焼ける大地【5】
キッシュのぼやきにリテアは息を吐く。そして、何かを思い出したかのようにホヴィスを見た。
「そういや、あのベルガっていう青髪の奴さ、一体何を目的としてんの? こんなことまでして」
「……さあな」
ホヴィスは煙草をひょいと口で動かし、煙で簡易な円を作る。ふわりと浮いていく煙を見つめながら口を開いた。
「オレから言えるのはただ1つ。奴等は、世界を揺るがしかねない何かをしようとしている。それぐらいだ」
そう、奴等は何かをしようとしている。多くの適合者の命を奪い、DAMを造り出し、鍵を求めていた。大量の犠牲を必要とし、何かを生み出そうとしている。一体、何を?
『お前がッ! お前が、代わりに死ねば良かったんだ!!』
ふいに懐かしい、けれども思い出したくない情景と共に奴の声が蘇る。ああ、そうか。
奴が望むものと言えば、1つしかないだろう。
彼女が、シーファが望んでいた、夢を見ていていた何かを手に入れようとしているのだ。
「……馬鹿だな、アイツは」
そんなことをしても、彼女は喜びやしないのに。本当に馬鹿野郎だ。だが、ホヴィスもそうやって、人のことを言える立場ではない。後悔は未だに胸の奥に燻っている。あの時に、いやもしも、あの頃に戻れたならーー
≪……だーんなッ!≫
ぺちんッ!!と小さな手形がホヴィスの頰に咲く。思いっきり頬を叩かれホヴィスはハッと我に返った。一瞬、自分が何処にいるのか分からなくなりかけたが、軽く目を瞬かせてからホヴィスは息を吐いた。
「……悪い。ボーッとしていた」
キッシュはホヴィスの頭に乗ったまま、緩く首を傾げる。
≪旦那が、話をちゃんと聞いてないなんて珍しいね。何か、考え事?≫
「まあな」
「どうせ、くだらないことでも考えてたんでしょ。オッサンだし?」
ピクリ、とホヴィスはリテアの言葉に反応するが、反論はせずある事を告げた。
「それより、お前は両親のことでも考えてた方がいい」
「両親? なんで、」
訝るリテアの代わりに、キッシュはああと思い至ったように手を叩く。
≪そっか! あの地下での遺体が、人形だとしたら……!≫
「お前達の両親は、生きている可能性が高い」
「あ!」
リテアは驚きの声を上げてから、ホヴィスとキッシュを見る。2人の表情は穏やかで、嘘を付いてるようには見えない。
「そっか、母さん達が生きてる……」
リテアはどこか嬉しそうに微笑んだ。
「ま、あくまで可能性だからな」
余計な一言をわざとらしく強調するホヴィスをリテアはギッと睨みつける。
「うっさいわね! 分かってるわよ、それくらい」
ホヴィスに舌を出して反論するリテアに、キッシュはあははと面白そうに笑う。2人に笑うなと言われても、キッシュは笑うのを止めなかった。キッシュはひとしきり笑って、ホヴィスに目を向ける。
≪良かった良かった。さてと、旦那。これからどうすんの?≫
「決まってんだろ」
煙をフゥーと吐いて、ホヴィスは残り少なくなった煙草を、掌で握り潰す。ホヴィスの意味深な笑みにリテアは眉を寄せる。
「……何? ちょっと、何をするつもりなの?」
≪ん? 簡単なことだよ。この牢から、軍施設から脱け出そうって言ってるだけだし≫
「……え。それって、つまり……」
脱獄という2文字がリテアの脳裏に過る。怪訝な表情が瞬時に、驚きへと変わった。
「はぁぁぁ!? ちょ、一体どうやって、むぐッ!」
あまりにも高い声に、思わずリテアの口をホヴィスは片手で塞ぐ。
「声がでけぇよ、馬鹿」
そして入り口にいる兵士に目を移すが、ただの口喧嘩だと思って聞き流しているようである。
一息吐いて、ホヴィスは手を離した。
「……気づかれれば、それで終わりだ。少しは声量落とせ」
「いちいち、むかつくわねアンタ。まぁ、いいわ。で? 脱獄するにもどうすんのよ?」
ホヴィスはチラリと鉄格子の窓を見て、目を細めた。
「夜が明ける前に何とかするさ。キッシュ」
≪アイサー!!≫
ホヴィスの肩から飛び降り、キッシュは窓の隙間から外へと出ていく。それをただ見送っていたリテアは、微かに眉を顰める。
「……大丈夫なの?」
「何が」
「キッシュ、1人に行かせて。なんか、凄い不安なんだけど」
「心配ない。オレ達にとっちゃ、脱獄なんて日常茶飯事だったからな」
「ふぅん……て、え?」
軽く頷きを返しながら、リテアはふと眉を寄せた。
(あれ? 今、こいつさらりと凄いこと言わなかった? 日常茶飯事だとかどうとうとか。脱獄が日常ってどういうことよ!?)
「何、睨んでんだよ」
「睨みたくもなるわよ。どういうこと?」
「どういうって、言葉のままに決まってんだろ」
新たな煙草へ着火し吸い始めながら、欠伸をするホヴィスにリテアは声を上げる。
「だーかーらーッ! アタシが聞いてんのは、なんでそんな羽目になったか、その理由を聞いてんの!」
「理由? ハッ、そんなの簡単だ」
ホヴィスは自嘲の笑みを浮かべ、煙草をひょいと動かす。
「命令違反」
「は?」
思わずリテアは身体の動きを止めた。それを横目に、ホヴィスは話を続ける。
「理不尽な仕事ばかり押し付けられて嫌で嫌でたまらなくてな。ま、要するにサボっていた訳だ」
「それで牢に? んで、毎回脱走してたと?」
「まあな」
「……ばっかみたい」
深い深い溜息を吐いてリテアは首を横に振った。
「アンタ、何の為に軍人やってたのよ?」
「さて、な。忘れたよ、そんなもん」
曖昧な返事を返すホヴィスに、リテアはもういいとばかりに背を向けて会話を打ち切った。ホヴィスはフッと軽く笑みを浮かべて、目を細める。
「……ま、半分は嘘だけどな」
リテアに聞こえないような声量でそう呟き、ホヴィスは天井を仰いだ。
牢に入れられた本当の理由は因縁によるもの。ベルガによって仕向けられた、回避困難な罠。
味方に落とそうと、様々な手段で俺を危機的状況に追い込んでいった。かなり酷い拷問を受けたこともあるし、自害を考えたこともある。
そんなことを、言えるわけがないだろう。俺達の過去をリテアが知る必要はない。人の闇の部分を覗くのには、まだ早すぎる。
あいつらには、まだ。
≪だだだ、旦那ー!!≫
然程時間は経っていない。ものの数分で慌てて駆けて戻ってきたキッシュを見て、ホヴィスは思考を中断し顔を上げる。
「どうした?」
≪どうしたもこうしたも、ヤバいんだよ! この世界にも、DAMがいるみたいなんだ!≫
キッシュの言葉にホヴィスとリテアは目を見開く。ホヴィスは厳しい表情でキッシュを見据える。
「……どういうことだ、キッシュ。詳しく話せ」
キッシュは乱れた息を整えて再び口を開く。
≪詳しくは、わかんないけど、干渉者って軍人達が言ってたんだ≫
子供の身なりでずば抜けた運動能力・知識を持った者が最近この国、いや世界中に出現するようになったと、言っていた。その子供達の傍らには赤毛の青年がいつも控えているらしく、彼が全ての元凶ではないかとも。
「赤毛だと?」
呟いてホヴィスは眉間に皺を寄せる。それにリテアは反応した。
「何? もしかして、知り合いとか?」
「……いや、まだわからない。だが、」
ゆっくりと煙草の煙を吐き、ホヴィスは口元を引き締めた。
「詳しく調べてみる必要があるな。キッシュ、守備は?」
≪大丈夫。問題ないよ≫
「なら、行くか」
音も無くと立ち上がり壁を調べ始めるホヴィスをリテアは怪訝そうに見る。
「ちょッ! 何をするつもりなの?」
「決まってんだろ」
石壁を叩きながらホヴィスは静かにこう言った。
「今から脱出すんだよ」
夜の闇が消える頃、静まり返っていた地下牢から爆音が響いた。




