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一反木綿さんと一緒

死なないボクの永遠の夜

掲載日:2026/03/05

「サント、そこにいるかい?」


 岩戸の向こうから、母がボクを呼ぶ。

 ボクは手元でカリカリと弄っていた念珠から手を離し、顔を上げる。


 サント? ボクはそんな名前だっただろうか。

 でも、母が呼んでいるんだから、きっとボクだ。


 いるよ、と答えようとして、ボクの喉からは意味不明なうめき声だけが溢れ出す。


 暗い岩戸の中、話す相手も居らずただ闇だけを見つめて来たボクは、声の出し方も忘れてしまったようだ。


 だが、母はボクだと分かってくれたんだろう、安堵したように深いため息を吐く。


「良かった、元気なんだね。ごめんね、もっと頻繁に来れればいいんだけれど、村の掟でこの山に入れるのは年に一度だけなんだ」


 泣いているのか、母の声は震えている。


「ゔぁ……」

 大丈夫だよ、分かっているよ。

 忘れずに必ず来てくれるだけで、ボクは嬉しい。


「それでね、お前には辛いだろうが、また仕事の時期が来たんだよ」


「ゔ……、ゔん……」


「お前はずっと頑張って結界を見守ってくれているのに……すまないね……」


「だ……じョ゙……」

 大丈夫、ボクの仕事だ、ボクにしか出来ない事だ。

 岩戸の外から、ガゴン、とつっかえ棒が外される音がする。


「ここに麦湯と握り飯を置いていくよ。こんな事しかできなくてごめんね、許しておくれ」


 やった! 嬉しい。母の握り飯を食べられる。

 仕事の時の唯一の楽しみだ。


「あぃが……と……、お、かぁ……」

 固い喉からお礼を絞り出した頃には、母はもうやしろから出ていってしまったようだった。

 弱った身体に鞭打って、ボクは時間をかけてやっと岩戸をこじ開け、薄っすらと光の差し込む社の中へ這い出した。


 暗闇に慣れたボクの目には、新月の星の光ですら刺すように痛い。

 眩しい光を透かして湯呑みと竹の皮を見つけ、その上に乗った握り飯を貪り、湯を飲み干す。

 ふう、と一息ついて、ボクは喉に手を立てる。


「んっ、んーっ。あーあー。うん、声出るね」

 不死身のボクはこれだけで全て回復する。母の気持ちのこもった握り飯さえあれば、ボクは無敵だ。


 そう、ボクは不死身だ。

 なぜこうなのかは知らない。両親は普通の人間なのに、なぜボクがこんな風に生まれたのか、誰に問うても、誰も何も知らなかった。


 辛いこともあるが、不死身だからこそこうして母の役に立てる。


「さて、仕事だ」

 ボクは社の扉を開け放つ。

 外からの風が吹き込んで、扉の結界にパキン、と亀裂が入る。


 岩戸の奥に渦巻いていた邪気が結界の亀裂に殺到し、そこに巨大な化け物を生みだした。


   *   *   *


「ここに入りなさい、ここで待っていて」

「え、やだ、おっかあ、ボクおっかあと一緒に行く」

 初めて岩戸に連れてこられた時、ボクは怖くて母に縋り付いた。


 山の中腹にひっそりとある殿社。崖に半分埋まるように作られた社の扉は、封じるように札が貼られている。その扉の横に回り込み、小さな潜り戸をそっと通って社のなかに入る。

 社の中は思ったより広く、ぽかりとひらけたいわやの床に板の間が張られている。そして、暗く湿ったその奥の、ゴツゴツとした岩壁に嵌まるように、小さな岩戸があった。


「ねえ、ここはイヤだ。怖いよ、一緒におうちに帰ろうよ」

「ダメだよ、村に戻ればまた死ぬほどに殴られる」

「ボクは死なないから大丈夫だよ、ねえ」

「ダメだよ。……おっかあが、耐えられないんだ」


 母はボクから目を逸らし、顔を覆って嗚咽を漏らす。


「泣いてるの? ごめんなさい、おっかあ、ボクここにいる、ここにいるから泣かないで」

「おっかあが弱くて……守れなくてごめんね」

「大丈夫だよ、おっかあが弱くても、ボクがおっかあを守るからね」

 大丈夫、大丈夫、とボクは精一杯背伸びをして母の頭を撫でる。

 大きく息を吸った母は、ボクのその手をグッと握った。


「おっかあ?」

「これはおっかあが大事にしてきた念珠だ、お前に預けるからね。おっかあはこれを返してもらいに戻って来るから。約束だよ」

 母は懐から取り出した黒い念珠をボクの手首に絡めてから、岩戸に向かう。


 母がこじ開けた岩戸の奥は、先が見えない真っ暗な洞窟だった。


「……ほら、これを持って中に入って。おっかあが外から岩戸を閉めるからね」

 そう言って、竹の皮に包まれた握り飯と、竹筒に入った麦湯を渡してくる。


「いいかい、洞窟の奥は悪い気の渦巻く邪気溜まりだ。でも、岩戸には術がかかっているから邪気は近寄れない。おっかあが迎えに来るまで、岩戸から離れるんじゃないよ」


 母の麦湯は、炒った麦に薬草を少し加えて煮た汁だ。殴られたボクが少しでも早く痛くなくなるように、と願いを込めて煎じてくれる。


 ボクはその竹筒をぎゅっと握りしめて、小さく頷く。


 そして、岩戸は閉じられた。


   *   *   *


 しばらくして、ボクは外の騒ぎに目を覚ます。


 岩戸の中で闇の恐怖にすすり泣いていたボクは、いつの間にか寝入ってしまっていたようだった。


 まだ握り飯も水筒も手つかずだ。

 ボクは岩戸に貼り付いて、外の騒ぎに耳を澄ます。


「間違いない。……の女とガキの足跡が……」

「よくも……なところに……隠し……」

「待てよ、……は正面を開けたらダメ……横の小さい戸口から……」

「……っさい! ガキが居られるん……化け物とかウソ……」


 ガコン。扉を開く音がした。

 同時に。


 バキイイイン!!


「うっ」

 甲高く何かが割れる音が響き、ボクは思わず耳を塞いだ。


 こんなにキンキンした音に誰も気づかなかったのか、男達は何のためらいもなくドカドカと社に踏み込んできたようだ。

「ほら、なんにもいねえじゃねえか!」

 そんな声とともに、岩戸が外から引き開けられる。

 岩戸に寄りかかっていたボクは、不意に支えを失い社の床に転がり出た。


「こんなところにいたのか、探したぜぇ。村から逃げ出そうなんて百年早えんだよ!!」

 ガツン、と思い切り腹を蹴り上げられる。


 握り飯をまだ食べていなくてよかった。吐いてしまうとこだった、もったいない。

 ふっ飛ばされて床に転がりながら、ボクはそんな事を考える。


「うめき声ひとつ上げやがらねえ、気味の悪いガキだ」


 泣き喚くほど、助けてと言うほどもっと酷く殴られたから、声を上げないようにしたのに、そうしたらしたで気味が悪いと殴られる。

 ボクは学習したよ。

 どうせ変わらないなら、泣き喚くことに無駄に力を使わないほうがいい。


 バカバカしさに思わずクスッと笑ってしまったら、男たちがいきり立つ。

 しまった、殴る理由を与えてしまった。

 まあ、大して変わらないけど。


「なんだコラ、バカにしてんのか!」

「お前は惨めにボロボロに殴られて、泣き叫んでりゃいいんだよ!」

「助けてくださいって這いつくばって見せ……」


 ゴルルルルル。


 突然、岩戸の奥の洞窟から不気味な音が響く。


「えっ」

 顔を上げた男の首がひとつ吹っ飛んで、血しぶきとともにごろりと床に転がった。


 洞窟の奥から、不気味な、笑うような呻き声が響く。


 そして、呆然とした村の男達の目の前に、人とも獣ともつかない巨大な化け物が姿を現した。


 長い爪。

 鋭い牙。

 黒く長い毛の中から覗く赤い瞳。

 大きな口からはダラダラと臭いよだれが垂れている。

 その口が、にったりと大きく弧を描いた。


 そこからは阿鼻叫喚だった。

 何人もの男たちが化け物の爪に裂かれ、牙に刺されて飲み込まれる。

 ボクはそれを社の隅に転がったままただ身を固くして眺めていた。


 社の外に転がるように逃げた男達を追っていった化け物は、扉のところで見えない壁にぶつかって止まる。


「で、出てこねえ……? あいつ、社からは出られねえのか?」

「わかんねえけど、社を壊して出てきそうだよぅ」


 化け物はイライラとしたように、見えない壁に体当たりをし、ガリガリと爪を立てる。


 その時、一人の老人が扉の前に飛び出した。


「キョウヨウ様、お鎮まりください!」


「村長……? あの化け物は、キョウヨウというのですか?」

「化け物ではない! キョウヨウ様だ! 村の悪いものを吸い取ってくれる狒々神様だ!」


 悪いものを吸い取る? ボクの目にはどちらかと言うとその悪いものが溜まって凝った化け物に見えるけど……。


「いいから、お前たちは早く祈祷師様を呼んでこい! 扉を閉じるんだ!」

「へっ、へえ!」

 何人かの男が転がるように山を駆け下りていく。


 がああああ、と化け物が吠えた。


「キョウヨウ様、キョウヨウ様、そこに生贄がございます!」


 村長は社の扉の前に平伏して、手だけでボクを指さす。

 あ、ボク?


 確かにもう社の中にはボクしか残っていない。


 ボクは慌てて扉へと向かったが、扉の外の男達に中へと突き戻された。


「その生贄はなかなか死にません。切り裂いても千切っても、どうぞお好きなように弄びください!」


 いくらボクでも化け物に八つ裂きにされたら死んでしまう気がする。

 そう思っても逃げ場がない。


 キョウヨウと呼ばれた化け物はにやりと笑い、ボクを指でつまみ上げると、丁寧に引き裂き始めた。


   *   *   *


 痛い。痛い。痛い。


 少ししたら回復するのが逆につらい。


 キョウヨウはすぐにボクの弄び方を覚え、痛みに気を失ったボクを見守り、少し回復してきたらまた引き裂き、少しずつ肉を喰らうというのを繰り返すようになった。


「うげぇ……」

 扉の外にはボクが逃げ出さないように何人かの男たちが見張りについていたが、あまりの凄惨な景色に吐く者までいる始末だ。


 見世物にされているようで気分が悪い。


 せめて目の届かないところに、と這いずるように洞窟に逃げ込もうとしたら、キョウヨウに先回りされて道を塞がれた。


「あっ」

 洞窟に回り込んだキョウヨウが、母の握り飯をひとつ、踏み潰した。


「おっかあの握り飯!」

 ボクは恐怖も痛みも忘れて握り飯に飛びつく。


 死ぬならせめて、母の握り飯だけでも食べたい。


 ぺっちゃんこになってドロもついているそれを、ぼくはそのまま口のなかに詰め込んだ。


「うあ……っ」

 握り飯をグッと飲み込んだその瞬間、体内でそれが爆発したかのように、腹に酷い痛みが走る。

 踏み潰された時、握り飯にキョウヨウの妖気がなすり付けられたらしい。腹の中で制御不能な何かが暴れている。


 自分の妖気を腹に飲み込んで、苦しみ、のた打ち回るボクを、キョウヨウはしばらく面白そうに眺め。


 やがてその妖気を消化して、自分のものにしたボクに驚愕の目を向けた。


   *   *   *


「これは……どういうことじゃ」

 祈祷師が社の前に着いた時、ボクは蹴散らした化け物の残骸の上に座り、母の握り飯と麦湯を貪っていた。


「あいつ、あいつ、握り飯を食ったら急に強くなって……」

 村の男の怯えたような報告に、祈祷師は目を細めてしばらくボクを見つめる。やがて、

「なるほどな……」

 と呟き、ズタズタと社に踏み込んでくると、

「大変だったな、ご苦労だった」

 とボクに微笑みかけた。


 そして、へら、と笑い返したボクを洞窟の奥に突き飛ばし、ボクの目の前で岩戸を閉じた。


「なんで!? 開けてよ!」

 洞窟の中に取り残されたボクは、岩戸に飛びついて叫ぶ。


 そうしてしばらく泣き叫んでいると、

「すまないね……」

 岩戸の外で、母の声がした。


「おっかあ?」

「すまないね、坊や。でもここにはお前を殴るものはいないよ。だから安心して、ここで洞窟を見張っていておくれ」

「えっ、イヤだよおっかあ」

「お前は強い子だから、きっと出来るよ。頑張って見張っておくれ。そして、もしキョウヨウ様が出てきたら、今みたいにやっつけておくれ」

「イヤだよ、怖いよおっかあ」

「この仕事がちゃんと出来たら、村のみんなもお前を見直して、殴られなくなるし、みんな一緒に遊んでくれるようになるよ」

「……本当? おっかあも、もう泣かない? また一緒に暮らせる?」


 一瞬、岩戸の外で息を呑むような気配がした。

 だが、すぐに何事もなかったように、母は優しく話を続ける。


「もちろんだよ。仕事を頑張っていたらいつか許されて、おっかあと一緒にずっと幸せに暮らせるよ」


 ボクはそれからずーっと、岩戸の中で洞窟を見張っている。

 そして、年に一度、母と村の人達のために、化け物と戦ってそれを退けている。


 これまでに確か七回。


 次で八回目。まだ許されないのかなぁ。


   *   *   *


 暗い、なぁ。

 それに、静かだ。


 岩戸の中は昼も夜もなく、ただ闇だけがある。


 化け物を見張っていると言っても、洞窟の奥に少しずつ邪気が溜まっていくだけで、ボクにできることは何もない。


 どれほど経っても慣れることはない静寂と闇。


 でも、ボクには母の念珠がある。


 母が歌っていた子守唄を小さい声で口ずさみながら、ボクは念珠の珠をカリ、カリ、と爪でひとつずつ数えながら回す。

 何周回したか分からなくなったらまた親珠に戻って一から数える。


 そのうち歌っているつもりの声も出なくなり、ただカリカリという音だけが洞窟内に響く。


 自分の境目が無くなって闇に溶けてしまいそうだ。

 だけど、母の念珠がここにある。

 母が必ず迎えに来てくれる。


 キョウヨウとの闘いの中で、念珠は何度か切れ、珠がいくつか失われて、少し短くなった。


 キョウヨウと闘ったあとは、ボクは大抵動けないほど疲弊しており、それを村の男たちが洞窟に放り込む。


「おっかあ、おっかあは……」

 声をかけても男たちはそれを無視して、社の床に散らばった血塗れの念珠の珠を洞窟に蹴り込んで岩戸を閉める。


「おっかあ、まだ許されないの、顔を見せてよ、おっかあ」

 岩戸に呼びかけても、答えは返ってこない。 


 村では祭りが行われている。

 耳障りな音で古い結界が割られ、新しい結界が張られたようだ。その知らせに歓声が上がり、そこから賑やかなお囃子と歌声が、いつまでも続く。


 遠く響くその楽しげな声を聞きながら、ボクは闇の中這いつくばって念珠の珠を探し、切れた糸を手探りで結びなおしてまた腕に巻く。


 男どもが酒を酌み交わしながら大声で笑っている。

 女たちのさざめき。

 子どもたちのはしゃぐ声。


 母もあの中にいるのだろうか。


 岩戸に寄り添って、ボクは目を閉じ、母と共に祭の中に居る妄想をする。


 ここからまた一年。


 暗闇の中での一年は、信じられないほど長い。


   *   *   *


 息が上がる。


 今年はキョウヨウが強い。


 なんだろう。年々強くなっている。


 溜まる邪気が増えたのかな。村で何かあったんだろうか。母は大丈夫なのだろうか。


「ぐう……」

 片腕を引き裂かれて、ボクは扉の結界に力いっぱい叩きつけられる。


「くそ、痛ったいな……」

 目眩に頭を振った時、視界の端、結界のすぐ外に女の姿があるのに気がついた。


「ひっ……」

 血塗れのボクの姿を見て、女は恐怖に息を呑む。

 そして、すぐ後ろにいた祈祷師らしき男に、縋り付くようにして懇願する。


「ねえあなた、もうやめましょう。こんなこと、許されることじゃありません!」


 あれ、この声……。

 何かが心に引っかかったが、キョウヨウが突進してきたためそんなことに構っている暇はなくなった。


 結界の外では女と男の言い争いが続いている。


「お願いですから……」

「うるさい!」

 祈祷師らしき男は、女を振り払い、杖で殴りつける。

 知らない祈祷師。

 前の祈祷師はどうしたんだろう?


「村を守るための邪気払いだぞ、これをせねば結界から漏れた邪気で村人が狂う」

「でも、こんな小さな子に犠牲を強いるなんて」

「小さな子?」

 祈祷師は嘲るように笑う。


「お前にはアレが人の子に見えるのか? あのぼうぼうの毛に包まれた、薄汚れた裸の猿が?」


「なんてひどいことを……。どう見ても、お世話されていないだけの、人間の子どもではないですか……!」


「人間ってのはな、年をとるんだよ」

 ふん、と祈祷師は鼻で笑う。


「邪気払いが始まって80年だ。私の知る限り、10年前も20年前も、アレはまったく姿が変わらない。元は人間かもしれないが、今は既に化け物と化しているんだよ。ああやって結界に阻まれているのが何よりの証拠だ」


 ……80年?

 8年じゃないのか?


 ボクはキョウヨウと戦いながら社の外の声を聞く。


「それでもこんな子どもを騙すようなこと、人の道に……キャアッ」

 殴る音。女の悲鳴。


「生意気な。その声がなければ離縁してやるものを……!」

「……声……?」

「そうだ。その声色の芸がなければ、誰がお前のような下賤な女を嫁になどするものか。ジジイが死ななければ……クソっ」

「…………そう。わかりました」


 不意に女は冷たい声を出し。


 気がついたら、ボクは社に駆け込んできたらしい女に抱きしめられていた。


「坊や、もう戦わなくていい! あんたは自由になって!」


 母の声だ。


 母じゃないのに、母の声がする。


 驚いて目を見開いたボクの視線の先に、爪を振り翳したキョウヨウが居た。


「危ないっ……」

 咄嗟に女を抱えて後ろに飛んだが、ボクの背中はドンと結界に当たり、女の背中はキョウヨウの爪に切り裂かれた。


「……っクソッ、この邪魔な結界!」


 ボクは結界に力を込め、これを吹き飛ばした。


 結界の割れる高く澄んだ音と、歓喜に満ちたキョウヨウの吠え声が、新月の夜空に響き渡った。


   *   *   *


「うん、あたしがあんたのおっかあの声真似をしてたんだよ……ごめんね、騙すようなこと……」


 遠く村の方向から悲鳴がいくつも響いてくる。祈祷師はとっくに引き裂かれて、そこに転がっていた。


 ボクには女の言っていることがよくわからない。


「ふうん? で、おっかあは? いつ迎えに来てくれるの?」

 結界を割って気がついた。村に母の気配はない。それならキョウヨウを留めておく必要はないから放っておいたら、奴はボクに目もくれず真っすぐ村へ下りていった。

 母はどこにいるのだろう。


「あんたのおっかあは、最初の化け物退治の前に、村の皆に追い詰められて、崖から落ちて死んじまったって聞いたよ」


「えっ? そんなわけないよ、あの後ボクにここを守るように言ったのはおっかあだよ」

「それは、前の祈祷師の声真似の術だよ。こいつはその術が使えないから、私を見つけて連れてきたんだ」


 吐き気がする話だよ、と女は顔を歪め、げほ、と咳き込むと血を吐き出す。


 背中の傷は致命傷だ。もう持たないだろう。


「あんたのおっかあは……、あんたの服を着せた人形と一緒に逃げ回っていたんだって。クズどもをあんたから引き離して……、あんたを守ろうと……」


 なんの話だかよくわからない。

 だが、頭が理解を拒否しているのに、怒りが腹から湧いてきて抑えきれない。


 村に人の気配が消え、キョウヨウの妖気が山を下りていくのを感じる。


 ああ、あいつにやらせるんじゃなかったな、ボクが奴らを滅ぼしてやればよかった。


「……だめだよ」


 女が震える手を伸ばしてボクの頬を撫でる。


「……おっかあは、あんたにそんな顔をさせるために守ったんじゃない」

「あんたにおっかあの何が……」

「わかるよ」

 女はもう一方の手を自分の腹に当てて、優しく微笑む。

「……わかるんだよ。おっかあの祈りが私にはわかる。どうか……、どうか、幸せに……」


 ぱたり、と女の手が落ちる。


「幸せに……?」

 この言葉に、パキン、と記憶の蓋が開く。


 思い出した。

 母はボクを迎えに来るつもりだった。

 それが叶わなくても、なんとかボクを逃がそうとしてくれていたんだ。


   *   *   *


「いいかい、麦湯は少しずつ飲むんだよ。それを飲み終わってもおっかあが戻ってこなくて、喉が渇いて我慢できなくなったなら、自分で岩戸を開けて村と反対方向に走りなさい」

 握り飯と麦湯を渡したその手で、母はボクの手を包むようにぎゅっと握る。


「反対方向?」

「おっかあは村にいないからね、村には戻っちゃダメだよ」

「う、うん、わかった……」


「いいかい、いつかきっと会えるから、おっかあのことは無理に探さなくてもいい。お前はちゃんと幸せになるんだよ。お前が幸せに暮らしてたら、いつか絶対おっかあと会えるからね」


「うん、ボク幸せに暮らす!」

「いい子だね。少しの間、我慢してね。岩戸から離れるんじゃないよ」

 そうして母は、最後までボクを見つめたまま、岩戸を閉める。


「幸せになるんだよ……、山都やまと……」


 母の後ろには、ボクの服を着せた藁人形が静かに横たわっていた。


   *   *   *


 ボクは山を少し下ったところでキョウヨウを打ち滅ぼした。


 これで、ボクの仕事はおわりだ。


 あの悪意にまみれて腐った村がなければ、あの洞窟にももう邪気は溜まらないだろう。


 あの洞窟から漏れる邪気で村がおかしくなっていたのか、村が腐っていたから邪気が溜まったのか、そこはよくわからない。


 それにしても、8年だと思っていたら80年か。


 最後の闘いの中で念珠の糸は限界を迎え、細かく千切れて風に散った。

 バラバラになった珠は風に煽られてコロコロと地面に転がり、キョウヨウの遺骸の周りを広く囲んで自然と結界を形作る。


 ふうん?


 神か仏か知らないが、奇妙なことをするじゃないか。


「ボクの念珠なんだけどなぁ……。まあいいけど」

 ボクは結界からあぶれた珠をいくつか拾う。


「さて……。幸せ、ねぇ……」


 ボクの幸せ。

 もうよくわからなくなったその概念を、ボクは探しに行かなくちゃ。


 念珠の珠をひとつ、何気なく空に透かす。


 黒だと思っていたそれは、夜明け近くの深青の空の中で、美しい緑色を見せていた。


終わり



(以下、おまけ。『前世のパパは同級生』の番外編です)


「……というわけで、ボクは幸せに暮らしてるんだよ。めでたしめでたし」

「めでたくないじゃん!」

 私はボロボロと泣きながらシキに怒鳴る。

「わ、怒られた? なんでよ、なんでおヒメちゃんが泣くのよ」

「だってだって……」

 シキはそんな私に苦笑し、ポンポンと頭を撫でてくれる。

「……本当に幸せなんだよ。ちょっと遅くなると思うけど、母にもいつかきっと会えるから」


 シキの言葉に私の涙腺は崩壊し、一反木綿に慰められてやっと泣き止んだ時には、なぜかシキと虚空が向こうの方で闘っていた。


「何やってんのあれ」

「……男の子には色々あるさかいに、乙女は黙って見てはったらええんです。あんなん、あのふたりにはじゃれてる程度です」


 よくわかんないけど、そうなのか。物凄く殺気立って見えるけどなぁ。


「山都って、シキの本名?」

「本名言うか幼名やろか? にかわ屋はんはずーっとにかわ屋はんでしたからな、ご自身でもピンときてないんちゃいます?」

 木綿ゆうはんはシキと呼んで差し上げるんがよろしいです、と一反木綿は笑う。


「そっか……」


 私はふたりが闘ってるのをぼんやりと眺めながら、一反木綿が持ってきてくれたペットボトルのお茶をひと口、コクリと飲んだ。

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