赤茶けた屋根の街
その朝も、いつも通り満員電車に揺られていた。
仕事に疲れ果てたサラリーマンの僕は、吊革に掴まりながらうとうとと船をこいでいた。
最近、残業が続いていて、ろくに寝ていない。
まぶたが重い。
このまま少しだけ……と思ったら、意識はあっという間に落ちていった。
どれくらい時間が経っただろう。
ふと目が覚めると、窓の外の景色がいつもと違っていた。
高架などないはずのこの路線が、なぜか高い高架の上を走っている。
車窓の下には、錆で赤茶けた瓦屋根が延々と続いていた。
古い住宅街。
どこかで見たことがあるような、懐かしい風景。
(……ここ、どこだ?)
電車がゆっくりと減速し、次の駅に停まった。
無性に降りたくなった。
僕は鞄を握りしめ、流されるように電車を降りた。
駅の改札を出ると、そこは線路沿いに続く長い商店街だった。
錆びた看板、昭和のまま時が止まったような駄菓子屋、魚屋の水の流れる音、豆腐屋の「とうふ」ののぼり……。
全部、なぜか知っている気がした。
僕は吸い寄せられるように、その赤茶けた商店街を歩き始めた。
道の途中で、ある一軒の家の前で足が止まった。
木造の小さな平屋。
引き戸の色、植え込みの位置、軒先の水道の蛇口まで、すべて頭の中にある。
(……来たことないはずなのに)
無意識に手を伸ばし、引き戸を開けた。
ガラガラという音が、懐かしく響いた。
中に入ると、記憶通りの間取りだった。
土間、狭い廊下、奥に六畳の和室。
コタツがあって、テレビが置いてあって、ふすまの向こうには布団が敷いてある。
全部、知っている。
「ただいま……」
思わず口に出してしまった。
その時、玄関の方で音がした。
「おかえり、ひろしちゃん」
振り返ると、見知らぬおばさんが立っていた。
六十代くらい。柔らかい笑顔。エプロンをしている。
僕はひろしという名前ではない。
でも、その呼び名が、なぜか胸の奥にしみた。
おばさんは何も疑う様子もなく、台所へ向かいながら言った。
「今日は早いね。ご飯、もう少しでできるからね」
僕はただ、頷くことしかできなかった。
その家で過ごした時間は、夢のように穏やかだった。
おばさんが作ってくれた味噌汁とご飯。
少し焦げた焼き魚。
風呂に入って、温かい布団に包まれて、子供の頃に戻ったような安心感。
おばさんは僕のことを「ひろしちゃん」と呼び、昔話をするように笑っていた。
そして、ふと目が覚めた。
……朝の通勤電車の中だった。
吊革に掴まったまま、僕は目をこすった。
車窓には、いつもの灰色の街並みが流れている。
高架も、赤茶けた屋根も、どこにもなかった。
夢だったのか。
でも、胸の奥に残る懐かしさと、ほんのりした温かさは、夢だとは思えなかった。
僕は小さく息を吐き、窓に額を押しつけた。
あの赤茶けた屋根の街は、
今も、どこかに存在している気がした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この話は、日常の中でふと訪れる「説明のつかない懐かしさ、切なさ」をテーマに書きました。
赤茶けた屋根の街。知らないはずの街で「ひろしちゃん」と呼ばれる……そんな不思議な時間を、静かに描いてみました。
読んだ後に、ぼんやりと窓の外を見てしまうような……そんな短編になっていたら嬉しいです。
また次の作品でお会いできれば幸いです。




