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わたしは世界で唯一の「完成品」

作者: 樹朱

「愛してる。愛してるよ。でも君はまだあいには届かない。だから」


 そう、わたしを作った人間は言った。

 わたしの記憶装置にインプットされている言葉はやや偏り、抜け落ちている部分があることをわたしは自覚している。故に、わたしを作った人間が発した言葉は、その内容をわたしが理解するのにやや時間を要した。そうして、納得した。理解した。

 だから、わたしはコレも「あい」というのか、と動かない頭でその言葉とその意味をインプットした。






 時が過ぎ、わたしを作った人間は姿を消した。わたしひとりを残して。

 それはいつからだったろう。はっきりとした時間はわたしの中で失われ、けれど視界の端に移るエネルギー残量が、残りわずかになっているのを見るに、大きく時間は経っているはずだった。

 定期的にメンテナンスや充電を行ってもらわなければ、わたしは停止する。それはそれで構わなかったけれど、二度と起こされず、知らぬうちに廃棄されてしまうのは些か問題だった。なぜならわたしはわたしを作った人間の唯一の「完成品」らしいのだ。何度も何度も、わたしはそれを聞かされていた。


「いつまでも、この地に君がいてくれれば、僕はずっとこの地に残る。どこかに保管しときたいけど、君は僕の唯一の完成品だからなぁ。手元に置いておきたいんだよねぇ」


 毎日毎日、似たようなことを呟いていた。あれは「独り言」というやつだったのか、わたしに言い聞かせていたのかは不明だが、何度も聞くうちにその文章はインプットされ、わたしの中に残った。

 エネルギー残量が10%を切ってから、わたしはわたしをメンテナンスしてくれそうな人を探すのはやめた。

 ここはわたしを作った人間の「研究所」という所だ。だが、管理する者がいなくなり、次第に機器は埃をかぶり、建物は軋みはじめ、とうとう、つい先日の嵐のせいで屋根が吹き飛ぶという事態になった。わたしとしては、わたしの生命線ともいえる充電器が埃をかぶるのは見ていて少し「切なく」なるし、屋根が吹き飛び空が見えるのはよかったが、雨が降ると濡れて体が錆びつくのは目に見えているので「勘弁」してほしい。

 この寂れてしまった「研究所」周辺は、まだわたしを作った人間がいたときは賑わっていたと記録している。通りの道には露天商や駆け回る子供や動物がいて、かなり騒がしかった。だが今はどうだ。露天商もいなければ、子供や動物……生命体は見当たらない。時折吹く強風が木々を揺らし、古くなった屋根を吹き飛ばしていく。

 たしかここから、次の街まではおよそ数百qgかかる。今でも「研究所」の一室に張り出されている地図にそう書かれていた。メンテナンスも充電も「完璧」であったなら、そこまで行くのは何の問題もなかっただろう。けれど、予備エネルギー源も切れかかり、左下肢膝関節部が上手く動かない現状にとって大きな問題となる。そう、エネルギー源が予備の物に移る前に、行こうと思えば行けたはずだ。けれど、何かが「引っかかる」のだ。それのせいでわたしは「研究所」にいた。それのせいでわたしは予備エネルギーが残り10%になるまで待っていた。

 「待っていた」。そう、「引っかかる」、この「違和感」。わたしはここで「待っている」。いったい、ナニを。


「お邪魔するよー。ってやっぱりもう誰もいないか。当たり前だよなぁ……あーあ。こんなにぼろぼろになって。うわ、室内なのに空見えんじゃん。屋根どこいったんだよ……」


 エネルギー残量およそ8%。視界の隅で、8という数字が瞬く。と同時に、声がした。生命体……この大きさは成人した人間。

 壁一面に張られた地図がある部屋で、わたしは地図と向き合うように床に座っていた。この部屋から人間はまだ数ig程距離がある。侵入者だろうか。心音、呼吸、足音。何かに触れ、物を落とす音。


「うげっ……ちょっと待てよ。ここで何研究してたんだよ……ロボだって言ってなかった? ……これ、どう見ても目玉……人の目じゃないよな……豚も人と同じくらいの大きさだって聞いたことあるし。うん。これは豚の目豚の目……」


 声や足音の重さ、響きからして成人男性……30代前半。心拍数はやや早いものの、平常心の域を出ない。この「研究所」になにか用があるのだろうか。

 軽く侵入者を調べたところで一気に残量が5を示す。足音は確実に「研究所」の奥にあるこの部屋に近づいてきている。あと6ig。このまま侵入者を感知した状態を保っていると「不味い」。辿り着かれる前に、わたしのエネルギーが切れる。

 侵入者である人間がどんな意図で「研究所」にやってきたにせよ、わたしは一度その人間を「視て」おきたかった。わたしを作った人間の関係者であれば、わたしを見て何らかの反応を示すはずだ。なにしろわたしは唯一の「完成品」だから。

 一度、全ての感知機能を停止、視界範囲内で起動。起動した際にかちり、と数字が動いた。3へと切り替わる。わたしは目を閉じた。






 どれほどの時が過ぎただろう。近づいた足音にわたしは目を開けた。2。数字が瞬く。

 この部屋の扉前。ドアノブに手が触れ服が擦れる音。一瞬のち、ドアは開いた。


「あれ、ここはそんなに荒れてないな。ちゃんと窓も割れてないし。……この地図でかいなぁどんだけ前のだろ。黄ばんでて触ったら崩れそう……」


 感知した通り、その人間は成人男性。恐る恐る顔を覗かせた後、大きくドアを開き中へ入ってきた。背には大きな荷物。武器なら厄介だ。こちらには気づいていないようで、のんきに地図を眺めている。わたしは声帯を動かした。


「何者だ、人間。このケスロイヤ研究所に何の用だ」

「うわああっ?! 人いたのか?! えっと怪しい者では……って」


 人間はくるりと振り返ると、地図に体当たりするように後退った。その拍子に地図があっけなく破れる。


「……姉ちゃん?」

「…………」


 「姉ちゃん」……姉とは。一般的に、年上の女を指す言葉らしい。わたしはこの人間の意図が読めず、無言を通した。わたしは人間でもなければ性別もなく、まして歳などないようなもの。


「……あっと、えっと。そんなわけなかった。人、違いですよn」

「答えろ人間。何者で、何の用だ」


 もう、エネルギーはないに等しいというのに、人間はあいまいな言葉を繰り返し、はっきりと言葉を返さない。もしやわたしの言葉が通じていないのか。それがわかったところで既に時間はない。そもそも言語切り替えを行ったところで、それが確実に通じるとは言えないのだ。この人間の見た目はわたしを作った人間と似ているから同じ種族だろう、となれば言葉も同じで通じるだろうと思い込んだことがいけなかったのか。


「えっと、君はなんて名前なんだ? ってうわあ」


 1。数字が点滅する。「時間切れ」だ。壁にもたれていた背がバランスを崩し、横へと倒れる。視界が勝手に閉じていき、ひとつのプログラムが起動。エネルギー切れを表す定型文が零れ落ちた。


「エネルギー不足です。全ての動作を停止、中断します。記憶装置保存容量不足のため再起動の際、中断された機能は復元できません。始めからやり直してください」

「は、え、ちょっ……人じゃなかった?! 待って、エネルギー不足? 食べ物よこせとかじゃなく? これもしかしてロボット? …………えええどこでどうやって充電するんだよ! 起動方法とかちょ、もうちょっと詳しく説明して! 説明書みたいなん、どっかにあんのかな……」







「ねぇ、君に『あい』って言葉、インプットされてる?」

「『愛』。可愛がり慈しむこと。物事を好み、大事にすること」

「ああそうだけど。そうじゃなくて。って待って、男女が互いに恋して想いあうっていうのはインプットされてないの?」

「『愛』の意味は今言ったことしかインプットされていない」

「えー。昨日君の記憶装置いじらせたの誰だっけ。もー勝手に省かれると色々迷惑なんだけど」

「昨日わたしを整備したのはアルガスだ。「穢れない乙女にしてみせる」と呟いていた」

「なにそれ。なに、穢れない乙女って。別に「恋して想いあう」のどこにも穢れなんて要素ないでしょー!? あ。いいところに! あるがすうぅー」




 わたしの記憶装置の中には、ただその時々を撮影し録音したファイルがいくつか転がっている。わたしの視界で見たもののほか、わたしを作った人間が何らかの方法で撮ったのだろうと思われるもの。映像はなく、ただ音声のみが流れるもの。途切れ途切れのそれは時の流れに沿って、並べられていた。




「おおーおめでとう!」

「ありがと。これであたしももうすぐ復帰できるかな」

「いやいや、イザベラ。あんまり無理は厳禁だよ。それに可愛い盛り、でしょ」

「うふふ。そうなのよね。あっち行ったりこっち来たり、なんでも口に持っていくから目が離せないけど、ほんと可愛いの。喜んでる顔や驚いた顔はもちろんだけど、むずがってなり泣いたりしてても可愛いのよね。うるさいなとかしんどいなって思うことも多いけどでもやっぱり最後は可愛い、で落ち着いちゃう。……親馬鹿かしら?」

「あはは、親なんだから、そうでなくちゃ。子は可愛いもんだよ。僕だってあの子のことはほんと可愛い」

「あらあら。苦労して作ったんだものね。お腹痛めて産むのと同じ、ね。でも久しぶりにここに来られてよかったわ。ちょっと、気分転換になったし」

「お。そう? 最近、旦那は僕に会うたび、いいだろ、可愛いだろ、イザベラ似だろって写真見せにきてはにやにやしてるよ。仕事してんのかな」

「あらやだ。言っとかなくちゃ。2、3日ならあたしが代わってもいいけど」

「あー、その方がいいんじゃない? そしたらイザベラも勘取り戻せるだろうし、あいつも子供の可愛さと大変さ、学べるし」

「そうね。うん。そうしてもらおうかな。ちょっと責任者のところ行って、聞いてみてくるわね」

「いってらっしゃい。復帰したら、こっちにも遊びに来てね」

「もちろんよ。うちの子も大きくなってるだろうから、そのときは連れてくるわ。写真じゃどうしても可愛さは半減するもの」

「あはは、ぜひそうして。あの子に子供との遊び方教えとかなきゃ」




「ううん。やっぱりちょっと難しいな。こっち繋ぐと全体が使えなくなるし。……いっそ力ずく? ……それもありかなー。ちょっとここに力加えれば使えなくはないけど反応は鈍くなるはず」

「呼んでいると聞いた。何の用だ」

「おお。早かったね。そっちは順調そう?」

「少なくとも昨日失敗していた箇所はクリアした。今日到達すべき項目はまだだ。クレアとイザベラが揉めていた。「内部性能はかなり優秀だから、それに合わせるか否か」と」

「ああー。そうか、そうだね。どうしようか。そっちも考えないとなぁ。あ、君はどっちがいい?」

「内部性能に合わせるか否かということか」

「そうそう。一応きかせて」

「合わせない、となると機能のいくつかが発揮できなくなるということだろう。合わせた方が性能を十分に発揮できるというなら合わせるべきだ。または内部性能を落とすべき」

「ああ。君は中と外、一致しているべきって意見か。うん、それもそう。ただ中と外、壊れやすいのは外なんだよ。あー耐久とかもっと持たせとくかな」

「何か用だったのではないのか」

「あーそうそう。ちょっといい?」

「……きゅうに、な」

「愛してる。愛してるよ。でも君はまだあいには届かない。だから届かせる」

「システムエラー、システムエラー。記憶装置より動作、言語運用における認知齟齬、乖離現象により機能を一時停止します」

「あれ。おっかしいな。動作のエラーが出るだけかと思ってたんだけど。……あ、ああ。そういうこと。なんだ、君は随分人間に近づいていたってわけか。あはは、そっか。嬉しい限り。きっとイザベラも子供の成長にこんな気持ち持ったんだろうなぁ。……うん。いい感じ。あとはそうだね、それは大事にしてもらおうか。大事な欠片だ」




「うわーなにこれ、なにこの生物! かわいいけどかわいいけど!」

「でしょ。もーほんっとかわいい」

「あああ僕の子がどんどん遊ばれてく……」

「壊してないし、大丈夫大丈夫。またくっつければ問題ないでしょ?」

「そうだけどさー。あんまりだよ。ちゃんと遊んであげられるようにって、砂場遊びとか縄跳びとかお絵かきとか絵本の読み聞かせとか、ちょっと機能に工夫持たせてみたのに」

「あ、それでこの前好みとか嫌いなもの、教育上良いものよろしくないもの散々聞いてきたわけ?」

「……そうだよ。あーあ、配慮してもこもこの触り具合にしたのがいけなかったのかなー」

「うふふふ。どうせ、中までもこもこにして、大事なとこくらいしか守ってない作りでしょう」

「そりゃそうだよ。怪我させたら一大事だしね。僕の子はいくらでも作り直せるけど、人間はそうもいかないから」

「当たり前でしょ。でもありがと。おかげで楽しそうよ」

「そりゃどーも。……あ。アルガス!」

「あら。久しぶりね」

「おう。なにしてんだ2人してって……おい、あれは」

「イザベラのとこの子供と、僕の子だよ」

「なんだと? お、オレの穢れない乙女が! こんなところで小僧と戯れていたとは! 早速だがちょっと借りてくぞ!」

「いやいやちょっと待とうか!」

「あーもう。アルってばほんと機械好きよね。うちの子のが可愛いっていうのに見向きもしないなんて」

「はあ? たかが小僧のどこが可愛いんだ? すぐ鼻垂れるわ、男のくせに泣き出すわ、散々だろ」

「可愛いわよ! 見なさい、この愛くるしい顔! 丸い目にちっちゃい鼻、ぷくぷくしたほっぺ! すべすべした肌に」

「っは。よく見たらイザベラの馬鹿でかい口の形がそっくり受け継がれてんじゃねーか。こりゃ将来、口裂け男が出来上がりそうだな」

「なんですって?!」

「ああなんでこんなことに。あー泣かないで、お願いだから泣かないでほら、これで遊んでいいから、ね。もこもこだよ。おしゃべりもするんだよ。えっとちょっとまってね」

「限定的に起動します。」

「えーっと昨日追加した機能も限定起動に入れてくれる?」

「設定、完了。再起動します。」

「ね、この子もおしゃべりするの。この子のお友達になってくれるかな」





「なーなー。おれに姉ちゃんがいたってほんとかー?」

「え。それお母さんにきいたの?」

「ううん。外装室に遊びに行って」

「あーわかった。アルガスに聞いたんだ」

「そう! アルガスのおっちゃん。なんでわかったんだ?」

「外装室なんてほとんど倉庫なんだよ。そんなとこ行く暇があるのはアルガスくらいだからね」

「ふーん。しごとしてないのか?」

「彼はロボットの外見、外から見える部分の装飾がメインだから。基本的に暇なんだよ」

「そうなんだ。でなー、アルガスのおっちゃんが言うんだ。「おまえ、ちゃんと姉さんに会いに行ってるか」って」

「……それ、お母さんには聞いてみた?」

「まだ。なんとなく、言いづれーなって。……それに今、母さんちょっと機嫌悪いから」

「はぁ。イザベラってばまだ怒ってるのか。うーん。あのね、それは先に僕じゃなくってお母さんに聞くべきだと思うよ」

「でも! アルガスのおっちゃん言ってたんだ。母さんに聞きづらいなら、リシェに聞きなって」

「アルガスってば余計な……ごめん。僕はそれに関して何も言えない。言いたくないし思い出したくないんだ。聞くならちゃんと、お母さんから聞いた方がいい」

「……あ、の。おれ、ごめんなさい。言いたくないこと、言わせた」

「気にしないで。ちょっとアルガスが配慮に欠けてただけだから。イザベラ……お母さんのところに行くなら、伝言頼んでもいいかな?」

「うん。なんて言えばいい?」

「「準備完了。そろそろあいの本格始動開始するよ」って。ちょっと難しいかな」

「えっとえと。じゅんびかんりょう。ほんかく、しごうかいし?」

「うーんと。じゃあこうしよう。「準備完了。あいを起動する」で、どうかな?」

「じゅんびかんりょう。あいをきどうする!」

「そそ。それでよろしく。たぶん、これ聞けばお母さんもご機嫌になると思うから、そのときにお姉さんのことも聞いてみたらいいよ」

「うん! ありがとーリシェさん!」

「色々配線転がってるから、足元気を付けてね」

「はーい!」




 あい。それはひとつのプロジェクト名であり、わたしを作った人間、リシェの最愛の人を表す単語であり、そして。




「充電を感知しました。これより、低電力で起動開始します。前回中断した機能は復元できません」

「はー。よかったぁーなんとかなったー。まじでこれわかりにくい! 充電方法くらいもっと大きく書こうぜ!」


 ぴぴぴ、と視界の端に数字がランダムに出現する。起動し始めの合図。これによりいくつかの定型文と起動内容が設定される。徐々に出現しなくなると、隅で小さく2と数字が浮かんだ。エネルギー残量を示す、数字。あのまま、機能停止で放っておかれはしなかったらしい。


「あーでもこれどうやって起動するんだろう。あれ、でも今起動開始とか何とか言ってた」

「人間。まだいたのか。充電には感謝しておこう。ありがとう」

「あーうん。どういたしまして。……は? えええ起動した! 起動してた! あ、さっきはなんかすんません。やっぱり勝手に研究所入ったのはまずかったよな」


 床に座りながら、どこから取り出してきたのか、埃にまみれた分厚い紙束を床に置き人間は片手で頭をかいた。


「ずっと前に言われてたんだ。どうしても手放せないロボがいるから、取りに行ってくれって。けど俺も仕事が忙しくてなかなかね。今住んでるとこからじゃここ遠いし。で、遅くなったけど取りに来たんだよ。……おまえが、そのロボ?」


 5、7。少しずつ数字が上がっていくと同時に背中の充電している部分が熱くなる。充電でここまで熱く「感じる」ことは珍しく、わたしは人間の言うことを聞きつつ記憶装置からいくつかの情報をピックアップ、現在の状況確認。ついでに近くの機器へ、電力を僅かに流しておく。これで少しは機能してくれるだろう。


「人間。そこにあるわたしの説明書、バージョンはいくつだ」

「はい? あ、ver6,23」

「古い。この充電の仕方だとわたしは熱で溶ける。この近くにカプセル器はなかったか。そのなかへわたしを入れろ。それまで一度、機能を停止する」

「え。ええええちょっと待って、言ってすぐ機能停止させんな! カプセル? カプセル器ってなんだよ。ああもう、全然先に進まねーな! 俺明日仕事なんだけど帰れっかな」





「ようやく。ようやくだ。やっと会えるんだね」

「長かったわ……ってあたしが言えることではないわね」

「でも君の妹であり娘だ。本当は僕より嬉しがっていいんだよ?」

「うーん。そう、ね。でもあたしが求める妹はあなたが求める妹とは違う。だからあの子はあなたのアイリーン。あたしのアイリーンはもう空の向こうよ」

「……そう、イザベラ。君も、否定するのか」

「あのねぇ、否定してたらここまで手を貸したりしないわ。ま、興味もあったことだしね」

「良い研究になった?」

「現状、これが限界だっていうのはわかったわ。もっと、もっと先は目指せるのかしら」

「どうかな。僕はアイリーンがいればもう、それで。でもちょっと、あれだな」

「なによ」

「いや、不調をきたしたら、僕が修理する羽目になるだろ。それがどうもね」

「仕方ないでしょそれは。アイリーンを望んだのはあなたよ、リシェ」

「わかってる。わかってるよ。……さて、そろそろ馴染んできたかな。アイリーン、僕だよリシェ。聞こえてるかな?」

「……り、シェ。リシェ、ここはどこなの? わたしっあいたっ!」

「あーあ何してるのよ。先にカプセル器開けてあげるのが先でしょ」

「アイリーン! 大丈夫? ごめん、僕がそのまま話しかけたせいで」

「うぅへいき。急に起きあがったら危ないよね。……でもなんでわたしこんなところで寝てるんだろう。リシェ、ここ、知ってる?」

「ああうん。知ってる。よく知った場所だよ。心配しなくても大丈夫」

「そう。そっか。……あ! イザベラ!」

「アイリーン。調子はどう?」

「平気よ。イザベラ、ちょっと老けた? 小じわが寄ってるわ」

「な、なんですって?!」

「あー、アイリーン。イザベラは子供産んだから。きっとその苦労の影だよ」

「ええいつの間にイザベラったらいつ子供産んだの? どうしてわたしに教えてくれなかったのよー」

「しわ……しわですって。……アイリーン、話は後よ! ちょっと化粧品を見直してくるわ!」

「あれ、なんかわたし、まずいこと言ったかな?」

「いつものことだよ、イザベラだし。さ、アイリーン。動ける? 立つことはできるかな」

「うん、だいじょ……あれ、わたし足……」

「うーん。覚えてないかな? 君が小川まで散歩に行こうって誘ってくれた時」

「暖かくていい天気だったから、誘ったのよ。川の水はまだ冷たいから、風も涼しいと思って」

「うん。それで通りに出て、ふたりで歩いて行ったね。でも小川に着く前に一陣、強い風が吹いた」

「そうそう! わたしの帽子、とばされちゃって。お気に入りだったから、あわてて取りに行って……あ」

「……思い出した? ちょっと後遺症が残っちゃったみたいなんだ。……ごめんね。僕が君を捕まえておけばよかった」

「り、リシェは悪くないよ! わたしが周りも見ずに帽子追いかけちゃったのがいけなかったんだよ。これからは気を付ける。だから、あの、愛想つかさないで、これからもあの、一緒にいて?」

「うん、もう二度と、君が怪我を負わないようにずっと見張ってることにする」

「うー。ひどーい。見張ってないでちゃんと捕まえてて!」

「あはは、うん。うん。大丈夫。君の手しっかり握って、隣にいてあげる」




 アイリーン。イザベラが拾ってきた、イザベラより7つ年下の娘。結婚したばかりだったイザベラは夫を説得しアイリーンを養子にした。名を変えるだけでそれが可能だったこともあり、家族にするならば養子が一番手っ取り早かったのだ。

 娘、とはいえ歳の差は7つ。イザベラはアイリーンを妹のように扱い、アイリーンもイザベラを慕った。あるとき、イザベラの職場を訪れたアイリーンはリシェと出会い、

 ……ああ。

 わたしは理解した。なにかが「引っかかり」、拭えなかった「違和感」のせいでわたしはずっと「研究所」で「待っていた」。

 それはアイリーンがリシェを、わたしがわたしを作った人間を、「待っていた」のだ。そしてわたしは既に、わたしではなくアイリーンとして存在していた。ゆえにわたしである部分が「引っかかり」、「違和感」となった。なぜならアイリーンはアイリーンでしかなく、わたしはわたしがアイリーンになりうる過程を理解していたから。


「愛してる。愛してるよ。でも君はまだあいには届かない。だから」


 アイリーンとして、わたしの記録を何らかの原因で見てしまい「違和感」になった。わたしがアイリーンになるための、ひとつの条件。リシェが言ったセリフはそれであり、現にわたしは左下肢膝関節部が上手く動かない。アイリーンは事故が原因だと認識していた。けれどアイリーンはわたしであり、本来のアイリーンはその事故で亡くなっている。わたしがアイリーンになるにはどこでもいい、体の一部を機能停止させることが条件になった。それはリシェの、今度こそアイリーンを守るという決意であり、自分の手で再びアイリーンを生まれさせてしまったことの懺悔であるが故、リシェは自分の手でわたしをアイリーンへと変えた。そしてわたしはその時、「あい」つまりアイリーンはひとつの停止機関であるとインプットした。リシェはもうアイリーンがいる限り、育たないことがわかったからである。




「これでどうだ!! 近くにあるってもこんな隅じゃ見つからないわけだよ。で、これはふたを閉めればいいのかな」

「確認します。アイリーンの容姿を確認。内部、アイリーンの記憶は沈められています。このまま起動しますか」

「…………え、ちょ姉ちゃん?」

「確認します。アイリーンの容姿を確認。内部、アイリーンの記憶は沈められています。このまま起動しますか」

「なんだよ意味わかんねーよ。説明しようか!」

「返答および、回答がなかったため、一時的このまま起動します。アイリーンを起動する際には再起動ではなく、一度機能を停止してください」

「おい! まあ持って帰るのが先決だしな。聞くのは帰ってからでも……ってまって。ここで充電して、終わるのいつだよ? むこうで充電って出来んのかな……もしかして、このカプセルとかあっちのごちゃごちゃした機械ぜんぶ持って帰って来いとか言わないよな……」






 わたしはリシェの唯一の「完成品」。当たり前だ。リシェはわたし以外のロボットを作ったことがないのだから。彼に作られた唯一のロボット。それが、わたし。

 そしてリシェはアイリーンを作った。

 事故に遭っても顔は綺麗だったアイリーン。艶やかな綺麗な髪を大事に刈り取り、脳みそを綺麗に取り出した。アイリーンが書いていた日記を隈なく読み込み、文字の癖、好きだったもの嫌いだったもの、思考の仕方、アイリーンに関するすべてを把握しようとした。

 わたしという内側の存在に、リシェはその努力をすべてインプットさせ、わたしの外側をアイリーンだったもので作った。それが、アイリーン(わたし)。

 くすんだ金色の髪も、ブルーの瞳も、まつ毛も眉毛も顔はすべて、アイリーンで出来ている。流石に身体の全部をアイリーンで、というのは難しかったようで服の下とかはちょっと誤魔化していることをわたしは知っている。でも、それでもわたしはわたしだ。アイリーンなのだ。リシェの、望んだ。




「あーあー。いつになったら充電終わるんですかね。さっきみたいに充電始めたら話しかけてくるとかそういうのはないんですかね! 暇だよ。帰りたいよ! なんか薄暗くなってきたし。雨降る予定はなかったはずだよなー」

「一定の充電を確認しました」

「おー終わった? 終わったならさっさと帰」

「人間。少し待て。わたしがそのロボだ。人間はイザベラの息子か」


 ぴぴ、と安定した速さで充電が完了していく。流石カプセル器。卵型をした機械の中で、わたしは帰ろうとする人間を呼び止めた。


「あー、俺のこと知ってる? 小さいときに何度か遊びに来たことがあったらしい。あんまりよく覚えてないけどな」

「わたしを壊して遊んでいただろう。聞きたいと思っていた。わたしの中指を構成している金属はそんなにもおいしいか」

「今の俺に聞くな! 知らんがなそんなこと! んで。俺も聞きたい。なんで姉さんの姿してるんだ?」


 48、50、51。本体の充電が終わったら、とりあえずは動けるようになるはずだ。……わたし、として。


「わたしを作った人間の意思だ。アイリーンの話をイザベラから聞き出したとき、聞かなかったか」

「……なななんか、俺の小さい時のこと知り過ぎててこえーわ! 聞いてないよ。でも笑ってる写真をもらって、顔は知っているんだ」

「リシェという人間を覚えているか」

「え? ああうん。ちょっと小柄でよく母さんとしゃべってた」

「その人間がわたしを作った人間で、アイリーンを好いていた。アイリーンはリシェの最愛の人」


 イザベラの大きくなった息子は間抜けな顔でわたしを見た。イザベラ譲りだとアルガスに言われていた唇は薄く、整っていて少し横長で。イザベラそっくりだった。育ったのだ。この何十年かで。わたしはロクに、新しいことをインプットしていないしされていない。容姿は、……若いままのアイリーン。


「初耳なんだけど! え、あの人付き合ってたの?」

「リシェはアイリーンを失ってからも彼女を求めた。その結果がわたしだ」

「あーそれはなんというか。あ、でも俺頼まれたのはリシェじゃなくてアルガスのおっちゃんなんだけど」

「穢れない乙女か」

「なにそれ。まぁなんでもいいけどさっさと帰ろうぜ。俺明日仕事なの、しっかり寝ときたいの。で、なに持ってけばいいの、まさかこれ一式とか言うんじゃねーよな?」


 わたしが寝たままのカプセル器と、それに繋がるガラクタに見える機器一帯を指さし、イザベラの息子は疑いの目でもってわたしを見た。視界の端の数字は67、69、70。このままいけば、本体の充電は終わるだろう。問題は予備の方だがあれは小型の充電器で事足りる。数倍時間がかかるのが難点だが。


「そこの、机に乗ってる小型充電器を持っていけ。わたしが歩ければ、それで充分だろう」

「まじか、よかったー。これね、あ、そんなに重くないね。よしよし……って今なんつった? 歩ければ?」

「わたしは今、アイリーンの容姿をしている。だから、左下肢膝関節部が上手く動かない。ゆっくり歩かなければすぐに転ぶ。ここ最近はエネルギーの消耗が激しく、あまり動けていなかった」

「……いざってときは俺、負ぶわなきゃいけない? おおぅこれはまずいな筋肉痛シャレにならねーんだぞ30代ってお年頃には!」


 イザベラの息子と会話しながら、わたしはわたしを作った人間を思った。


「リシェは今、どうしているだろう」

「さあねぇ。アルガスのおっちゃんだって、少し前にふらーっと俺ん家に来て、俺にロボを連れて帰ってくれって言ってただけだったし。よくわからんね、あの人たち。俺の母さんもだけど。研究者ってほんと、わかんない」


 そのひたすら困惑した声に少し「共感」する。大事に、作ってきたわたしを捨てて、彼らはどこへ行ってしまったんだろう。


「ま、考えても答えはでねーんだけどな。で、そろそろ充電終わった? 暗くなったらここから街まで迷うかもしんねーし、早く帰りたいんだけど」

「街までの道のりは把握している。急かさずとももうすぐ充電は終わる。もう少し待て」

「おおナビがあった。なら大丈夫かなーあ、でも道とか昔と変わってたりしない?」

「街の位置さえ変わっていなければ、方角があっていれば問題はないだろう」

「うわ、思ってたよりすげぇ大雑把なナビだった。てか、その姿でその口調ってすごく違和感なんだが。なんとかならん?」


 89、90。久々の充足感に満足する。もうすぐ、充電が終わる。


「アイリーンの記憶体は現状、深く沈み込んでいる。……わたしのせいだ。無理やりにでも表へ出すことは出来るが、アイリーンはアイリーンとしての記憶体しか持っていない。アイリーンを出すとイザベラの息子は現状を一から説明し直し、共に付いて来るよう説得。それでもいいなら、わたしは内側へ戻ろう」

「え。ちょちょっとまて、まって。内側とやらへは行くの待って」


 だん、とカプセル器のふたの部分を叩き、イザベラの息子は慌てた様子でわたしに停止を促した。


「えーっと今の君のままでいいから、口調だけなんとかならない?」

「生憎わたしはわたしとアイリーンの口調しか持っていない」


 94、96、


「えええ。いや、ですます調にするとか」

「リシェが嫌った。……一応インプットはされてある」

「じゃあそっちでお願いしまーす。ってこれなんか犯罪者っぽくてやだなー。もう俺おっさんだよ? 姉ちゃんいくつよ17とかそんなもん? ああホテルとか泊まりたくねーな。あこれ2部屋? 2部屋取んなきゃダメ?! 片っぽロボなのに?!」


 98、99、


「本体の充電が完了しました。システムの微調整のため再起動します」

「よっしゃ、終わった! さあ帰ろ」

「待ちなさい、イザベラの息子」

「ハイナンデショウ。やっばいすごい違和感。こっちも敬語にした方がいいのかって気がしてくる!」


 かぽ、と自動で開いたカプセルのふたが間抜けな音を立てる。上半身を起こし、異常がないかを確認しながら、周りの機器の電力をゆっくりと落としていく。

 どこかで、感じていた。もう、きっとここに戻ってくることはないであろうこと。もう、きっとわたしというアイリーンを必要としている者はおらず、本来のアイリーンを慈しんだイザベラやその夫たちがわたしのこの外側を望んでいるだろうこと。


「きっと、明日あたりまででしょう、この容姿でいられるのは。だから、姉とアイリーンを慕うのならばその目にこの容姿、しっかり焼き付けなさい」

「なんか期限でもあるのか? まあいい、了解。ほいじゃ帰りましょー。てかそろそろそのイザベラの息子っていうのやめない?」

「人間はイザベラの息子でしょう。昔、何度か名を聞きましたがインプットされていません。わたしがイザベラの息子で通じると判断しました」

「いや、まぁ研究所内では通じるだろうけど! これから街に行くんだぜ? 呼ばれる俺が恥ずかしいのでやめてください」

「では名前をどうぞ。インプットします」


 研究所の外は、相変わらず風が吹いて、木の葉やらごみやらを巻き込みながら暴れていた。振り返って、見た研究所はどこか寂しく、錆びついた顔をしていた。もう、わたしを作った人間はここにはいない。十数年もわたしをここに置き去りにして。


「おーい。きいてる? 俺の名前は」


 風が吹く。わたしの、アイリーンの髪をさらう。わたしは研究所から目を離し、わたしを待つ人間の方へ足を向けた。

ここまで読んで下さりありがとうございました。

「で、なにが書きたかったの?」

なんて、言わないで……。

このお話は最初の一文、「愛してる。愛してるよ。でも君はまだあいには届かない。だから」が、ぽん、と頭に浮かんで、ちょっと書き出しただけなのです。

今日のおやつ時分に。アイス食べながら!

書いてたら「わたし」があんまりにも動きたがって大きくなってしまい、もったいないから、なろうさんで上げることにしました。

全く予定になかった物語です。書いてたらどんどんアイス溶けてくしね!

なのでですね、で、出来栄えにはちょっと目を瞑ってくださいませ(小声

それでも感想、ご指摘、評価等頂けたら幸いです。

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