取り合えずボクの思っている事
こんな事書くんだったっらチラシの裏でいいだろ…見たいな事が書いてありますので注意してください。
共感できる人がいれば良いなぁと思ってみたり。
トモダチの定義がわからなかった。
いつも殴られているのにトモダチと言ったり。 いつもパシられて入るのにトモダチと言ったり。
ボクから見れば唯のイジメしか見えないのになんでトモダチと言うんだろうか?
かなり昔に後ろの席にいる人に「キミとボクはトモダチなの?」って聞いたらなんていったと思う?
「俺は少なくと友達と思っているけど…お前は違うのか?」
逆に質問され困惑してしまった。
言ってはなんだがボクはそれなりに不幸だったと思う。
小・中からのイジメ 親戚からのイジメ 病にかかる
しかもその病は将来的には癌の可能性もあると言われた。
話が逸れた。
イジメを経験して今はなんともない高校生活を送っているがどうしてもその時の事を思い出してしまう。
初めは辛いと思った 苦しいと思った 悲しいと思った 死にたいと思った
死んだら何もならないとかいうけどそれは真っ赤な嘘だと思う。
ボクが思うに死は救いだと思う。
勿論道徳的にも倫理的にもボクの言っている事はおかしいだろう。
命なんてものは軽いし、ボクみたいな命なんてなおさらだ。
人間は平等と言うけどそれは大きな間違いだ。
これは確信を持って言えることだ。
だって平等だったらボクみたいな子供は生まれてこないから。
クラスの皆を見ていると羨ましいとさえ思った。
友達がいて 彼女が居て 好きな事が出来る そして好きなものが食べれる
好きな物を食べることさえできなかったボクは嫉妬した。
また話が逸れた。
仮にトモダチがいたとしてもボクをイジメから助けてくれなかった。
偶にクラスの皆が仲良く話しているのをみて、ボクもその中に入って楽しくお喋りしてみたいと思った。
例に入ってみたらそのグループからの視線に耐え切れずに直ぐにリタイア。
人の視線を複数感じると、どうしてもイジメの光景がフラッシュバックする。
吐きそうになる。
でもクラスの何人かにトモダチって言われたのは嬉しかった。
でも心の中ではどうせトモダチなんて思っていねぇだろなんて思ってしまう。
そう思ってしまう自分が悲しい。
涙は出ないけど。
こんな事を考えててる人って世界に何人いるんだろうなぁ。
読んでいただきありがとうございます。