例え不審者に見えようと
私はATMに向かう時、必ず全力疾走してから入ります。
変態ではありません。
ハァハァしてなきゃだめなんです。
……すごく、後悔していることがあります。
いつだったか、銀行入った時に犯罪防止キャンペーンとやらで、受付嬢に静脈認証登録を、つまるところ指を翳して本人かどうか確認出来ないとお金が引き出せないやつにしませんかと勧められたんです。
ぶっちゃけどうでも良かったのですが、せっかく親切心で言って下さっているのに断るのも気が引けるなと思って登録しました。その時やけに登録に時間がかかったのですが、あまり気にしませんでした。
それから、私はお金が引き出せなくなりました。
あのね、本人だって認めてくれないの。
カード突っ込んで4回やり直した後に認証出来ませんでしたっつってカード吐き出されちゃうの。もたもたしてる間に行列がどんどん出来てきていたたまれない気持ちになり焦り始めます。そして機械にことごとく拒絶される姿をとくと見せ付けた私は何も悪いことしてないのにまるで盗んだカードでお金引き出せなかった悪人の如くバツの悪さで身をやや丸めて立ち去るのです。
最終的に私が向かったのは、時間外であろうが無かろうが最低手数料が煩悩の数だけかかるコンビニの機械の前でした。
何という屈辱でございましょう!
私は、自分の金を引き出すのに108円で済めば安いと思ってしまうほどに疲弊させられていたのです。この、割と交通量の多い路面で網格子に落とした100円をスーツで屈んで箸で取ってみせた私に、です。
コンビニの生体認証がついていない機械は存在自体が皮肉に見えました。犯罪防止とか、この個体で引き出せたら意味ないじゃないですか……。
悔しい私は一ヶ月後、再び銀行のATMに行きました。
今度は隣に窓口が付いているところです。また認証されなかったら文句言ってやる為です。
案の定、私は機械に拒絶され続けました。
4回失敗を3セット繰り返した辺りです。
「機械、変えてみましょうか」
物腰の柔らかな品の良いおじさんが声をかけてきました。よくあるんですよと言ってふんわり笑います。内心まるで悪いことしてる人みたいに思われてそうで嫌だなと後ろめたい気持ちになっていた私の警戒は解かれ、一気に表情が弛緩しました。
「登録した指は右手の人差し指と中指ですか?」
「あっ、はい」
そうです―― そう言葉を発そうとした時、おじさんの両手に私の右手は握りしめられていました。
――?
「冷たい手をしておられますね」
「あっ、そうですね 」
「血流の流れが悪かったりすると、機械が反応してくれないんです」
「あっ、なるほど。そうだったんですね」
手が冷たいのは職業病なので仕方ありません。
ふと登録に時間がかかったことを思い出します。登録する機械もまず私が生き物であるかどうかを図りかねていたんですね。だから、今度からはちゃんと体を温めて脈をドクドクさせてこいと。イエス、ハヤクニンゲンニナリターイ。
しかし今はそんなことはどうでもいいのです。
周りの目が気になって仕方がないのです。私は駅で手を繋いで歩く同性愛カップルをかなり奇異の目で追ってそれとなく反らした事を思い出しました。
私はおじさんの手をやんわり振りほどくと、もう一度認証に挑戦します。
こんなに神にも祈る気持ちになったのはいつぶりでしょうか。認証に失敗したら…… おじさんと言いましたが割とおじいさんです。こんなキャリアの長そうな人が自分の島の真っ直中で同姓に痴漢紛いの事をするはずはありません。多分天然です。……すごくタチが悪くないですか? 断わり方がまるで分かりません。止めてください? そんな失礼な事言えるわけないでしょうか。こうなったら自分の腹の中に《ドライアイス》と名高い自分の手を突っ込んで自爆するしか無いんですかね。
なんでこんな偉そうな人が表に出ているのでしょう……どうせ手を握られるならあそこの若い女の子が良かった……
【変換中】
「冷たい手をしておられますね」
「あっ、そうですね 」
「血流の流れが悪かったりすると、機械が反応してくれないんです」
「あっ、なるほど。そうだったんですね」
【おわり】
ぐああああああっ!!
なんだこのリア充!?
僕たちの周りにっ、点描が見えるよ…!
どうしてこうなった。
どうしてこうならなかった……っ
《認証されませんでした》
無惨なコールが鳴り響きます。
げっ―― 現実に引き戻された私がそう思うや否や、おじさんは私の手を再び握り―― そして、温かい息をフーフーと吹き掛けました。
ゾクリとしました。
《認証できました》
死にたい……