微かな真実と闇【2】
ロディカ=グランウェルド帝国北西部。
晴れた昼下がり、平野を走り抜ける馬車の姿があった。首都リンヴァンに向かう馬車内でリテアは苛立ちを隠せずにいた。
そんなリテアの様子にホヴィスやキッシュはあえて触れないよう距離を取っている。だが、ロランだけは違った。特に気にする風でもなく平然とリテアに話しかけている。
「なんでそんな機嫌悪いのさ? 何かあったのかい?」
無視し続けようとリテアは決めていたのだが、何かと彼の笑顔が勘に障る。にこにこと笑いながら言うロランに、リテアは眉を吊り上げ彼を睨みつけた。
「誰のせいだと思ってんのよ……!」
「え? 俺、何かしたっけ?」
とぼけたように目をしばたたかせ頬をかくロランにリテアの何かがプチンと切れた。
「あれ、何の音?」
≪あー、やっちゃったね―≫
「………ハァ、」
キッシュとホヴィスが呆れたように息を吐いた次の瞬間、リテアの見事な蹴りがロランの顔面に直撃した。
「ふぐっ……!」
狭い馬車内での為、ロランは隅の柱に後頭部をぶつけてしまい更に悶え羽目になる。密室な車内でなかったら恐らく車外へ投げ出されていただろう。いや、全力でいったら窓枠ごと吹っ飛ばされていたかもしれないが。
「いっ、つつつ……、痛いなぁ。なんでそんなに怒るのさ? キスの1つや2つ、いいじゃんか」
ロランは蹴られた顔と後頭部を擦りながら向かいにいるリテアへまたも近づこうとする。それを阻止するようにリテアは身体をそらし彼を睨みつけた。
「何処が!? アタシにとっては大問題よ!」
憤慨するリテアにロランは首を傾げる。暫くして何かに気付いたのか思い勢い良く手を叩いた。
「ああ! もしかして、初めてだっ」
「言・う・な!」
力を思いきり込めた拳が今度はロランの腹部を襲う。あまりの痛さにロランは手を叩き悶えていた。それを冷たい目で見る隣席のホヴィスとキッシュ。
≪……旦那ぁ、馬鹿なのかなぁ。この人……≫
「……さぁな」
岩場を走っている訳でもないのに騒がしく揺れる車内に手綱を引いていたリーグは車内へと目を向けた。
「随分と騒がしいねぇ」
クスクスと笑いながらリーグは目を細める。
「ま。騒ぐのは構わないけれど、あまり彼を苛めないようにした方が良い。一応それは王位継承者だからね」
それ呼ばわりされたロランは腹部を押さえながら声を上げた。
「物扱いするなよ! 殴られたんだから少しは心配するだろ、普通!」
「普通は、ね。けど、君の場合は自業自得だし、例外に入るんだよ」
親友とは思えない言葉の冷たさにロランは目元を細める。
「言ってろよ? 城に着き次第、ありとあらゆる罪を擦り付けて軍法会議にかけてやる」
「はは。なら、私は君の恥ずかしい過去全てを民放に流すよ。帝国民はどう思うかなぁ」
「お前の腹黒さよりはマシだろうが」
「誰が腹黒いと……? 君の手の早さよりかは良いと思うんだけどね」
バチバチと2人の間に見えない火花が散る。
それを横目に見ながらリテアは息を吐いた。
リテアが苛立っているのはロランのことで間違いはない。ロランにキスを奪われたのはかなりショックで、暫くは立ち直れなかった。やった本人は反省の色すらない。怒るのも当然である。
不意打ちでしかも初めてを奪っておいて。それはないだろう。そして、苛立つ原因は彼の素性にもあった。ロランの正体。それは
ローランド・ユイ・L・アルベティルス
ロディカ=グランウェルド帝国第二皇子。
王位継承権第3位。
つまりは皇族な訳で。国政を動かす人物の一人な訳で。あんなんが皇子って有り得ない!絶対、世の中間違ってる!
と、リテアは内心怒りをぶち撒けていた。
ロランの提案か何かで自分達の身柄を首都に移すって言うし。話すら聞かないまま勝手に決めてくれちゃって。これが怒らずにいられるだろうか?
リテア達は干渉者と接点がある重要人物と思われてるらしく、解放してくれる気は更々ないようだ。この馬車に乗るまで常にこの変態皇子と嫌味な軍人が傍にいた。自由など、ほとんど無いに等しい。思い出すだけでも腹立ってくる。
「あー、もう……」
深い息を吐くリテアにキッシュはリテアの頭に飛び移った。
≪リテアー。あんまり、深く考えない方がいいよー? 考え過ぎると余計に苛々しちゃうからさ≫
「出来る訳ないじゃない! 次から次に、こう事件に巻き込まれてんだから。全く、どーしてこんなことになったんだか……」
ジッとリテアは無言で外を眺めるホヴィスに視線を向けた。視線を受けたホヴィスは微かに眉を寄せる。
「……何だ。オレのせいだと言いたいのか」
「別に」
ふいっと拗ねたように視線をそらしリテアは頭にいたキッシュを頭から降ろす。
≪リテア―?≫
ふてくされるリテアの膝を叩くが反応はない。相当、いじけてるというか苛立っているようだ。
≪まあ、仕方ないかなぁ……≫
故郷をいきなり離れるわ、両親は死んだと聞かされるわ…おまけに自分達の都合というか何やかんやで異世界に連れて来てしまった。気持ちは痛い程、分かる。もし、自分が同じ立場ならリテアのように間違いなく怒るだろう。
だけども、この空気はあまり良くない。
キッシュが尾をピシリと振って考えようとした時、窓の風景が一変した。
≪うわぁ、凄い、大きい河だ!≫
先程まで見えていた緑色の山々は消え、辺りには深い青の大河が流れていた。視線をジッと窓に向けるキッシュとホヴィスに気づき、リテアも窓の外へと目を向ける。
「凄い……」
目に飛び込んできたのは色鮮やかな光景。
地球のあの街では見られない景色がそこにはあった。
(……こんな大きい川とか初めてかも)
柄にもなく感動してしまったことに少し眉を寄せつつ外の風景を楽しんでいたその時。前方に白い巨大な橋が見えてきた。大陸と大陸を繋ぐ石橋が川を跨ぐように架っている。
その整った見事な橋にホヴィスは感嘆の声を漏らす。
「……見事なもんだな」
≪うん。凄い凄い!≫
その言葉にいつの間にかリーグとの口論を終えたロランが乗りかかってきた。
「だろう? この橋は帝国が建国時に設計され築かれたもので、かなりの年代物になるんだ。当時を知る資料としても価値が高いと言われている」
スラスラと石橋に伝わる様々な話をしていくロランにリテアは少し驚いたような表情を見せた。
「あんた、意外と博識なのねぇ……」
「そりゃ、一応皇族だしね。それなりの知識は持ってるに決まってるさ」
笑みを浮かべながら得意気に話すロランにリーグはあははと笑う。
「でも、大概は役に立ってないよね。無駄な知識ばかり蓄積しないで少しは軍政を引っ張るとかしなよ。殿下」
リーグの言葉がグサリとロランの背中に突き刺さる。どうやらかなり図星だったらしい。ロランはギッとリーグの方を声を荒げた。
「あ―、もう! いちいち横やりしないで早く馬を走らせろよ!きちんと前見とけ、前を!」
「はいはい」
リーグは苦笑を浮かべながら姿勢を正し前を向き直る。馬車は石橋に差し掛かろうとしていた。
カツン。カツン。馬の蹄が石畳に当たり何とも聞いてて心地よい音色が響く。ふとリーグの目に何かが映る。それは石橋の中間辺り。紅い髪の青年が橋の欄干に立っていた。
「……何だ?」
リーグは眉を寄せながら馬車の速度を落とす。そんなリーグの様子に馬車を守るように両側にいた兵士も青年に気づく。手綱を引いて馬を止めた。
「閣下、あの者は……」
「わからない。だが……」
漂う雰囲気、欄干に佇む様子から普通の民間人でないのは明らかだった。青年はふと馬車へ目を移す。紅の瞳がリーグの瞳を射抜いた。
"時間がないぜ?"
そう口を動かし笑みを浮かべたまま青年は欄干から降り反対側へ歩いて行く。青年の言葉にリーグはある事を見い出し舌打ちをした。
「そういう事か……!」
リーグが手綱を引き方向を変え来た道を引き返そうとする。
「閣下!? 何を……!」
「いいから、急げ! 時間がない!」
突如、空気が変わる。鈍い音がして地面が揺らいだ。瞬く間に白き橋に亀裂が走る。橋全体に亀裂が浸透し始めるのを横目にリーグは手綱を操り大陸側へと馬車を走らせた。
「ッ、な、何なの!?」
突然起きた地震のような響きと急に引き返す馬車にリテアは驚きの声を出す。
「あー、あれだ。橋が崩れてるんだろ」
「ふーん。なるほどね……って! それで納得すると思ってんの――!?」




