始動【3】
何だろう、この空気。2人の口調は穏やかだが、言葉に凄く棘がある。お互いに睨み合い、それとなく相手を貶しているような。しかも、ホヴィスの表情がやけに固い。
……何でだろう。
「あーあ、旦那。半分キレてるねぇ」
キッシュはぼそりと呟いて頬を軽く掻いた。その言葉にアサトは驚きの声を上げる。
「え! そうなの? でも、どうして?」
「さっきあの子、旦那にオッサンって言ってたでしょ? オッサンという単語、旦那には禁句なんだよねぇ。普段、滅多にキレない旦那が、唯一キレる言葉だからさ」
「へぇぇ……」
「しかも、キレて乱闘になる確率はかーなーり、高かったり」
「へ――……って、えぇぇ!?」
ふんふん、と軽く頷きを返していたアサトはとんでもない事になるんじゃないか、と慌ててホヴィスとリテアに視線を戻す。
先程より明らかに不穏な雰囲気が流れている。2人共、目が本気だ。
ホヴィスはいつの間にか長剣の鞘を取り払っているし、リテアも拳を握りいつでも動けるよう構えていた。殺る気満々なのだろうか。
「しつこいガキは嫌いなんだよ。……仕方ねぇ、少し遊んでやる。覚悟はいいな?」
「それは、どうも。アタシも、アンタみたいなオッサン大嫌い。希望に乗って遊ぶけど、恨みっこ無しだから!」
拳を掌に打ちつけて、リテアは素早くホヴィスに向けて走り出す。
「ッ、クソガキが……!!」
ホヴィスは舌打ちを鳴らし、剣を盾にしてリテアの攻撃に備えた。
ガンガンと凄まじい攻撃音が響き渡る。
目の前で繰り広げられていく戦いを見て、アサトとキッシュの2人は互いに顔を見合わせ、深々と息を吐いた。
大量短剣地獄から助かったと思ったら、次は初対面である筈の2人が暴走してしまうという事態。何だか息つく暇がない。
「うーんと、どうしようか?」
「どうにかして、2人を止めないといけないんだけどねぇ……」
ホヴィスとリテアをを止めに行く勇気が今のアサトとキッシュにはなかった。行った所で返り討ちに合い、自分が負傷するのがオチだ。
しかし、このまま放置する訳にもいかず何とかして暴走を止めなくてはいけない。
「アサト君。アレさぁ、妹なんでしょー? 何とか出来ない?」
「無理無理無理! リテアの強さは身に染みて分かってるから、止めるなんてできっこない。そう言うキッシュは?」
「オイラも無理だよー。キレた旦那は質が悪くって……。あっ! 止められる人が1人いた!」
キッシュの言葉にアサトは救われたような気分になった。思わず笑顔を浮かべ、キッシュに詰め寄る。
「ほんと!? で、その人は――」
アサトは言いかけて止まる。なぜなら、キッシュの指先が真っ直ぐ上に向いていたからだ。
「まさか……」
「そう、そのまさか。旦那を止められるのは彼女、ヴァーチェだけなんだよ。でも……」
キッシュは上空に視線を上に向け、その目を深く細める。
「今、それどころじゃないみたいだしねぇ」
――空気が震える遥か上空。
此方も、激しい戦いが繰り広げられていた。
レオンの繰り出す短剣を防壁で防ぎながら、ヴァーチェは術を放つ。だが、軌道がズレてしまい上手くレオンに当たらない。
「ははっ、流石に疲労困憊みたいだね。能力もそろそろ限界でしょ?」
苦しげな表情を見せるヴァーチェを見て、レオンは可笑しそうに笑う。ヴァーチェは息を整えレオンを睨みつけた。
『相変わらずの、その態度……。人を嘲笑うのがそんなに楽しいですか』
「楽しいね」
迷うことなく答え、短剣を宙に投げたレオンはそれを指先で受け取る。
「考えてもみなよ。人間は弱い。そんなちっぽけな存在から、ボクは、ボク等は生み出された。はっ、考えただけでも虫酸が走るね」
そう言ってレオンは、視線を下へ向ける。視界に映ったのはホヴィスとリテアが戦っている姿だ。馬鹿だなぁと口にするも、それは音に鳴らず、空気に溶けた。
「……仲間割れ、かな? 楽しそうだね」
楽しげなレオンの言葉にヴァーチェも下へ視線を向ける。そこには、周りの状況などお構いなしに乱闘している2人の姿があった。
『っ、あの2人は、一体何を……』
頭を押さえ呆れたように呟くヴァーチェを横目に、レオンは短剣数本を瞬時に取り出した。
「楽しそうだし、ボクも加勢しちゃおうかなぁ」
短剣を再び投げて空中に留める。刃の切っ先が向いてるのはホヴィス達のいる場所だ。
能力の尽きたホヴィスに、民間人のリテア。短剣が降れば、今度は確実に負傷する――
『なっ!? 止めて下さい!!』
「嫌だね。傷ついちゃえ」
レオンが指先を弾こうとしたその時だった。
1人の少女が音も無くレオンの背後に降り立ち、彼の手を止める。動きを止められた事に不快感を示しながらも、レオンは自分の手を止めた少女を肩越しに見た。
「……何の用? フォルテ、君は今日非番じゃなかった?」
「ベルガ様の命で来たの。ホントは、面倒くさいから来たくなかったんだけど」
フォルテと呼ばれた少女はそう言って、小さく息を吐いた。
薄い赤の瞳に銀色の長い髪。髪は首元から2つに分かれており、彼女が動く度にその髪はさらりと揺れる。トロンとした垂れ目が、眼鏡のレンズの奥に隠されていた。
嫌々来たのだと、溜息を連発するフォルテを邪魔だと押し退け、レオンは不機嫌そうに短剣を手元へと戻していく。
「あっそ。なら、用件だけ伝えて、早く帰ったら?」
「君も帰るのよ、レオン。レオンを速やかに連れ帰って来い。それがベルガ様の命令だから」
「はぁ?」
フォルテはレオンの腕を引き帰ろうと促すが、レオンはそれに応えず伸ばされた手を振り払う。その表情は戸惑いと怒りが混ざっていた。
「何でさ!? ここに差し向けたのはベルガだろ。なんで急に……!!」
「さぁ? 多分、何かあったんじゃない? 慌ただしかったから。楽しみはまた今度。ね?」
「っ、 不快だよっ!!」
レオンはそう吐き捨て、足を踏み鳴らすとその場から消え失せた。
残されたフォルテはヴァーチェに視線を向け、淡く微笑む。
――次の瞬間、音も無くヴァーチェの足元へと人形が投げ込まれた。
フォルテが放つ人形はただの人形ではない。機械じかけの人形。しかも、強力な爆弾設置済みの厄介な代物だ。
『しまっ……!?』
ヴァーチェが避けようと、身体を捻るが間に合わない。ドパァンッ!!と、上空で凄まじい数発の爆発が起こった。
上空で鳴り響いた音にキッシュを始め、乱闘していたホヴィス達も顔を上げた。
上空は白煙に包まれ何も見えない。その遥か上空から、ホヴィス達の足元へと何かが落ちてきた。
――それは人形。
「……ッ! この人形は、フォルテか!?」
ホヴィスが気付くも遅かった。一呼吸置いた後、上空と同様の爆発が起こる。
一瞬にして白く染まる視界。だが、白煙と別に流れてくる気流に明らかな違和感があった。
「これはっ、催眠ガスのようだな……」
辺りを包む白い煙を一瞥し、ホヴィスは口元を袖口で覆う。目を凝らし周囲を見渡すと、どうやら無事なのは自分だけのようだ。キッシュやアサト、リテアもガスによって深い眠りへと落ちている。
ホヴィスはキッシュに視線を向け、微かに眉間に皺を寄せた。リテアやアサトはともかく、キッシュが落ちてしまっているのは少々情けない気がする。
何故なら、ああ見えてキッシュも一応軍経験者なのだ。この場合、迅速に回避し敵地へ乗り込める体勢を取らなければならないというのに、この体たらく。上司でもあったホヴィスは呆れるしかなかった。
「ん?」
徐々に晴れていく白い煙の向こうに人影があった。敵かとホヴィスが思わず身構えるが、それは杞憂に終わる。
『……ホヴィスですか?』
聞き慣れた声にホヴィスはホッと安堵の息を吐く。
「ヴァーチェか。どうやら、無事のようだな」
『えぇ、何とか。能力を完全に使い切ってしまいましたけど』
ヴァーチェは爆発を全て防壁で防いでいた。
お陰で爆弾に仕込まれていた催眠ガスの影響も受けずに済み、この通り無事である。
「レオン達は?」
静かなホヴィスの問いに、ヴァーチェは首を横へと振った。
『逃げられてしまいました。まさか、フォルテまで来ていたなんて。……やはり、この世界にも彼らの息が掛かっているみたいですね』
「だろうな。見知らぬ世界に飛ばされたかと思ってたら、いきなり当たりか。それに、」
ホヴィスは地面に横たわる2人を見て目を細める。
「まさか適合者が見つかるとはな」
ホヴィスの視界に映るのはリテアとアサトの双子の兄妹。ヴァーチェは微笑み、ホヴィスに同調するように頷いた。
『そうですね。私も驚きました。まさか彼女に似ているなんて』
「……オレは似ているとは思わんがな。性格は正反対で短気ときた。ま、ロイスが見たら泣いて喜びそうだが」
ホヴィスの指摘にヴァーチェはプッと吹き出し、口元を押さえた。そして何かを思い出したのか、ホヴィスを真っ直ぐ見据え口を開く。
『だからと言って、キレるのは間違っていますよ』
「……すまん」
反論することなくホヴィスは素直に頭を下げる。あれは間違いなく自分に非があった。なかったとしても、ヴァーチェに逆らう馬鹿な事は決してしないが。
ホヴィスは息を吐くと空を見上げた。夜空にまたたく無数の星達。平和な宇宙の1つの惑星に自分達は今、こうして立っている。
「奴等に見つかった以上、長く璃球にはいられないな。だが、早く離れる訳にもいかない」
数少ない適合者。そんな彼らを自分達は元より、奴らが放って置く訳がない。
どうにかして適合能力を身につけさせなければ、今日のような状況に陥った時、命を落としてしまう可能性が高いだろう。
願わくば自分達に付いて来てもらいたいのが1番の希望なのだが。今日の状況を見る限り、それは難しいかもしれない。
『先ずは話をしてみなければわかりませんよ。話をしてから、後の事は考えましょう?』
「……あぁ、そうだな」
人生は1度きりなのだ。どんな人生を歩むか決めるのは自分自身であるべきである。
ホヴィスとヴァーチェは一息吐いて、気を失っているアサト達の介抱へと向かった。
◇◇◇
暗闇の中、灯りが仄かに揺らぐ。
真っ直ぐに延びる広い廊下を無言のまま、歩いているレオンの姿があった。
その後ろにフォルテが続き、廊下には2人の足音だけが響く。眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに歩き続けるレオンを見てフォルテは息を吐いた。
「レオン。少しは、落ち着いたら? 見ててかなりうざったい」
「ッ、うるさいよ!!」
レオンは後ろを振り返りフォルテを睨み付けるが、フォルテは怯む事なく平然とレオンを見つめていた。
そんなフォルテに苛つくのがいつもの事。レオンは怒鳴りそうになるのを何とか抑え、再び歩き出す。
「大体さぁ、いつまでついて来る気なの? ボクは1人で歩きたいんだけど」
「もちろん、ベルガ様の所まで。今回はきちんと報告しないと、あたし殺されちゃうかもしれないから」
「……ああ。そういや、君、日頃から理由を付けて、サボってばっかりだったね」
レオンの言葉にフォルテは長い髪を弄りながら、頬を膨らませた。
「失礼ね。サボってるんじゃないわよ。ちゃんと頼まれた仕事はこなしてるし。ただ、面倒臭いから後に回してるだけで」
「完全にサボリじゃん、それ」
呆れたように溜息と共にそう吐き捨てると、レオンは歩調を早める。後ろの方でフォルテが何か言っているが気にしない。
暗闇に浮き上がる重厚な扉。行く手を阻むように立ち塞がるその前で、レオンは立ち止まった。
慣れた様で扉に指先で文字を描く。すると、扉がギギギ……と開きレオンを部屋へ招き入れた。遅れてフォルテも部屋に入る。
部屋も暗闇に包まれており何も見えない。だが、そこには人の気配が確かにあった。
「――おかえり、レオン。待っていたよ。さぁ、報告してくれ。何が起こったのか、何を見たのかを、ね」
厳かに響く声にレオンは手を胸に当て頭を垂れる。
「沢山あり過ぎて、長くなると思うけど、きっと君も喜ぶ話だよ。……ベルガ」
レオンは顔を上げ微笑み、一連の出来事を話し始めた。
全てが動き出した。もう後戻りはできない。
運命の歯車は徐々に加速していく……




