始動【2】
あどけなさの残る笑顔とは裏腹に、少年に宿るその心は、殺戮しか望んでいない。標的として捉えた人間を見据えたまま、思考を重ねていく。
彼を、あの人間を使えばどれくらいボクは遊べるのだろう。楽しませてくれないとつまらないから、まあ直ぐに殺してしまうかもしれないが。
その前に、先ずは彼を試す必要がある。
「ああ、でも、アイツ等の始末もあるか。面倒だなぁ……」
とにかく動いてみてから考えようか。早く戦いたくて、殺したくて仕方がない。一筋の風が少年の黒髪を揺らす。
「――さぁ、ショータイムの始まりだよ」
少年は腕を高く掲げ指をパチンと鳴らした。
キィィィンッ!!と身体を押し潰すような重力と、鼓膜が破れそうな酷い音が辺りを包む。
「……ぐっ!? なんだよっ! これ……」
アサトは耳を塞ぎ、重力に逆らえず引き寄せられるように体勢が低くなった。ホヴィスとキッシュも耳を抑えつつ周囲を見渡す。
自分達を襲っていた犬達も、音によって動きを止めてしまった。そして苦しむように鳴き声を上げる。それを横目にホヴィスは目を細めた。
「この音波に重力の能力……、覚えがあるな」
「旦那ぁぁ!!」
キッシュは耐え切れないとばかりに、耳を抑えたまま声を上げる。
「何とかしないとー! オイラ、具合悪くなってきたしぃ」
「分かっている」
耐性のあるホヴィス達はともかく、アサトにとって命に関わる危険な空間だ。早くこの状況を、打破しなければならない。
重い身体を動かし、長剣を掲げるとホヴィスは目を閉じた。残り僅かな能力の全てを剣に込め、その剣を地に叩き付けるように強く突き刺す。
「吹き飛べ」
剣を中心に渦巻く振動が、天地空に伝わる。音波と重力は振動と反発し合い、瞬時に掻き消えた。
身体を破壊しかけていた音波と重力から漸く解放されたアサトとキッシュは、力が抜けたように地面に倒れ込んだ。
「た、助かった……」
「旦那ぁ、さんきゅー!!」
安堵する2人に対しホヴィスは息を吐いた。その表情は何処か堅い。
「……安心するのはまだ早い」
「へ?」
どういうことだと、疑問を向けるキッシュを無視し、ホヴィスは地面に刺した剣を素早く引き抜いた。
「いい加減出てきたらどうだ、レオン」
ホヴィスの呼び掛けに反応するように、1人の少年の笑い声が、周りに木霊する。それはとても癇に障る笑いだった。
「あっはははははっ。なーんだ、直ぐに気付かれちゃったよ。このまま殺せるかと思ってたのに。流石、というべきかなぁ? ――スヴァレー大佐」
――――大佐。その言葉にホヴィスの瞳が一瞬だけ揺らぐ。だが、それに気付いたのは誰もいない。ホヴィスは瞳を隠すように、サングラスを押さえた。
「この音波は、お前が編み出した、独特のものだろ。直ぐに分かるさ。それよりもお前――」
「お前、何しに来たんだよ!!」
ホヴィスが言うよりも早くキッシュが声を上げる。先程まで浮かべていた笑みを消し、空中にいるであろう姿の見えないレオンを睨み付けた。
「なんでお前が此処にいんだよ! ヴァルスからわざわざ来やがって……。まさか、ベルガも一緒なのか!?」
キッシュの問いにレオンは嘲笑うような笑いを溢す。キッシュは耳に障るそれに表情を歪めた。
「残念だけど、ベルガは此処にはいないよ。今日は、ボクだけ来たんだ。君達に会いにね。感謝してよ? このボクの手で、君等の命を潰してあげるんだから」
そう言うとレオンは軽快に指を鳴らした。すると、それが合図かのように周りの犬達が己で爆発を起こし命を潰えていく。
その余りに残酷な光景にアサトは目を疑った。
悲鳴を上げる間もなく、爆発と共に無残に消えていく犬達を見て、アサトは見てられないとばかりに首を振る。
「やめろよ! あいつらだって生き物なんだぞ! それなのに何で……!!」
「使えない道具に、意味はないじゃん」
レオンはそう言い放ち深々と息を吐く。
「それに、あれはボクが作った道具なんだから、消すのはボクの自由だ。そう決まってるんだよ。異世界の少年君」
レオンの言葉にアサトは信じられないとばかりに、再び首を横に振った。そしてレオンがいるであろう空中を見つめる。
「道具って……」
「ん? さっき言った通りさ。ディバスリーで作られた奴らは皆、道具なんだよ。コイツらも、そこの猿も! そして、ボクもね」
感情の読めない声。こちらの反応を楽しむように、レオンは楽しげにケラケラといつまでも笑っていた。
そんなレオンにアサトは全身の毛が粟立つ。表情や姿はまだ見ていないが、レオンという人物は危険だと、そう本能が告げている。
「おい! レオン!」
苛立ちを表すように片手を振り払い、キッシュは空中を鋭く睨み付けた。
「いい加減に、姿を見せたらどうなのさ! お前のその偉そうな態度、気に入らないんだよ! 言いたい事あるなら、正々堂々と姿見せろっ!」
「うっるさいなぁ、猿。今日は君と遊んでる暇はないよ。君達の死を見届けなきゃいけないんだから。既に、死へのカウントダウンは始まってるんだよ?」
「ッ、どういう意味だよ!!」
怪訝そうなキッシュとは対照的に、アサトは何かに気付いた表情を見せ、先程視界に映っていたあの遥か上空にあるものへと目を向ける。
「まさか、あの上にある……!?」
「ピンポーン! そう、大正解! あれはボクが仕掛けたモノさ。残念なことに気付いたのは、少年君だけだったけどね」
ホヴィスはおもむろに上空へと目を移す。そこには数え切れない程の短剣が。ザッと見ただけでも数百は越えてるだろう。切っ先はこちらを見据え、ゆらゆらと静かに揺れていた。
「……やられたな」
忌ま忌ましげに舌打ちしたホヴィスは眉間に皺を刻む。キッシュも同様に短剣を確認し、青ざめた。
「何なんだよ、あの数! 相変わらず趣味悪りぃ……。旦那、何とかしないとオイラ達本当に死ぬよ?」
「無理だな」
顔色を変えず断言したホヴィスに、キッシュは勿論アサトも驚愕の表情を見せる。確認の意味も込めて、キッシュはもう一度ホヴィスに尋ねた。
「だ、旦那の星術で何とか――」
「ならない。先程ので能力は尽きた。……まあ、何とかなるだろ。命中すれば即死だが、免れれば命だけは助かる」
「確かに旦那なら大丈夫そうだけど、オイラ達には過酷だよ……」
キッシュは目を細め、げんなりしたように首を横に振った。
ホヴィスの言うように生き残れる可能性はゼロではない。が、それに耐えられる程の体力がキッシュやアサトには残されていなかった。
状況を何とか打破しようと慌て始めるキッシュ達を一瞥し、レオンは指を鳴らす。
「――ああ、残念。時間だよ」
次の瞬間数え切れない無数の短剣が、佇むアサト達へ目掛けて勢い良く振り落とされた。
逃げ場は何処にもない。アサトは思わず頭を守るように手を乗せ、身を屈める。
風の切る音が聞こえ刃が目の前に迫ってきた。アサトはギュッと強く目を瞑り、衝撃に備えるがーーー
痛みはこなかった。ただ、金属特有の鈍い音だけが、周囲に響き渡っていく。音が止んだと同時にアサトは恐る恐る目を開いた。
アサトの目に映ったのは大量の短剣達。それは誰も貫く事無く地面に落ち、その役目を終えていた。
アサトは確かめるように、自分の身体をあちこち触ってみる。
負傷していた左腕と右足以外に新たな怪我をしている所は見当たらない。両隣に立つキッシュやホヴィスも同じようで、怪我は全く無いようだ。
(……何が、どうなってるんだ?)
この状況下で一番驚いていたのはレオンである。死角がないように、逃げられないよう完璧に短剣を施したつもりだった。
だというのに、アサト達は負傷することなく無事に生き残っている。どんな計画も完遂してきたレオンにとって、許せない大失態だった。
「一体、何なんなんだよ。せっかくボクの……!!」
レオンは言い掛けて空を睨んだ。誰かが、この空間にいる。気配の元を掴もうとしたその時、背後から強力な水の星術が襲い掛かる。
防ぐ為には能力を解放するしかない。レオンは舌打ち混じりに、向かってくる星術に向けて掌を伸ばした。激しい摩擦のような音が聞こえたかと思った刹那、術は分解されその場に消え失せた。
己の意志ではなく反射的に一気に能力を解放した所為か、闇に潜んでいたレオンの姿が漸くアサト達の目に映る。
『……やっと、その姿を見せましたね。レオン』
涼やかな、心地良い声音にレオンは視線を横に向けた。
そこには、自分と同じく空中に身体を浮かばせている少女がいる。レオンはその少女の姿を認めると、苛立ちを誤魔化すように笑みを浮かべた。
「……君か、ヴァーチェ。先程の短剣も君の術で防いだんだろ?」
『えぇ、そうです』
ヴァーチェは長い水色の髪をふわりと揺らし、肯定の意を示すように頷いた。
『本当なら、短剣を貴方に弾き返したかったのですけど、貴方の姿が分からない以上、ああするしかありませんでした』
自分の気を高め圧縮した防御壁を作り出し、彼らの命を守った。そこまでは良いとしよう。
問題はその後である。どうやってレオンを表に出すか。闇に姿を隠している以上、無闇に攻撃はできない。
彼を表に出さないと状況は不利のまま。そこで思いついたのが不意打ちで襲うというものだった。
『貴方は変に、プライドが高いでしょう? 失敗は認めない性格の貴方が、自分の失敗を目の前にしたら動揺が必ず生まれる。だから――』
「こんな手を使ったって訳か。はっ、やってくれたね」
レオンは袖についた水滴を振り払い、ヴァーチェを鋭く見据えた。
空中での2人のやり取りを傍観していたアサトは、驚きを隠せないとばかりに何度か目を瞬かせた。対するキッシュとホヴィスは深々と息を吐く。その表情は何処か暗い。
「うわお、ヴァーチェはやっぱり凄いねぇ。旦那ぁ、彼女に対する貸しがまた増えたよー?」
「言われなくとも分かっている。大体、アイツは今まで何処に行ってたんだ」
ホヴィスはそう言うと、懐から煙草を取り出し火を付けた。その煙草を躊躇う事なく口に咥え、深く息を吸い込む。
それを横目にキッシュは無邪気に笑った。
「まあまあ、何はともあれ無事合流できたからいいんじゃないかな。となると、あとは鍵だけだねー」
何やらこれからの状況をどうするか話している2人を見て、アサトは首を傾げる。助かったとはいえ、こんなに悠長に構えていいのだろうか?
「な、なぁ、あの子とキッシュ達って、知り合いなの?」
一先ず、頭上の遥か上にいる少女が気になったアサトは率直に、キッシュ達へ質問をぶつけた。
「ん? あぁ、そう。オイラ達と一緒に来たの。オイラと同じDAMで――」
「兄貴!?」
キッシュの言葉を遮るように甲高い声が路地に響く。聞き覚えのある声にアサトが後ろを振り向くと、そこには息を切らしたリテアの姿があった。
「リテア!? どうしたのさ。こんな所に、」
「それはこっちの台詞よ!」
リテアはつかつかと足早にアサトの元に歩み寄ると、アサトの胸元を勢い良く掴み上げその身体を引き寄せた。
「今、何時だと思ってるの!? いくら待っても帰ってこないし、携帯は家に忘れてるから使えないし! 何かあったんじゃないかと気が気じゃなかったんだから!!」
「ちょ、リテア……、痛いから、」
放して、とそう言おうとしたがアサトはリテアの異変に気付き口を閉じる。リテアは、目元にうっすら涙を浮かべアサトを強く睨み付けていた。今にも泣き出しそうな程に涙が瞳に溜まっている。
それを見て、アサトは素直に頭を下げるしかなかった。
「……ごめん。心配かけて」
「心配なんて、してない!」
リテアはアサトの胸から手を離し、キッとアサトを強く睨み付ける。
「ただ、いつものように兄貴がいないと調子狂うだけ。それだけなの! わかった!?」
「うん。わかったわかった」
涙で潤んだ瞳で言うのだから、説得力は欠片もない。リテアが自分のことを心配してくれていた。ここまで、探しに来てくれた。それだけでアサトは充分だった。
リテアは袖口で涙を乱暴に拭き取り、アサトを見据える。そこでようやくアサトの怪我に気付いた。
「ちょ、兄貴!? 何なの、この酷い怪我!!」
「ああー、まぁ、ちょっとね……」
苦笑を浮かべていたアサトはふと何か突き刺さるような視線を感じ、横に目を向けた。
ホヴィスとキッシュが酷く驚いた表情で此方を見ている。それもそうだろう。リテアは突然現れ、自分を怒鳴ったのだから。驚かない方がおかしい。
「キッシュ?」
「ふ、ふぁいっ!?」
アサトの声に素早く反応出来なかったのか、キッシュは情けない声を上げる。そして、小さく息を吐き出しアサトに向き直った。
「な、なあに、アサト君」
「何って、こっちが聞きたいんだけど。ごめんな。リテアの所為で驚かせちゃっただろ?」
「ううん! 別に……って、あれ、リテアって誰?」
「俺の双子の妹。ほら、リテア。挨拶しろよ」
「……どうも」
アサトに促され、挨拶をするがリテアの表情は固い。どうやら、キッシュ達を疑わしい奴だと思っているようだ。
そんなリテアに気付いたキッシュは、大丈夫だと言うように軽く手を横に振る。
「いや、あのね、オイラ達、怪しい者じゃないからね? まぁ、ちょいと訳ありだけどー。ね、旦那」
「あぁ」
ホヴィスは煙草を口端で動かしリテアを見た。
サングラスに隠れた瞳。低い声。近寄り難い雰囲気。その全てがリテアの勘に障る。リテアはアサトを押し退けホヴィスを睨み付けた。
「それだけ? 他に言うことないの? どうして、兄貴がこんな大怪我してんのよ! アンタ達が何かやったんじゃないの!?」
「……おい、ガキ」
長剣を鞘に戻してホヴィスは息を吐き、リテアを見据える。
「状況をよく見て物を言え。オレらは襲ってはいない。助けたんだから、本来なら感謝されるべき側なんだが?」
「アンタみたいなオッサンの言葉なんて、信用できないわよ!」
――オッサン。
この言葉にホヴィスの目が険しくなる。それに気付いたキッシュはヤバいと顔色を変えた。
「オッサン言うな。色気のねぇガキ。オレは嘘は言っていない。アサトに聞いてみれば早いだろ」
「ハッ、色気なくて悪かったわね。見るからにオッサンは柄悪そうだし、兄貴を脅したってのも有り得るかもしれない。だから、兄貴の話も当てになんないわ」
「そうきたか。むかつくガキだな」
「あんたもね、オッサン」