コレジャナイ人魚姫(3)
浸水の事実は、一番下の階層を管理している船員が、我先にボートで逃げ出したことで発見が遅れました。何も言わずに逃げたのは、ボートがもうこれしかない事を知っていたからです。これは、ご貴族様が大勢乗っているこの船において、自分達の命の価値が一番下になる者達による大変迅速かつ人間的な行動でありました。
だから、上で踊っているもの逹に知れたのは、本当に、転覆寸前の事でした。
優雅な舞踏会の最中、徐々に拡がる違和感とざわめき。やがて船内から悲鳴が上がり、階段を数段飛ばしで駆け上がる足音にただならぬ異変を感じ取った乗客乗員は、息を切らして現れた彼の報告に血相を変えて振り向きました。
「皆さん、落ち着いて聞いて下さい。何らかの事故が発生し、只今この船は浸水してい、ま……す 」
(ひっ……)
サリアの顔が引き攣りました。
傾いた船体は、午後三時の太陽を遮り、海面に不気味な影を濃く深くしながら近付いてきます。
その瞬間の静けさと言ったら何でしょう。
誰も呼吸をしていませんでした。
思わず屈み込まないと転んでしまうほどの急斜の発生に、僅か一瞬で危機を感じ取ると掴まるところを探し、あるものは一番被害が少なくて済む体位を取ろうとします。しかし、そんな脊椎反射など転覆の勢いの前ではなんの意味もありませんでした。
木製の手すりが木っ端微塵に吹き飛び、背丈の二倍ほどはある津波が起こります。あちこちから悲鳴が上がります。
サリアは知りませんでした。
物体は、こんなにも凄まじい勢いでひっくり返ると言うことを。落下するという概念を。水面に打ち付けられただけで大破する質量が存在することを。
ここは浮力のある海とは違うのだ。
サリアはパニックに陥りました。
大変な事をしてしまった。
いくらサリアでもこれが自分の開けた穴のせいであることは分かります。分かりたくありませんでした。ですが、締め付けられた胸の痛みと、口を細くしたホースのようにごうごうと流れる血液が、それを許してはくれませんでした。
サリアの桜色の唇がわなわなと震えます。
どうしよう。
どうしよう…… ああ、全てを無かったことにしたい。
――そんな時です。
「ピーピー騒ぐな貴様らアアアア‼ それでも貴様らは俺の部下か! 先にボートで逃げやがった奴らを晒し首にしたい奴は俺に付いてこい! 付いてこれない軟弱な奴はそこで死んでろ! 」
「「「ウォオオオオオッ‼ 」」」
なんということでしょう、あの丸太の王子が、海を切り裂くバタフライで前進していくではありませんか。それに士気を上げた屈強な部下達は、雄叫びを上げて後に続いていきます。
そこで死んでろと言われた貴族達も負けてはおりません。何とか沈んでいないところ目指してよじ登ると、めざとく逃げ出したボートの影を見つけて指差しました。
「あっちですじゃ王子イイイイイッ‼ 必ずゥッ! 必ずあの裏切り者共に血の制裁をオオオオッ‼ 」
「「「ウォオオオオオッ‼ 」」」
「「「ひいぃぃいいいッ‼ 」」」
それを聞き付けた王子は鬼としか言い様のない顔でボートに肉迫すると、逃げ出した部下を引き摺り出してあっという間に海の泡にしてしまいました。そして奪い返したボートに飛び乗ると、人間業とは思えないオールさばきで王国まで戻り、応援を引き連れて転覆した地点へと戻っていきました。
その瞬間、船全体に勝利の雄叫びが上がりました。
そこにサリアの入り込む隙間はありませんでした。
「は、はじめての海の上はどうだったかな? サリア」
海を統べる王様は、恐る恐る尋ねました。
「キチガイが沢山居ましたおとうさま」
お父様はMETHAKUTHA安堵しました。
サリアは、足が欲しいなどと血迷うことはありませんでした。
【蔵入理由】
奇抜さを追い求めた結果、何を言いたかったのか分からなくなった。