夜間整理中に開いた古書が異世界接続キーでした。チートなし図書館司書ですが、知識だけで事件解決できますか?
閉館後の図書館は、昼間とはまったく違う顔を見せる。
壁に沿って並ぶ無数の本棚が、まるで静かな見張り番のように立ち並んでいる。
足音だけが妙に大きく響くから、思わず歩き方まで気をつけてしまう。
俺、安藤ハルキ、二十五歳。
市立図書館の司書として働いて、もう三年目になる。
「今日も地味な仕事だな… 」
そんな独り言を呟きながら、返却された本を台車に積んでいく。
華やかな仕事じゃない。でも、俺はこの仕事が好きだ。
本に囲まれて、知識の海を泳ぐような毎日。
派手な人生じゃないけど、それでいいと思ってた。
思ってたんだけど…
「安藤くん、悪いんだけど」
上司の田村さんが、申し訳なさそうに声をかけてきた。
「地下の特別蔵書室、そろそろ整理しないとまずいんだよね。今日、少しでいいから手をつけてもらえる?」
「あ、はい。大丈夫です」
特別蔵書室。一般には開架されていない、古書や寄贈本が眠る場所だ。
正直、埃っぽくて整理が大変なんだけど、掘り出し物に出会える可能性もある。本好きとしては、ちょっとワクワクする仕事だ。
地下への階段を降りると、ひんやりとした空気が肌に触れる。
重い扉を開けると、古い紙とインクの匂いが鼻をつく。
薄暗い室内に、天井まで届く本棚がいくつも並んでいる。
「うわ、相当溜まってるな……」
段ボール箱が積み上げられ、分類されていない本が雑然と置かれている。
これは一日じゃ終わらないかもしれない。
とりあえず、手前の棚から整理を始める。
背表紙を確認して、分類番号を調べて、目録に記入して――その繰り返し。単調な作業だけど、嫌いじゃない。
むしろ、この静かな時間が心地よかったりする。
そして、奥の棚の最上段に手を伸ばしたとき。
「……なんだ、これ?」
他の本とは明らかに違う、美しい革装丁の本が目に入った。
埃を払うと、表紙には複雑な魔法陣のような模様が描かれている。
タイトルらしき文字は――読めない。
古代文字みたいな、不思議な書体だ。
でも、なぜか「ムンドゥス・コグニティオ」という音が頭に響いた。
手に取ると、ほんのり温かい。
「綺麗な装丁だな……」
司書として、古い本の扱いには慣れている。
慎重にページを開こうとして――
その瞬間だった。
急に視界が真っ白に染まった。
浮遊感。重力が消えたような、ふわふわとした感覚。
耳鳴りがして、全身が光に包まれる。
「えっ、何――」
言葉が途切れる。
そして――
気がついたとき、俺は石畳の上に立っていた。
「……は?」
目の前に広がるのは、見たこともない景色。
石造りの建物が立ち並び、木造の看板が風に揺れている。
道行く人々は中世ヨーロッパみたいな服を着ていて、遠くから馬の嘶きが聞こえる。
空は青く澄み渡り、太陽の位置は――昼過ぎ、くらいか?
「夢……だよな?」
頬をつねってみる。
普通に痛い。めちゃくちゃ痛い。
じゃあ、これは現実? でも、さっきまで図書館にいたはずだ。
そう、あの本を開いて――
「あの本、何だったんだ……?」
混乱する頭で周囲を観察する。
司書の職業病というか、情報を集めて整理する癖が自然と働く。
町の規模は小さい。人口は五百人くらいだろうか。
中央に広場があって、井戸が見える。
商店らしき建物、宿屋の看板、石造りの立派な家――おそらく町長の家だ。
「旅の方ですか?」
突然、声をかけられて飛び上がりそうになった。
振り向くと、白髭を蓄えた老人が温和な笑顔で立っている。
「あ、はい……そうです、旅の……」
言葉が通じる。
それどころか、自然に口から出てくる。これも本の力?
「おお、これは珍しい。我々の町、ルーンベルクへようこそ。
私は町長のグレゴールと申します」
「安藤ハルキです。あの、実は……」
何から説明すればいいんだ?
異世界から来ましたなんて言っても信じてもらえないだろう。
というか、自分でも信じられない。
「学者様のようにお見受けしますが」
「え、あ、はい。本や知識を扱う仕事を……」
「それは素晴らしい! 実は、ちょうど困っていたところなんです」
町長――グレゴールさんは、俺を町長の家に案内してくれた。
応接室のような場所に通され、お茶まで出してもらう。
夢にしてはリアルすぎる。
「実を言うと、この町にはいくつか問題が起きていましてね」
グレゴールさんは困り顔で語り始めた。
問題は主に三つ。
一つ目、町の中心にある井戸の水が突然枯れた。
農業用水として重要なのに、もう三日も水が出ていないそうだ。
町人たちは「魔物の呪い」だと恐れている。
二つ目、町を守る古代の魔法陣が不安定になっている。
時々、魔力が暴走して光を放つ。
このままでは大きな事故につながるかもしれない。
三つ目、商店の倉庫から食料が盗まれている。
外部の盗賊かもしれないが、証拠がない。
「魔法使いを呼ぼうにも、辺境のこの町まで来てくれる人はいません。もし学者様のお知恵で何とかなるなら……」
グレゴールさんの目には、切実な願いが込められていた。
俺は――この村を救えるような能力なんてない。魔法も使えない。
ステータス画面みたいなものも見えない。
持っているのは、今まで読んできた本の知識だけだ。
でも。
「分かりました。できる限り、やってみます」
なぜか、そう答えていた。
困っている人を放っておけない。
本を通じて得た知識で、誰かの役に立てるかもしれない。
司書として――いや、まず一人の人間として、やれることをやりたい。
まず井戸の問題から取り掛かることにした。
広場の井戸は確かに枯れていて、底を覗いても水は見えない。
周囲の町人たちは不安そうに集まっている。
「最近、何か変わったことはありましたか?」
「うーん、特には……あ、そういえば北の道を広げる工事をしてましたね」
宿屋の女将――マルタさんが教えてくれた。
道路工事。地下水脈が変わった可能性がある。
地学の基礎知識だけど、地下水は地形の変化に影響を受けやすい。
「その工事現場を見せてもらえますか?」
案内してもらうと、確かに大規模な土木工事の跡がある。
岩を砕き、土を盛って道を平らにしている。
(もし地下水脈が変わったなら、新しい水源を見つけるか、流れを元に戻すか……)
ふと、手元の『世界観察録』――いつの間にか持っていた、あの本が淡く光った。
ページを開くと、この世界の基礎知識が記されている。
辞書のように使えるらしい。
「水源探査の魔法陣……か」
古代文明の遺産として、各地に魔法陣が残っているという。
この町にもあるはずだ。
「あの、この町に昔使われていた魔法陣の場所を知っている人はいますか?」
「魔法陣? ああ、古老のエルヴィンなら知ってるかもしれない」
マルタさんが、町外れに住む老人の家まで案内してくれた。
エルヴィンさんは八十を超える老人で、物知りだと評判らしい。
「水源探査の魔法陣か……そういえば、町の西の丘に古い石碑があった。子供の頃に見た記憶がある」
「案内してもらえますか?」
エルヴィンさん、マルタさん、そして何人かの町人と一緒に西の丘へ向かう。
草に覆われた石碑を見つけたとき、心臓が高鳴った。
きっとこれだ。複雑な幾何学模様が刻まれていて、中心には古代文字が円環状に配置されている。
「これを起動できれば……」
魔法陣の仕組みを観察する。
まるでプログラミング言語みたいだ。
一つ一つの文字が命令で、全体で一つの機能を果たしている。
『世界観察録』に記された起動方法を確認する。
特定の順序で文字に触れ、魔力を込める。
魔力なんてないけど、頑張ればいけるかもしれない。
深呼吸して、集中する。
一つ目の文字に触れる。温かい。
二つ目、三つ目――リズムよく、順番に。
石碑が淡く光り始めた。
「おお……!」
町人たちが息を呑む。
そして、石碑の根元から水が湧き出した。
透明で冷たい、綺麗な水だ。
「水だ! 水が出た!」
「学者様、すごい!」
町人たちの歓声が上がる。
俺は――なんだか照れくさくて、頭を掻いた。
「次は魔法陣の暴走、ですね」
町を守る守護魔法陣は、町の北門にあった。
確かに時々、青白い光を放っている。不安定だ。
近づいて観察する。文字の一部が風化で消えかけている。
パターン認識で元の形を推測する。プログラムのバグ修正みたいなものだ。
『世界観察録』の記述と照合しながら、消えた文字を復元する。
チョークで書き足して――魔力を込める。
魔法陣が安定した光を放ち始めた。暴走は止まった。
「これで大丈夫です」
「本当にありがとうございます、学者様!」
最後は倉庫の盗難。
現場を検証する。窓の鍵は内側から開けられている。
盗まれたのは食料と日用品のみで、貴重品には手をつけていない。
これは――内部犯行で、しかも金目当てじゃない。
生活に困っている誰かだ。
町人たちに聞き込みをすると、最近仕事を失った若者がいるという。
名前はトマス、十八歳。
トマスを見つけて話を聞くと、案の定だった。
家族が病気で薬代が必要だったが、お金がなく、今日食べるものもなかったようだ。
盗みは悪いと分かっていたが、他に方法がなかったという。
「町長に話してみます。あなたに仕事を用意してもらえるよう」
「本当ですか……!」
トマスは涙を流して頭を下げた。
グレゴールさんは快く引き受けてくれた。
トマスには町の道路整備の仕事が与えられ、給金でご飯も薬を買えるようになった。
夕暮れの広場で、町人たちが集まってくれた。
「学者様、本当にありがとうございました」
「あなたのおかげで、町は救われました」
「また来てくださいね!」
子供たちまで集まって、笑顔で手を振ってくれる。
俺は、なんだか胸が熱くなった。
人の役に立てた。知識だけで、誰かを助けられた。
俺みたいな平凡な人間でも、できることがあるんだ。
「ありがとうございました。また、必ず」
そう約束した時――
『世界観察録』が淡く光り始めた。帰還の時間らしい。
視界が白く染まり、浮遊感を感じる。
次の瞬間、俺は図書館の蔵書室にいた。
床に座り込んだまま、しばらく呆然としていた。
時計を見ると――まだ二時間しか経っていなかったようだ。
でも、確かに異世界で過ごした記憶がある。
『世界観察録』は、何事もなかったように本棚に収まっている。
「夢じゃ、なかった……よな」
翌日、いつもと同じ図書館。
でも、何かが違う。本への向き合い方が変わった気がする。
この本の向こうには、誰かの人生がある。知識は、誰かを助ける力になる。
「すみません、調べ物で困ってるんですけど……」
小学生の女の子が、おずおずと声をかけてきた。
「うん、一緒に調べようか」
俺は笑顔で答えた。
特別な力なんてなくていい。
知識と考える力があれば、人の役に立てる。
図書館でも、異世界でも、それは同じだ。
閉館後、再び蔵書室へ向かう。
『世界観察録』を手に取る。
「また、行けるかな」
本を開こうとして――一度、ためらう。
「いや、今日はここまで。明日の楽しみにしよう」
本を棚に戻し、図書館を後にする。
夜空を見上げると、星が綺麗に輝いていた。
世界はいつも、本を開く瞬間を待っている。
そして俺も…次のページを開く準備ができた。
【完】




