運命の出会い
「すぐやろう。いいことはすぐやろう。」
それが新任課長の口癖。
しかし、そのやる気も、結局は日々の会社生活に磨り減り、
くたびれた課長になっていくのだ。
OL生活も12年にもなると、そんな言葉にも振り回されなくなる。
私は、お茶を飲みながら、定時後に寄ろうと思っているドラッグストアのことを考えていた。
スリムランプは、入荷してるだろうか?
スリムランプは、最近テレビでやっていた効果的なダイエットサプリだ。
そのサプリを取って運動すると、中性脂肪が驚くほど減るらしい。
テレビ放送直後に買いに走ったのだが、考えることはは皆同じで、
既に売り切れとなっていた。
まあ、ダイエットしても見せる相手もいないんだけどさ。
20才で入社してきた時の女性の同期は10人余り。
年を重ねるごとに、一人また一人と退社していき、
いまでは会社に残るのは私と輝美の2人だけになってしまった。
戦力としては、最初から見られておらず重要な仕事は任せてもらえない。
いつの頃からか、職場には何も期待しないようになってしまった。
ぼーっとしている内に、いつの間にか時計の針は17時を回った。
更衣室に行き、着替えていると、同期の輝美がやってきた。
「ねっ、新しくできたフィットネスクラブ行かない?」
「えー、またー?」
輝美の入会好きにも困ったものだ。去年一年だけでも2、3のジムやら、
カルチャークラブに入会したはずだ。
それでいて、どこも1月と続いたことがない。
でも、帰ってもやることないし、付き合うことにした。
輝美と行動を共にするようになって、何年になるだろう。
前の彼氏と別れてから、3年になる。ということは、3年か。
結婚を意識していただけに、辛い失恋だった。
ドラマチックな出会いで、これこそが運命の出会いと思った。
両親が平凡な見合い結婚だっただけに、そういった恋にあこがれていた。
結婚を何時切り出されるのだろうかと期待していたのに、
ある日突然「好きな人ができた」と言われそれっきりだ。
それ以来、恋愛する気にもならない。
ま、出会いもないけどねー。
ある日突然、かっこいい人があらわれるような、
ドラマチックな出来事があればいいんだけど。
そんな、取りとめもないことを考えていると、
着替え終った輝美が急かしてきた。
「ほらー。いっつも遅いんだからぁ」
「ごめんごめん」
急いで着替え、輝美の案内で新しくできたスポーツクラブへ行った。
新しい建物である以外は取り立てて良いところも、悪いところもない。
まあ、どこも一緒よね。
最初の話では、一日体験だけといっていたのに、輝美はもう入会申込に記入している。
「もー。またはいるのぉ?」
「いいじゃない。だって、入会料金はいまだったらタダなのよ! タダ!」
もー。調子いいんだから。
輝美にそんなことを言って見たものの、私も入る気になっていた。
設備は平凡だが、地理的にいい。ショッピングセンターも近いので、
休日の利用にも適している。
「やっぱり、私もはいろっかなあ」
「なんで? めずらしいじゃん?」
「まあ、ちょっとね」
時には、こういう新しいこともいいかもしれない。
その日は、入会してそのまま少しプールで泳いで帰宅した。
1週間もした頃だろうか。輝美を誘うと案の定しぶりだした。
「今日は、さむいしー。」
言い訳にもならないような言い訳をされて、
やはりという思いがしてきたが、一人でフィットネスクラブに行ってみることにした。
今日は、何しようかな。やっぱりプールかな。
プールでゆったりと泳いでいると、一人の男性が眼に飛び込んできた。
何? この人……。かっこいい。
プールにやってきたその男性は、明らかに回りの人間と一線を画していた。
鍛えぬかれた体に甘いマスク。その男性がそこにいるだけで、
華やいだ雰囲気になる。
やがてその男性は、私の隣のレーンでゆったりと泳ぎ出した。
25、6ってとこかなあ。となると6つ下か。
私は、プールから上がると、トレーニングルームへと移った。
錘を軽めに調整し、バタフライ運動をしていると、
先ほどの男性がやってきた。
その男性は、私と眼が合うと、軽く会釈してからウェイトリフティングのマシンに寝転んだ。
かっこいいー。あんな重いの軽々とあげてる。
私は胸の高鳴りを禁じえなかった。ここ数年味わったことのない感覚だ。
でも、どうなるものでもないか。
しばらく運動をして、休憩室でスポーツドリンクを飲んでいると、
またその男性と鉢合わせた。
男性は、ジュースを買うと、私の座っている席のそばまでやってきた。
「ここいいですか?」
「どうぞ」
平静を装ったものの、内心はあわててしまう。
何? 何なの? もしかして、私に興味があるの?
「こんな綺麗な人がいるとは知らなかったなあ。
いつ入会されたんですか?」
「ええ。1週間前に入ったばかりなんです」
「私、高山といいます。よろしく」
「こちらこそ。まだ、知り合いとか誰もいなくって。
あっ、深田っていいます。深田栄子です」
「えええええええ!?」
何? 何でそんなに驚くの?
「なんですか?」
「一字違ったらフカキョンじゃないですか?! あははははは」
普段は端正な顔立ちだが、笑うと少年のような顔をみせる。
高山さんは、話題も豊富で、たちまち私は高山さんに夢中になった。
フィットネスクラブの後に、食事に行くようになり、
1月も経たないうちに、お互いのマンションを行き来するようになった。
今度こそ、本当の恋かも。私の胸は期待で高鳴った。
季節も変わり、春になった頃だろうか。高山さんのことを考えながら、
ぼーっとしている私に、輝美が言葉をかけてきた。
「ねぇ、栄子。今日、ちょっと付き合わない?」
「ごめーん。高山さんと約束が……」
「その高山さんのことで話があるの。お願い。今日は私に付き合って」
輝美のただならぬ雰囲気に、一旦は断ったものの、
高山さんの携帯に断りの電話を入れ、輝美と共に、飲み屋に入った。
「いい。驚かないでね? あの人結婚してるのよ」
「え?」
結婚してるって言った? 誰が誰と?
私の頭は混乱し、結婚という言葉がぐるぐると回る。
「あのね、あの人の勤めてる会社に私のおじさんがいるの。
そのおじさんから聞いたんだから間違いないの。
いまは、福岡に単身赴任できてるだけなのよ。
年末には東京に戻るんですって」
輝美の言葉を聞いても、しばらくの間、私は理解できなかった。
ケッコンシテイル? ダマサレタ?
頭で理解できたとき、涙が溢れてきた。
体中の水分が全て涙にかわったかのように泣き続けた。
輝美は、そんな私をずっと慰めてくれた。
その夜、高山さんから携帯に電話が何度となく入っていたが、
かける気にはならなかった。
その後、輝美が高山さんの会社に乗りこんで、一悶着合ったあったらしい。
輝美の行為はうれしかったが、高山さんに対する恨みなどは、なかった。
"そんなうまい話はない"以前から思っていたその思いが強くなっただけだ。
こういう結果になるような気もどこかでしていたのかもしれない。
20代半ばのイケメンが、わざわざ30過ぎの女に声をかけてくるなんておかしな話だ。
それから、数ヶ月。
普段通りの取り立てて何もない日常生活を、日々淡々と過ごした。
仕事といっても、誰にでもできる仕事。私生活もこれといって何もない。
空っぽな毎日に、私の人生って何なのかな? と思わずにはいられない。
時々、輝美と食事にいって、誰が結婚したとか、どこの料理がおいしいとか、
どうでもいい話をする毎日。
私が死んだとしても何の影響もないんじゃないだろうか?
輝美は泣いてくれるだろうか?
そんなことさえ、頭にふと浮かぶ時がある。
季節も冬に移ったある日、何をするでもなくぼーっとしている私に、
後輩の山下くんが話し掛けてきた。
山下昇。たしか、私の3つ年下。割とかっこいいけど、物静かで、
目立たない男。今まで意識したこともなければ、そんなに会話した記憶もない。
「あの、深田さん。券が2枚あるんですけど、よかったらいきませんか?」
山下くんの手には、映画の券が握られていた。
あ、ちょうど見たかったやつだ。暇だしいいか。
承諾すると、山下くんはうれしそうな顔をして、机を片付け出した。
いつも無表情かと思ってたけど、こんな顔するんだ。
しかし、私なんかといって楽しいかなあ。
映画が終わり、駅まで歩いていると、
坊主頭の数人が、こちらに近づいてきた。
「オス!!!」
大きい声。何なの?
「おう。今から稽古か? 師範によろしく」
「山下先輩デートですか? 綺麗な人ですね」
「ばっばか! おまえ、この人は会社の先輩だ!」
「またまたー。照れちゃって」
その後も、一言二言山下くんと言葉を交わした集団は、
「失礼します!」の声と共に去っていった。
「まいったなあ。まずいとこみられたなあ」
バツが悪そうに、山下くんが頭をかく。
「何かの後輩?」
「ええ、道場の後輩達なんです」
「何かやってるの?」
「空手をしてまして」
「へー。山下くん空手なんてしてるんだ。みえないなー」
そういって、山下くんの体をふと見る。
たしかに、Yシャツの下には隆起した肉体があるのがわかる。
細身に見えるけど、鍛えぬいた体であるようだ。
取りとめもない会話をしているとその内、駅についた。
「じゃ、ここまででいいから。また、明日会社でね」
「あっ、あの……。また誘ってもいいですか?」
「え? ええ。どうせ暇だし。私なんかでよかったらいつでもいいわよ」
なんだろ。急にどうしたんだろ。
帰りの電車の中で、山下くんのことを考えてしまう。
私が承諾すると、すごく嬉しそうな顔をしてくれていた。
そういえば、同じ部署なのに山下くんのことを全然知らないなあ。
知っているのは名前ぐらい。どこに住んでいるかも知らない。
私に好意を持ってくれてるのかな?
でも、年下はもうこりごりだわ。
それから、数週間して部の忘年会があった。
あれ以来、挨拶などはするものの山下くんは誘ってこない。
まあ、券が余ってただけで、また誘うっていうのは、社交辞令だったのだろう。
忘年会は、新任の部長の歓迎会も兼ねていた。
営業から、私の所属する企画部門に異動になったのだ。
飲み会に行って見ると、女性は私一人。
もともと、人数の少ない部ではあるが、
他の女性は、皆理由をつけて欠席していたようだ。
今の娘は、はっきりしてるわ。
女性が一人ということで、部長の酌をするのが私の役目になり、
部長の横に座らせられた。
時間が経つにつれ、新任の部長は私にべたべたと触りだす。
ちょっとー。何なのこいつ。
逃げ出すタイミングを計っていると、携帯が鳴った。輝美からだった。
これを幸いと部屋をでて、電話にでると心配そうな声で輝美が言う。
「栄子、大丈夫なの? 何で飲み会にいったのよ?
あいつがセクハラしまくるやつって、メール送ったでしょ?」
「メール? そういえば、着てたかなあ。ごめんみてないや」
「もうー。あいつが前、うちの部署いたのしってるでしょ?
新人の子なんかホテル連れこまれそうになってんのよ。
心配だったから、あんたの部署の女性全員にメール送ったのに、
なんであんただけいってんのよ?」
「あー。だから私だけなんだ」
「もうー。しっかりしてよ。まあ、大丈夫そうで安心したわ。
変なことになんない内に帰りなさいね」
「はいはい」
電話を切って、席に戻ろうかと振り向いたこそに、
新任部長の井上が立っていた。
「えいこちゃーん。なにー、どうしたのー?」
酒臭い息を私に吐きかけてくる。気持ち悪い。
「いえ、何でもないですから」
井上の横をすり抜け、部屋に戻ろうとすると、とつぜん抱きつかれた。
「やめてください! 何するんですか!」
「たまってんじゃないのー? 俺が発散させてやるよー」
酒臭い息をかけられ、体のあちこちを触られる。
必死で抵抗するが、男の力にはかなわない。
あまりの急な出来事に、恐怖で声もだせない。
いやー! 誰か助けて!
心の中で、助けを何度となくよんでいると、
急にかぶさっていた重さがなくなった。
「なにするんだ?! じょっ上司にむかってきみわ」
そちらを振り向くと、いつもとは明らかに様子が違う山下くんが、
井上の髪のひっつかんで立っていた。
目をぎらぎらさせ、歯を食いしばっている。
「これはな、酒の席での冗談だ。深田くんも承知の上だ。
なっ、深田くん」
「汚ねえ手で、この人にふれんじゃねえ!!」
山下くんはそういったかと思うと、井上を殴りつけた。
井上は、床に倒れ「うーん」といったかと思うと気絶してしまった。
「深田さん。大丈夫ですか?」
「ええ。ありがとう」
お礼を言うのもそこそこに、そのまま部屋に戻り、
荷物を持って、店の外に飛び出した。
山下くんは、先ほどとは打って変わって、心配そうな顔をしてついてきた。
「助けてくれて、ありがとう。でも、ついてこないで」
そう言い放っても、山下くんは何も言わずついてくる。
とうとう、私のマンション前まで来た時、山下くんが重い口を開いた。
「あの……、こんな時に、なんですけど……」
「何よ?」
「俺、深田さんがずっと好きでした。入社以来ずっと」
山下くんは、それだけ言って下を向いて、黙り込んだ。
街灯で照らされたその顔は、真っ赤になっているのがわかる。
人が落ち込んでいるのに! 何なのこいつは!!
その顔をみていると、無性に腹が立ってきた。
一言いってやらないと気がすまない。
「あんたねー! からかってんの? しかも、上司にセクハラされて、
傷心の私にそんなこというの?
だいたい、あんた私がどんな女かしってんの?」
「すっ、すいません。でも、自分の気持ちを言うのは今しかないと思いました。
俺なんかが、深田さんと付き合えるとは思ってません。
好きっていう気持ちを伝えられたらそれでいいです」
「ほんとっ、馬鹿じゃないの?
そんなんで、女がなびくとでも思ってんの?
綺麗ですねーとか、一字違ったらフカキョンだ!
とかいえないの?
そんでもって、ホントは奥さんがいたり、二股かけてて、
好きな人ができたとか突然いわないと駄目なんだからねー!」
いつのまにか、私の目には涙が溢れていた。
心の堰が切れてしまったように、涙が次から次へと溢れ出す。
しばらくの間、泣き続けていると、肩に山下くんの手が触れた。
その手は、分厚く熱がこもっていた。
「しゃれたことは、言えないかもしれないけど、
深田さんに辛い思いは絶対させません」
力強く答える山下くんは、まっすぐな瞳で私を見ていた。
それ以来、何となく山下くんと食事行ったりすることが多くなった。
付き合う時間が長くなると、実直な性格で、
私のことを大事にしてくれるという実感が持てる。
山下くんとは、ドラマチックな出会いもなく、ただ同じ会社に偶然いたということだけだ。
でも、何十億人もいるこの地球で、同じ国に生まれ、同じ会社を選んで、
同じ部署に配属されるというのも運命の出会いではないだろうか。
私はいつしかそう思うようになった。
幸せは、案外近くにあるものかもしれない。