微かな真実と闇【1】
月夜に浮かぶ一つの影。
とある青年が赤い髪をなびかせながら木に佇んでいた。
「あー、胃が痛てぇな。少し食べ過ぎたか?」
胸元を撫でながら青年ーーイフォラッドは、水に濡れた前髪をかき上げる。
「やっぱ一度に数人の女を、相手すんもんじゃねぇな。身体が疲れる……」
正確に言うと女が原因ではなく、女に勧められた酒や料理を残すことなく完食した所為での胃痛なのだが。あえてそれには触れない。自分が好きでやっていることなのだから。
「しかし、これはベルガに見られたらまた殺されかけるな……」
あいつは色々と気難しいところがある。口煩いのだけでも、うんざりしているというのに。
(過去に囚われ過ぎてるからなぁ。あいつは……)
目を閉じると思い出す。懐かしい光景。いつも四人で過ごしていたあの頃。その思い出が絶えた時、全てが変わったのだ。
プルルル……
「ッ、おっと」
突然鳴り響いた音にイフォラッドは思考を止め顔を上げた。そして懐の中を探る。鳴っていたのは通信機器の音。イフォラッドは息を吐いてボタンを押し、それを耳にあてた。
「はい。もしも、」
『イッくぅぅぅん!! 最悪! 最悪なぁぁのぉぉ!!』
耳を鋭く突き抜ける高音にイフォラッドは耳を抑え一旦、それを離した。耳がキーンと鳴り周りの音が聞こえにくくなる。一瞬にして具合が悪くなった気がした。
『イッくーん! 聞いてるのー!?』
離した通信機器から響くノエルの声。イフォラッドはもう一度息を吐いて、仕方ないとばかりに耳元に戻した。
「聞こえてるって。頼むから少し音量を抑えてくれ。頭に響いてしんど」
『だってだってだって、だってぇぇ!! あいつがぁ! シン君がぁぁ!!』
「だから、な? ノエ」
『あたしも頑張ってたのにぃ! あと少しだったのにぃ!!』
「………」
人の話を聞きやしない。このまま通話ボタンを押して切ってろうかと模索していた時通信機器の向こうから鈍い音が聞こえる。そしてノエルの悲鳴が聞こえた。
『……もしもし。シンだけど……』
「あぁ、変わったのか」
『うん。あのままだと話全然進まないから……』
正しい選択だと思う。ノエルのままだと愚痴りたい気分が収まるまで話が進まないから。物理的にでも話し相手が変わるのは有り難かった。
「んで? 一体何があったんだ?」
『んー、話すと長くなるけど……』
「なら、出来るだけ簡潔に頼む。長話は嫌いだから」
そう言うイフォラッドにシンは分かったと頷く。息を吸い先程起こった出来事を、簡潔に話し始めた。
一連の出来事を聞いたイフォラッドは顎に手をあてた。
「……ふぅん。なるほどね。ヴァーチェに例の適合者がいた、と」
『うん。適合者はまだまだ未熟だけど……。感じる力は大きかった……』
通信機器を肩と耳で押さえながら、イフォラッドは煙草を取り出し火をつける。そしてそれを口に咥えた。
「ベルガが執着するだけの価値はあるって訳か。なぁ、シン」
『……何?』
「そこに陰険グラサンはいなかったんだな?」
イフォラッドが誰を指して言っているのか分かるとシンは一息を吐く。
『いなかったけど。何? 彼と殺る気……?』
「さぁな。その時の気分次第って所だな」
そう笑いながら言いイフォラッドは目を細める。その表情は悪戯を思いついた子供ような笑みを浮かべていた。
「それより、お前ら、」
イフォラッドが口を開こうとした矢先、通信機器の向こうから叫び声が響いた。
『シン君ー!通信機を貸しなさいよぅぅ! イッ君と話すのはあたしなんだからぁぁぁ!!』
『ちょ、痛っ……』
『返ーしーなーさーいぃぃぃぃ!!』
「………わお」
再び、凄まじい言葉の嵐再来。イフォラッドは耳が痛くならないようにと、通信機器を耳から若干離す。
さて、どうしようか。このまま切ってしまいたい。いや、それが一番だとは思うが、そんなことをすると後が怖い。時間が限られている事から、一先ず進む為にも適当に済ませるか。
イフォラッドは頬をポリポリとかいて早口混じりにこう言った。
「二人共、仕事を続けろよ? どんな手を使っても構わないからさ。適合者を捕獲してくれ。以上! じゃな!」
『え、ちょ……!?』
ブチン!!と、返事を待つことなくイフォラッドは通話を切った。
「ふー、取り敢えずこれで良し、と」
通信機器を懐にしまい口にくわえていた煙草を手に持つと、ジジと火種が風に煽られ風に揺れる。それを見つめイフォラッドはフッと笑った。
「………楽しくなりそうだな」
イフォラッドの吐く煙は風に乗り空へと消える。再び煙草を口元に戻しイフォラッドは視線の先にある街を見据える。
「副都心ユー=ライリスか。さて、何が起きることやら」
楽しげに呟いてイフォラッドはその場から姿を消した。一筋の風を残して。




