つまようじ
小学生の頃の話になる。
3階まで吹き抜けの体育館に、ストーブがぽつんと二つだけ置いてある。光熱費の無駄だと言わざるを得ない有り様に、私はかなりイラついていた。
だが勘違いしないで欲しい。
私はそんな怒りの沸点が意味不明な人間ではない。実際、普段なら「意味無いなー」くらいの薄い感想で終わっていただろう。問題は、それを3階にある教室まで運び直さなければならないということと、私が軽傷を負っていたことにある。
この『軽傷』と言うのが問題だった。
「お前、ドッジボールのゴロ玉、しかも味方の外野から送られてきたヤツで突き指したとか言い訳してんじゃねぇよ!」
「いい加減観念しろ!」
ジャンケンに負けた私に容赦なく野次が飛ぶ。
そりゃそうだろう。
冬の球技大会という名目で行われたドッジボール。
一方的なラリーで敵を潰しまくる中、外野が「たまには女子にもボール触らせないとな」とかなりソフトにボールを投げたところ、まさかの女の子達完全スルー。そこで慌ててボールを取りに行き突き指した。つまるところゴロ玉で負傷。端から見ていた人間なら、あの程度で怪我をするなどあり得ないと言ったところだろう。
だがしかし、私はもうこの時点で耐えられないほど痛かった。『突き指』なんて表現で括るなと叫びたいくらい痛かった。興奮すると心臓が小指に移動したと疑うほどドクンドクンする。私が健常だったら肘鉄の一つでも食らわしに行きたいくらいの精神状態だったが、そんなことしたら突いた小指に響いて絶叫してしまうだろう。とにかく、超絶痛かった。
連中はまるで私など相手にせず、「今日の給食なんだったっけー」「今日パンナコッタあるぜ」とか腹立たしいほど呑気な会話を交わしながらさっさと教室に戻っていく。廊下が果てしなく長く感じた。
(……まぁ、たかが突き指だしな…)
仕方がないので階段まで引きずる事にする。
早速「廊下に傷が付くからちゃんと持て」と先生にお叱りを受けた。小指がまたしてもドクドクと脈打つ。
あまりの理不尽具合に「指が痛すぎて運べないので手伝って下さい」と頼もうとしたけれど、職員室に向かおうとする先生は進行方向とは逆で、急ぎだったこともありあっという間に通り過ぎて行った。私は構わず階段付近まで引きずった。が、その階段という強敵を前にして、心が折れた。
何故ストーブを一階の教室から借りてこなかった。
というか球技大会なんかする場にストーブなんか持ってきて危ないという発想は無かったのか。
不平不満、負の感情ばかりが募り募る。
取り合えず左手で持ち右肘で支える形でトライしようと思ったのだが服で滑って当然持ち上がる訳がない。とりあえず腕を捲って素肌を露出させれば少しはストッパーになるかと思ったが途中で落としそうな雰囲気しかしなかった。
私は意を決した。
親指と人差し指と中指で引っかけて持ち上げよう。
出来ればこれはやりたくなかった。なんとなく、このモロ重力に引きずられるスタイルは隣接しているだけとは言え悪化させるイメージしか沸かなかったからだ。
やっと階段を上りきった頃、私はあまりの激痛に変な汗をかいていた。
私にはさっきから気になっていた事がある。
突き指した指が、その瞬間から心なしか膨らんでいたような気がしたのだ。私の小指は、関節を曲げることも叶わぬほどに膨れ上がっていた。
やばい。
ちょっと想像してみて欲しい。
小指が、親指よりも太くなっていたのだ。曲げたりなんかしてみろ、一発でよく炒ったソーセージだ。ただ一つ違いを挙げるとするならば、弾けてもあんな爽やかなCMにはならないくらいの些細な差だ。
私はもうストーブをその場に放置して保健室に駆け込んだ。
保健の先生は指を見るなり「なんでもっと早く言わなかった」とまたしても理不尽な事を血相変えて言い放ち、急いで私を車に乗せて病院へ向かった。
レントゲンを見ると骨がバッキバキだった。
なんでゴロ玉でこんな事になったんだ。どれだけ激しく玉を取ったらこんな事になるんだ。というかコレちゃんとくっつくのか? 大丈夫なのかこれ…… ぐるぐると頭が混乱してる間にも準備が進み、気付いたらセンセイが注射針を持っていた。
人生初の麻酔はブニブニした異物が指の中に入ってくる感じで、なんか更に痛くなったように感じた。中途半端にしか麻酔が効いてない、二時間正座し続けた膝みたいな感じだ。触るとぐぅの声も出ない。それをセンセイは折れた骨を整復しに指をぐにゃぐにゃし始めた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!! 」
「あれぇ…? 麻酔が効いてないようですねぇ…」
プスッ
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!! 」
私は恨んだ。
これを突き指とか言って誰も助けてくれなかった薄情な奴を恨んだ。ゴロ玉だけで果たしてこんな骨が本来有るべき場所から移動したりするだろうか。
奴らはどう思うだろうか。
突き指ごときで病院に行った私をどうおもうだろうか。口から乾いた笑いが漏れる。私は、来るべきその瞬間だけを支えにその激痛に堪えていた。
満身創痍で治療を終え、手を包帯でぐるぐる巻きにして首からかける格好で教室の前に立つ。
丁度給食も終了と言った感じで、残り香が漂っていた。
「アイツまじで大げさだよな、病院とか」
「ストーブ放置すんなって」
「おい、もう泉妻帰って来ないしパンナコッタ食べようぜ!」
「あっ、私も」
「俺も」
「はいはいパンナコッタ欲しい奴こっち集まって。ジャンケンしようぜ」
「ジャンケン! ジャンケン!」
「最初はグー! ジャンケンよっしゃ俺勝ったぁああああッ!! 」
「お前今後だししただろ!」
「うっせぇ言いがかり付けてんじゃねぇカス!」
「じゃあでいいから一口くれ」
「そんなこと言うなら私も一口!」
「あっ、俺にも!」
――ガラガラ
包帯ぐるぐる巻きの私に視線が集まる。
そして誰も喋らなくなった。