光を狩る者、追う者【5】
緑豊かな山岳地帯。大陸東部にあるウィルタ自治区へと向かっているアサト達は、山道を黙々と歩み続けていた。
陽が沈む前に山を越えようと急ぐ道、アサトはふと立ち止まり後方へ視線を向ける。
「ん、んー?」
『アサト? どうしました?』
軽く眉を寄せて首を捻るアサトに、隣にいたヴァーチェが声を掛ける。
「いや、何かリテアの、凄い叫びが聞こえたような気がして……」
『リテアの?』
「うん。なんていうか、その……」
怒りに満ちたというか、やりきれない気持ちが爆発したというか、そんな叫びが聞こえたような気がした。ヴァーチェは頬に手をあて息を吐く。
『何か……あったんでしょうか?』
「たぶん、ホヴィスと喧嘩とかじゃないかなぁ」
過去にも同じような経験があった。その時は、街の不良達に制裁を加えていたのだが。
でも、今回は何故か悲鳴じみてたなぁ、とアサトは首を傾げてみる。心底、嫌な事でもあったんだろうか。
アサトとヴァーチェの2人が何やら話し込んでいるのを見て、サリエットは2人の間に身を寄せた。
「難しい顔してるわねぇ。ね、もしかして、そのリテアって子はアサトの彼女?」
サリエットの言葉にアサトは目を瞬かせた後、あははと笑った。
「違うよ、リテアは俺の妹。双子なんだ」
へぇ、と頷いてサリエットはアサトを見据え、興味津々な声色で話を続ける。
「アサトの妹さんか。双子だから、やっぱり見た目とかそっくりなの?」
「んーん、二卵性だから見た目は似てないんだ。リテアは父親似で俺は母親似」
アサトは思い出すように、目を細めた。
「見た目もそうだけどさ、性格も正反対で。昔から色々と、リテアに怒鳴られ飽きれられてたなぁ。俺が兄なのに、いつも妹のリテアに守られてばっかで」
泣き虫だったアサトはよくからかわれて虐めにあっていた。それを常に助けてくれたのがリテアだった。
「ふうん、随分仲良いのね、妹さんと。羨ましいな」
「そうかなぁ?」
首を傾げるアサトにヴァーチェは笑みを浮かべる。
『私から見ても、2人は仲良いと思いますよ。喧嘩する程仲が良いと言うじゃないですか』
「その言葉は、リテアとホヴィスに言ってあげた方が……」
アサトはそう言って苦笑する。楽しげに話す2人の様子を見てサリエットも、声を上げて笑っていた。
「妹かぁ、私も欲しかったな」
「サリエットは兄弟いないの?」
サリエットの浮かべていた笑みが消える。微かに目を伏せると、小さく首を横に振った。
「……兄が3人、弟が1人いたわ」
「え? いたって……」
「兄1人と弟は5年前に亡くなったの。兄2人は行方不明」
「あ、そうなんだ。……ごめん……」
アサトはバツが悪そうに視線を落とす。何を言っても上手く言葉を表せないと思ったからだ。しんみりとした雰囲気に、サリエットは苦笑しながら手を振る。
「あー、別にいいのよ。もう昔のことだし。それにね、」
澄みきった広い青空を見つめ、サリエットは何かを思い出すように目を細めた。
「こんなご時世だから、いつ命を奪われてもおかしくないもの」
始まりは、5年程前。事は突然起きた。
浮遊大陸を有するクレヴィニスタ王国の国王が、何者かに惨殺されたのだ。古代より続く、伝統ある国の王が殺害された。その一報は、世界に衝撃を与えることになる。
全ての発端は、クレヴィニスタ軍と王国教会の神官が企てた政変によるものだった。
彼等は政権に関わっていた王族、貴族を殺し、政権を奪ったのだ。クレヴィニスタ王国は軍に支配され、暗黒の時代を迎えることになる。
軍に政権が移り、王国は大きく動き出した。各国に普及していた資源開発の停止、鉱石、飛行船の独占。
徐々に資源を、兵力・技術を貯めていき、終いには世界各国に宣戦布告を出したのだ。
一早く、王国軍の動きに反応したのは同盟国であるロディカ=グランヴェルド帝国。
帝国は皇子と婚約関係にあった第1王女を通じて、王国を内から動かそうと思ったが、彼女は軟禁状態にあり会うことは叶わなかった。
その翌日、王国は帝国に向け戦闘を開始してしまう。争いを、民に刃を向けることを非難していた国が、諸国に牙を剥いたのだ。
その争いの波は静まることなく、5年経過した現在も戦争は続いている。
「私達はディスラートから何とか地上に降りてきて、3年旅をしてるけど、現状は何も変わらない。むしろ悪化するばかりね」
食料は奪われ、殆どの街や村が王国軍や帝国軍によって無惨に壊された。命も多くが消え失せてしまった。話を静かに聞いていたアサトはふいに首を傾げる。
「……ねぇ、1つ聞きたいんだけど」
サリエットは上げていた視線をアサトに戻し小さく頷いた。
「いいわよ。何?」
「浮遊大陸って何? 何処にあるの?」
「……」
思いも寄らないアサトの問いに、サリエットの動きが止まる。何度かの瞬きの後、声を上げて笑った。
「ふふっ、あー、そうか、やっぱり知らないのね。ええと……」
再び空を仰ぎ、サリエットはある部分を指す。そこは深い深い雲に覆われていた。
「一瞬だから、目を逸らさずに見ててね」
サリエットに言われた通り、その1点を見続けていると、雲の切れ間から緑豊かな森と白亜の建物が垣間見えた。
「あっ! もしかしてあれが?」
「そう、あれが浮遊大陸ディスラート。クレヴィニスタ王国のお膝元よ」
年中雲に包まれている為、地上から大陸はこうして時折しか見ることが出来ない。故に雲の都、新空都市とも呼ばれている。
大陸を守るように、吹き荒れる強い風。結界とも呼べるその風が敵国を寄せ付けない城壁となっていた。
「私とユゥイはあの大陸出身なの。私以外にも、多くの民が地上に逃れてきてるわ」
「え? なんで?」
敵が攻め込んで来ないのなら浮遊大陸は安全な筈だ。なのに何故、危ない地上へ降りるのか。
そうアサトが呟いたら、サリエットは悲しげに目線を落とした。
「安全なんかじゃないわ。逆に、地獄だった。軍はあろうことか、市民にも刃を向けたの」
「ええッ!?」
食料、財産のほとんどは軍に押収され、逆らう者は殺された。女子供関係なく。殆どの市民は兵士、もしくは軍関係の工場で働かされることに。逆らえば殺される。大人しく従うしかなかった。
そんな状況下に耐えきれず大陸を脱出する市民が多くいた。同じ地獄なら地上の方がまだマシだと。何も発さず聞き手に回っていたヴァーチェは徐ろに口を開いた。
『動こうとする者は、誰もいなかったのですか?』
サリエットは顔を上げて静かに頷く。
「えぇ、唯一の希望である王女は軟禁状態。大半の貴族は我先にと逃げたわ。周りにいるのは軍人ばかり。市民の力で、どうにか出来る状況ではなかった」
「そこで、我々は考えたんです。内から無理なら外から変えよう、と」
ユゥイはサリエットの言葉をそう続けて瞳を閉じた。
あの大陸は雲の城壁により地上は元より他の国からも遮断されている。地上の人々はディスラートの内情を知らない。恐らくディスラートの市民は裕福に暮らしていると、思っているのだろう。その誤解を解くと、共に他国に助けを求める為――
話を聞き終え、アサトはそっかぁ、と頷きを返す。
「えぇと、つまり、サリエット達はあの大陸の実情を伝える為に旅してるの?」
「ま、半分正解。……半分は外れね」
苦笑を浮かべ、サリエットは口に人差し指をあてた。"これ以上は言えない"という意味である。
「かなり、気になるんだけど……」
「あら、私的にはアサト達のことが気になるんだけどな」
私はアサト達のこと何も、知らないんだけど?
そう口にしてサリエットはアサトをジッと見据える。
アサトは少し後退し、誤魔化すように笑った。
「あ、そうだったっけ?」
「そうよ。仲間を探していること以外。というか、おかしいわよね? 記憶喪失の割に、妹さんのこととか覚えてるんだもの」
アサトの表情が一瞬にして変わった。笑顔から一変、不安げな焦った表情に変わる。それをサリエットが見逃す訳がなかった。
「貴方達の記憶喪失が嘘だというのはとっくに分かってるのよ。地理に詳しくないのは嘘じゃないみたいだけど。こっちの事情を話したんだから、そろそろ話してくれても良いんじゃないかしら?」
「それは……」
ちらりとアサトはヴァーチェを見る。視線を受けたヴァーチェは一息吐いて、軽く首を横に振った。
『……それは、言えませんよ』
「何故?」
『だって貴女達もまだ何かを隠している。そうでしょう?』
「ッ、」
ヴァーチェの指摘にサリエットは目を見開く。そして、薄く笑った。
「……驚いた。何で分かったの?」
『長年の勘です。様々な逆境を乗り越えてきましたから』
「そう……」
サリエットは苦笑を浮かべたまま、ヴァーチェに背を向ける。そして、この話はここまでとばかりに手をパンパンと叩いた。
「よし、わかったわ。一先ず保留ということで。お互いに色々とありそうだし」
サリエットは肩越しにヴァーチェ達を見て、笑顔を見せた。
「それにせっかくの旅を台無しにしたくないもの。ね、アサト」
「ふぁッ!? え、あ、うん!」
情けない声を出してアサトはコクコクと頷く。恐らく、何の同意かは理解してないだろうが。
「……見えてきましたよ」
いつの間にか一足先に、歩みを進めていたユゥイが足を止めて遥か先を見据えていた。サリエット達も慌ててユゥイの元に駆け寄る。目線の先に見えたものは、
「わあ、街だぁ……!」
深い森に囲まれた中央に、褐色の家々が見える。それを守るように、高い城壁がそびえたっていた。
「あれがウィルタ自治区、始まりの街リスエラよ」
「へー、大きいんだねぇ」
感心するアサトにサリエットは淡く微笑む。
「そうね。この周辺では、1番大きいかもしれないわ。商人の集まる街としても有名なの」
ティスディ大陸を渡る行商人は、必ずここを中継ポイントとして使う。それに今の世界情勢で、まともに経済取引が出来るのはこの街だけ。故に自然とここには人々が集まるのだ。
「人が集まる場所こそ情報があるってね。さぁ、急いで山を降りるわよ!」
サリエットはユゥイを引きずりながら先に進んで行く。先に進んで行った2人を無言で見送り、ヴァーチェとアサトは顔を見合わせる。
「……ヴァーチェ」
『まずは大丈夫ですよ』
不安気なアサトにヴァーチェは微笑む。
『彼女達の事情もありますが、我々にも事情があります。それを優先させなければなりません』
この争いの絶えない世界。下手にこちらのことを話せば異端者扱いされ、捕まらないとも限らない。ある程度の情報を得るまで黙っている方が得策だろう。
「でも、サリエット達になら話しても大丈夫だと思うけどなぁ」
色々なことを教えてくれたし、信用できると思うんだけど、と呟くアサトにヴァーチェは軽く眉を顰めた。
『アサトの考えも一理あります。ですが、安易に全てを話して、取り返しのつかないことになる場合もあるんですよ』
そう。数年前に起きたあの事件のように。
「え?」
『……何でもありません。私達も先を急ぎましょう』
ヴァーチェは踵を返し、その場から歩き出す。首を傾げながらそれを見つめていたアサトはハッとして、慌ててヴァーチェの後を追っていった。
深き山に囲まれた森の中ーー
山を降りていく4人を見つめる影がいた。
それは木に止まり、彼等を静かに見据えていた。見定めるように。記録するように。
暫くしてその影は風に乗り、浮上する。そして空に溶け込むようにして、消えた。
始まりは影。終わりなき影。
新たな力を宿した者達が、再び動き始めようとしていた。
――"干渉者"と呼ばれる彼等が。




