光者の資格【4】
誰かの悲鳴が聞こえたような気がしてユゥイは椅子から立ち上がった。それに気づいたサリエットが声をかける。
「ユゥイ? どうしたの?」
「今、」
「うん?」
首を傾げるサリエットにユゥイは眉を寄せた。
「気のせいでしょうか。今、何かが……」
「サリエット~! まだまだ夜は長いんだからね。さぁ、次いくよ!」
ユゥイの声を遮るように声を上げてダリアが部屋に戻ってきた。その手には先程飲んでいたものより、遥かに度の強いお酒が握られている。
ユゥイは口端を引き攣らせサリエットは深く息を吐いた。
「ちょっと、ダリア。まだ飲むつもり?」
「飲むに決まってるじゃないか。まだまだ夜は始まったばかりだよ?」
いや、すでにもう出来上がってると思うのだが。テーブルの上には大量の酒瓶。普通の人間なら泥酔して意識不明になりかける量だが、ダリアは顔色は全く変わらずサリエットも平気そうだ。
ユゥイは普通の肝臓持ちなので勿論、この2人についてはいけない。早めに止めて欲しいのだが後が怖いので直接言えずにいた。息を吐いて祈るようにユゥイが瞳を閉じたその時ーー、
パリンッ!と勢い良く硝子が割れた音と共に部屋の灯りが一斉に消え、暗闇が辺りを包む。
「何、一体が……!?」
声を上げるサリエットとダリアの姿を近くに捉えユゥイはほっと息を吐く。だが、一瞬の間の後、ユゥイの瞳に白銀の煌めきが映った。
「ッ!? 二人共、伏せて下さい!」
ユゥイは思わず2人を強く押し倒し自らが盾となる。何かが擦れる音が部屋に響く。と同時に血臭が広がった。瞬時にサリエットはそれがユゥイの血だと察知する。
「ユゥイ、貴方、怪我を……!」
「ッ、単なる擦り傷です。支障はありません。それよりサリエット、ダリア様、お怪我は?」
ユゥイの言葉に2人は大丈夫だと頷く。
「しかし、一体何が起きたんだい? 領主の屋敷を襲うなんて大胆不敵過ぎやしないかい」
ダリアがそう呟くとふいに部屋に明るさが戻る。驚いて顔を上げるとそこには帝国の軍人達が武器を片手にズラリと立っていた。サリエット達が息を呑んでいると軍人の奥から一人の男性が姿を見せる。
「夜分遅くにすいませんな。婦人……」
「ドリウス将軍!?」
ドリウスと呼ばれた初老軍人は口元に笑みを浮かべサリエット達を見据えた。その視線にダリアは睨み返し立ち上がりながら片手を払う。
「一体、何のつもりだい! こんなことをして。客人に怪我をさせたんだ! 只じゃ済まないよ!?」
鋭く自分を睨みつけるダリアに一礼をし、ドリウスは笑みを湛え続ける。
「ご安心を。この屋敷の破壊した部分の修復は勿論、我が軍が引き受けます。その代わりといってはなんですが……、彼女と暫く話をさせて頂きたい」
ドリウスは息をついてダリアの背後へ目を向ける。視線の先にいたのはサリエットとユゥイ。
サリエットが微かに眉を潜めるとドリウスは頭を垂れた。ユゥイが思わず前に出そうになるのを止め、サリエットはドリウスを見据える。
「初めまして、ですかな? 私は帝国軍第四師団師団長を務めるレヴオート・ドリウスという者です」
「ご丁寧にどうも。貴方の噂は聞き及んでいますよ。わずか三日で自治州を火の海にした、血も涙もない鬼将軍だとね」
「はは、血も涙もないのは貴方も同じではありませんか? サリエット・クルー……いえ、サリエーゼ王女」
その名にサリエットは目を見開き微かに驚いた表情を見せる。だが、すぐに顔をひきしめた。
「何を、言っているんです? 私はサリエーゼという名ではありませんし、王女でもない。人違いでは?」
サリエットの言葉にドリウスは首を振る。
「いいえ、私は間違ってはいないはずですぞ。少々髪型や雰囲気は変わっておられますが、纏う気品はあの頃と同じ」
「何度も言わせないで下さい。私はサリエーゼではなく、」
「サリエット・クルーという一般人だ、と? あくまでそう仰るんですね?」
笑顔の奥に見えるドリウスの冷たい瞳にサリエットは嫌なものを感じながらも静かに頷いた。ドリウスは決して折れない彼女の態度に首を振る。
「まったく、兄君と同じ頑固さを持っておられるようですね。ある意味感心しますよ」
その言葉にサリエットは微かに眉を潜め不快さ感を露にする。それに気づいたドリウスは失礼、と言葉を返し話を続けた。
「開戦以来、クレヴィニスタ本国は相変わらず頑固なままで我が帝国と和解しようとはしない。そんな状況下を変えることがたった1つだけありました」
コツンと、靴を鳴らしドリウスは再びサリエットを見る。
「……何を、」
「サリエーゼ様、ご無礼を承知で申し上げます。我が帝国の為に御身を捧げて頂きましょうか」
それを合図に周りの軍人達がサリエットに刃を向けた。その状況にダリアとユゥイは表情を強張らせるがサリエットは平然としている。
サリエットはこうなることが分かっていたかのような態度で深く息を吐き、その表情から笑みを完全に消した。
「……これ以上、誤魔化しても意味がないようね。私を使ってクレヴィニスタを動かそうとするつもり?」
「そう。国民や多くの民に慕われる貴女さえこちらに引き込めれば……」
「断らせてもらうわ」
ドリウスの言葉を遮るようにサリエットはそう言い放ち背中に携えていた剣を抜いた。そして一瞬の内に周りにいる軍人達を斬り伏せる。
「なッ!」
驚きの声を上げるドリウスにサリエットは長剣の切っ先を向けドリウスを冷たく見据えた。
それにドリウスは微かな冷や汗を浮かべる。
「な、何故だ! 貴女とて早くこの無益な争いを終わらせたいはずでしょう! なのに、何故!」
「無益な争い、ね。この戦争で着実に領土を広げている帝国の吐く台詞じゃないわね」
チャキと、剣をさらにドリウスへと突き付け話を続ける。
「隠さなくても結構よ。貴方の本当の狙いは分かっているから。貴方は戦争なんて本当はどうでも良いの。狙いは"神竜伝来の宝珠"。そうでしょう?」
ドリウスは一瞬にして顔色を変えた。それまでの余裕の笑みが無くなる。
「はは、何のことですかな。何をおっしゃっているのか、意味が分かりませんが」
「とぼけないで。クレヴィニスタの神官と貴方達帝国が手を結んでいたことはすでに知把握済みよ。あのクーデターを影で支えていたのは帝国だったことも、ね」
一部の軍上層部と神官、そして帝国軍人が全てを企てた。外から壊せないのならば内側から壊してしまえばいい。安易な考え方だが、的を射てるのも事実。まさか実際にやる者がクレヴィニスタにいるとは思わなかったが。
サリエットのその疑問に愉快だとでも言いたげにドリウスは高笑いを上げる。
「くッ、はははは! 貴方達の甘さが招いたことだ。今更、行動を起こしてももう争いは止まらない!」
そう言ってドリウスは拳を作り床を思いきり叩いた。すると、一瞬にして均衡が崩れ部屋が傾く。その隙をついてドリウスは部屋の窓枠に手をかけた。
「ッ!? 待ちなさい! ドリウス!」
「再び会う時には良い返事を期待しておりますぞ。サリエーゼ王女殿下」
ドリウス将軍も光者の一人。彼は能力を利用し屋敷を破壊して逃げていったのだ。数人の部下と共に姿が次第に舞い上がる煙の中に消えていく。
段々傾いて立っていられなくなる部屋に膝をついてサリエットは行き場のなくなった剣先を床に刺した。
「……最悪。あんな奴が光者だなんて世も末ね」
「……ま、気持ちは痛い程分かりますが。今は愚痴られてる場合じゃないと思いますよ?」
ユゥイの指摘にサリエットは一瞬不機嫌そうな表情になり、そして深い息を吐く。
「わかっているわ。早く対処しないと、確実に死者が出てしまう」
ドリウスは床を崩し部屋の均衡を崩した。つまりは二階部分が下に落ちてしまい結果的にこの屋敷は半壊してしまうのだ。残るのは骨組みの柱のみ。大半は地面へと急降下し木屑や廃材と化す。
サリエットは傾き続ける部屋をチラリと見て何かを思案するように目を細めた。
「時間稼ぎ、多少はできそうね」
うんうんと頷いて剣を床から抜くとサリエットは窓枠に手をかけユゥイ達に笑顔を見せる。
「じゃ。中にいる人達の避難誘導はユゥイ、貴方に任せたから」
「へ? ちょ、ちょっと待って下さい! サリエットまさか!?」
ユゥイが慌ててサリエットの後を追うように窓枠に駆け寄ろうとした時にはもう遅かった。
サリエットの身体は風に乗り緩やかに下に落ちていった。無事、着地すると剣を背中に直しその場から駆けて行く。
それを上から見つめていたユゥイは深いため息をついて頭を抑えた。
「……あぁぁ、また無茶を……!」
「まぁ仕方ないさね。あの子は"風の姫"なんだから」
自由気ままに動くのが性に合ってるんだろうさ。そう言って軽やかに笑うダリアにユゥイは苦笑を返す。
「まぁ、確かにそうなんでしょうけどね……」
分かっていることとはいえ周りの人間、特に護衛の身にとっては心労掛け通しっぱなしの行動なのだが。複雑な表情を浮かべるユゥイにもう一笑いしダリアは声を潜めた。
「しかし、厄介なことになったねぇ。あのドリウス将軍に知れたとなると……」
「帝国側の介入がさらに激しくなるでしょう。迂濶に行動できなくなります」
ただえさえ、危うい状況下で旅をしていたのに。それさえも不可能となるかもしれない。
もし、そうなってしまえばーー
ドオォン!!と先程よりも遥かに大きな爆音が響き渡る。地底に何かが落ちるようなそれは、身体に響き、部屋を更に傾かせ立っていられなくなった。もう時間がない。
「話は後ですね。まずは脱出しましょう」
「そうだね。早く皆を避難させないと潰れちまうよ。アタシの体重で余計に重いんだからさ」
おどけたように肩をすくめるダリアにユゥイは苦笑する。重い空気を振り払う為の言葉。笑ったことでいくらか気は楽になるが、状況は酷くなるばかり。急がなければ。
ユゥイとダリアは表情をひきしめ煙舞う崩壊が進む屋敷の奥へと向かっていった。




