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千の双子  作者:
2/7

彼女の影

まだ母が病んでしまっていない頃で、千早と千影は外で元気に遊びまわっていた。

理由はもうよく覚えていないが千早が突然泣き出したので途方に暮れていると、そこへやってきた少年がいた。年は二つか三つ上のように見える。

どうした、と訊くこともせず彼は千早に、林檎は好きかと尋ねた。しゃくりあげながら頷く千早に微笑みかけ、彼は懐から真っ赤な林檎を取り出した。

もらって一口かじると、千早は一瞬で笑顔になった。完全に泣き止むまで彼は優しく千早の頭を撫でていた。

それがきっかけで三人はよく一緒に遊ぶようになる。

少年、景通(かげみち)が村の領主の子だと知ったのはしばらく後になってからだったが、温厚で庶民的な領主に気後れすることもなかったので景通との関係が変わることはなかった。

しかし年月が流れるにつれて一緒に会う機会は少なくなっていった。母の心が弱っていき、千影があまり外に出なくなったこともその原因だった。

いつしか千影は、景通のことを思い出さないようになっていた。


◇◆◇


「姉さん。-姉さん?」

居ない。一体どこではぐれてしまったのか。

表通りを見ても千早の着物の茜色を見つけられないので、千影は今度は裏路地の方を見て回ることにする。店の角を曲がると、

「あ、すみません」

ぶつかりそうになって寸前で止まる。

「―おや、千影じゃないか。こんなところでどうしたんだい?」

聞き覚えのある声に顔を上げると、

「・・・・・・兄さん」

そこにあったのは、数年前に見たきりの景通の顔だった。



「早とはぐれたのか?それならむやみに動かずじっとしていた方がいい」

千早と千影は、幼い頃は互いに“ちいちゃん”と呼び合っていたのだが、景通はそれでは紛らわしいと言って二人を名前で呼んだ。それがいつからか千早の千が抜けて“早”と呼ぶようになったのだ。

どうもまだその頃の癖が抜けていないらしい。そういえば景通は千早と話していることの方が圧倒的に多かった。三人で、とはいっても千影は二人に、というより千早にくっついていたに過ぎない。

「・・・あなたは、ここで何をしていたの」

「何って?僕だって用があれば町に出るさ」

千影は黙って景通を睨みつけた。彼は肩をすくめる。

「怖いな。なるほど、君は相変わらず早を守っているわけだ」

そう言って景通は人当たりのいい笑みをこちらに向けた。

「早を影に染めないために君が影になるなんて、おかしな話だとは思わなかったのかい?」

よくも・・・ぬけぬけと。

「そうしろと言ったのは、あなたでしょうッ!?」


◇◆◇


私が、ちいちゃんの妹だったらよかったのに。

一人樹の下で膝を抱え、千影はそう考える。

景通と自分たちくらいに、年が離れていたらよかったのだろうか。

落とした視線の先に、見覚えのあるわらじを見つけて顔を上げる。見るとやはり景通で、逆光の中でいつものように穏やかな笑みを浮かべていた。


「―そうか、そんなことが・・・」

千影の隣に座って話を聞いていた景通は、思案気な表情を見せた。

「ねえ、千影」

景通は千影の頭を撫でた。

「千影の母君は、多分少し心が弱っているだけだと思うんだ。君たちは双子だから、何かと妙な目で見られることも多いだろう。しかし何より母君が心を痛めているのは、おそらく信行殿がお亡くなりになられたことではないかな」

「・・・父様?」

「心の拠り所を失くしてしまったんだ。さぞやお辛かっただろうね?」

気が付いたら、涙がこぼれていた。

「・・・かあさまは・・・そんなにつらい思いをしていたのに・・・今まで・・・」

自分たちのために、耐えていてくれたのか。

「私・・・かあさまに、何か出来ないでしょうか・・・?」

「受け止めることだ」

千影ははっと顔を上げた。景通は続ける。

「まだ幼い君には辛いことかもしれない。だが母君の弱さを許し、それを受け止めること。それが、千影が母君のために出来る唯一のことだ」

厳しい言葉。しかし今の千影はそれに縋る他ない。

「-千影。・・・早には、言うのかい?」

景通はじっと千影を見て、そう訊いた。

「ちいちゃん、には・・・」

双子の姉妹の顔を思い浮かべる。いつも見せる、光に満ちた笑顔。

「・・・いえ、言いません」

「一人で受け止めきれるか?」

「・・・はい、受け止めてみせます」

辛い思いをするのなら、それは自分一人でいい。

景通は肩に手を置き、じっと千影の瞳を見据えて言った。

「-いいかい、君たちは光に生まれた。しかし君の心にはこれから影が生まれることだろう。だが決してそれに屈してはいけない。早の心はまだ光に満ちているのだから。君は、早を守るんだ。君が影をすべて受け止めて、早の心が影に染まらぬよう守るんだ。どんなに大きな影でも受け止めてみせるんだ」

「・・・はい・・・・・・!」

「-大丈夫。君はきっとこれから強くなれる」

そう言って景通は微笑んだ。



千影の心に影を生んだのは母ではなく、


―景通だった。



◇◆◇


「今まで、あの時のあなたの言葉を信じてここまで生きてきたのに、今更そんな言い方・・・ッ!」

「だって、あれはただのおとぎ話だからね。君が影に染まれば早は救われる?そんなわけないだろう。君が影に染まれば染まるほど、早は君自身に染められていくに決まっているじゃないか」

景通は当たり前のようにそう言った。

「でも、ちいちゃんは・・・姉さんはまだ光で生きてる・・・!」

「それは、違うよ」

じっと目を見据える。

「千影が守っているからじゃない。それとは全く関係なく、早はただ、光そのものであるだけだ」

「光・・・そのもの・・・・・・?」

怪訝な顔を向ける千影に、景通は更に言う。

「光っていうのはね、そもそも影を感知することが出来ないんだ。だから、染まることも決してない。そういう風に出来ている、ただそれだけのことだ」

なんという・・・詭弁だろう。

こんな詭弁に、あのときの自分は縋ったのか。

それを今まで信じて生きてきたというのか。

「そういう人間もいるってことさ。不思議なことにね。僕とは全く逆の人間だ」

全く逆―つまり景通は、


―影そのもの、ということか。


「おっと、そんな話をしに来たわけじゃないんだ。ちょっと千影に、頼みたいことがあってね」

「用って・・・私にだったの」

「もちろんそれだけじゃないけれど、主な用はそれだね」

ずっと景通の顔に貼り付いている笑みを、初めて恐ろしく思った。千早も笑みを浮かべていることは多いが、もっと感情がはっきり表れている。

「なに、そんなに難しいことじゃない。ちょっとね―」

―耳元で囁かれた言葉。それが本当に、昔兄と慕っていた人物の言葉なのかと一瞬耳を疑った。

「ね、簡単だろう?」

「・・・あの・・・今、何を・・・」

「聞こえなかった?じゃあもう一度言うよ―」

聞き間違いではなかった。確実に、景通の口から、そう言った。

「・・・そんな・・・そんなこと・・・」

「うん、まあ考える時間くらいはあげてもいいよ。でも僕はそんなに気の長い方じゃないから、待てなくなったら他を当たるとしよう」

他。他ってまさか。

「言っておくけど早ではないよ。いくらなんでも彼女には無理だ」

その言葉に幾分ほっとしたのも束の間、

「でもまあそうだね・・・今のところ君しか当てがないのも確かなんだよね。あまり待たせるようなら、早の身の安全には気をつけた方がいいかもね」

「―ッ!?」

ばっと立ち上がった千影に彼は微笑んだ。

「言っておくけど、僕は本気だよ?冗談なんかじゃないからね。―まあ、せいぜい早く決めてくれよ。出来れば、良い返事を期待したいな」



どのくらい、その後姿を眺めていただろうか。


「―僕の父を、殺してくれないかな」


そんな冗談みたいな言葉は、千影の耳の奥にしばらく残り続けた。


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