救いようが無い。
拷問を再会しよう。
こいつが死ぬまで。」
男の片手には噛み合わせる部分か山のように尖っているプライヤーのような物が握られていた。
つまり噛み合う部分は尖った部分の一点だけだ。
魔力による身体強化で握力を強くすると同時に、プライヤーのような物にも魔力を通し強度を底上げする。
白く鍵盤のようなジュリオの前歯が金属特有の冷たさを持つ銀色の悪魔の指に掴まれる。
「砕くね」
キリキリと圧力がかかっていくのがわかる。
ハァ、ハァ、ハァ、
ジュリオの呼吸が乱れる。
ハァハァハァハァ
バキッ
と砕けた。
叫び声が空間を支配する。
まるでこの部屋の音が叫びだけかのようだ。
「ティグレ、体を押さえ付けて。
ルーパ、口を開けさせて」
二人ともそれぞれに返事をして、仕事をこなす。
バキッ…バキッ…とテンポ良く、まるで生垣の剪定をするかのように砕いていく。
ジュリオには想像も絶するような痛みを感じているのだろう。
だが、ジュリオの歯を砕くこの男は七日にわたる苦しみを、気を狂わせる事無く耐えきったのだ。
気が狂うのは人間に備わっている機能だ。どうしようもない世界から逃げ出す為の非常装置。
男はこの世界の全てを怨み、それを糧に拷問を乗り切った。
だから男の前のジュリオがすぐに弱音を吐き、苦しみに苦しむだけの姿を見て思った。
こんなに弱いのかと。
男には不快でしか無かった。
「ルーパ、手を抜いて。
酸流し込むから」
終わらせてやろうとキツいものから試し始める。
唇の隙間から、ろうとを伝って流れ込む。
酸が剥き出しの歯の神経を焼き始める。
ジュリオの意識があったならば口の中で悪魔が暴れているのだと思うだろう。
早々に気絶している。
ジュリオの体が痙攣する。
意識はない。
ティグレをもはね除け、体躯が拘束されている中で最大限躍動する。
身体強化をしても砕けなかった四肢の拘束具が砕ける。
「主様!」
「いや、いい。
もう終わった」
ジュリオの体が再度数回跳ねたかと思うと、その体は糸の切れた人形のように動かなくなった。
ショック死だ。
命の鼓動が途絶えた。
この男はこの世界でまた一つこの世界の命を奪った。
「これくらいで死んじゃうのか…
ティグレ、次もやるから聖魔法で死なない程度に痛みを軽減させてあげて」
「はい!」
男は少し目を閉じた後、またニヒルに笑って
「あと十一人だ。
さっさと終わらせよう」
そう言った。
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
男は目を閉じている間、言葉を呟いていた。誰にも聞き取れない程の声量で。
その言葉は常人ならざる聴覚を持つルーパとティグレには聞き取れていた。
だが敢えて言及するような事はしなかった。
それが彼女らの決意だから。
「世界が私をこうさせるんだ」
十人中九人の残り一人の回答は踏んでくださいとかだと思う。
しゃぶしゃぶの起源は諸説ありますが中国とかモンゴルだとか
日本かと思ってた