焼ける大地【2】
何かに弾かれたようにアサトはハッと目を覚ました。ぼんやりと映る視界から見えたのは、自分の背丈よりも遥かに大きい緑の樹木。アサトはその木陰に横になっているようだ。
心地良い風が頬を撫でる。視線だけを動かすと緑ばかりが見え、毛布が自分にかけられていることに気づいた。
「……俺……」
(どうして、こんな所に? 地下にいたはずじゃ……)
『アサト? 良かった、気がついたんですね』
自分の置かれている状況が分からないと困惑していると、頭上から響いた見知った声にアサトはホッとする。そして、そのまま起き上がろうとするが、腹部がズキリと痛みを放ち思わず表情を歪めた。
『無理しては駄目ですよ。傷は塞がってはいますけど、内臓へのダメージは無くなってません。油断すれば傷口も開く可能性があるんですから……』
淡い青色の髪を揺らしヴァーチェはアサトの近くに腰掛ける。ヴァーチェに苦笑を返しながら、アサトは首を傾げた。
「ねぇ、ヴァーチェ。ここ何処なの?」
『……わかりません』
首を振ってヴァーチェを目を伏せる。
『地下崩壊から免れる為、私は転移を行いました。でも、場所を指定しなかったので何処に辿り着いたかは……』
「え? どういうこと?」
訳が分からないと眉を寄せるアサトを見て、ヴァーチェは頬に手を当てる。
『ええとつまり、此処は璃球でも月でもない別世界、ということです』
「へぁっ!?」
アサトは目を見開き周囲を確かめるようにキョロキョロと見渡す。
「ここが、異世界って……」
そして、何かを思い出したように立ち上がった。
「そうだ! 俺リテアと一緒にいたはずなんだ! それに、ホヴィスやキッシュは? 皆も一緒にいるの!?」
『それが……』
言葉を濁らせヴァーチェは服の裾を握りしめる。
『リテア達の姿は、何処にも見当たらなくて。この世界に転移したのは間違いないのですが、私達とは違う、別の場所に落ちたのかもしれません』
「そんな……」
アサトは視線を地面へと落とす。リテアは大丈夫なんだろうか。あの時、リテアは泣いていた。両親と再会したあの地下で。
その後、リテアは何もなかったように戦っていたが、かなり無理していたと思われる。戦いという緊張から離れたリテアがアサトは心配でならなかった。
(……ログに会ったっていうし、尚更心配なんだよなぁ)
アサトは深々と息を吐き思考の波に浸るように、目を閉じようとする。それを見たヴァーチェが口を開こうとした、その時だった。
「気がつかれたみたいですね」
1人の青年が此方に歩いてきている。銀髪に翡翠色の瞳。穏やかそうなその青年はアサト達を見て微笑んだ。
「気分はどうです? 痛むところは、ありませんか?」
「え、あ、はい」
アサトは軽く頭を振って返事を返す。そして青年を見つめた。視線に気づいた青年は苦笑を浮かべる。
「別に怪しい者ではありませんよ。僕はユーウェン。ユーウェン・フイ・ロウアーズと言います。長い名なので、ユゥイで構いません」
「俺はアサト。こっちはヴァーチェ。えと、ユゥイ、さん? もしかして、この毛布や包帯は……」
アサトの言葉にユゥイは頷く。
「はい。そうです。僕等が貴方達を見つけて、処置を施しました。驚きましたよ。森の中に、人が倒れてたんですから」
しかも、光に包まれて現れたというから驚きも倍だった。
「……もしかして、ですが。貴方達もディスラートの難民、ですか?」
「え?」
難民?と、アサトが言葉の意味がわからず首を傾げた時だった。
「ユゥイー!!」
今度は1人の女性が駆けてくる。淡い金髪の髪に、藍色の瞳。髪は1つにまとめ上げられ帽子を被っていた。長く残した両サイドの前髪が風でフワリと揺れる。
見た目から多分アサトと同じ歳くらいだろうか。女性はユゥイに小包を渡す。ユゥイはそれを頷いて受け取った。
「お疲れ様です。終わったんですか?」
「まあ、一段落と言ったところね。村人の弔いはほとんど済んだし。でも今から食料の確保で大変で、……あら?」
女性は呆然と立ち尽くしているアサト達を見て目を瞬かせる。
「貴方達……! そっか、目が覚めたのね? 良かったわ」
満面の笑顔で女性は手を嬉しそうにパンッと叩いた。
「私はサリエット。世界を旅しているの。彼は幼馴染で口煩い小姑の、」
「誰が小姑ですか」
ユゥイは女性ーーサリエットの言葉を遮るようにそう言って、彼女の頭を軽く小突いた。アサトはそれに苦笑しユゥイにしたように、簡単な自己紹介をサリエットにする。笑顔でサリエットは頷き、アサトとヴァーチェに笑顔を返し、握手も交わした。
その時サリエットはある事に気付く。
「何だかヴァーチェって、不思議な言葉を話すのね。まるで古語みたい」
『……ッ!?』
ヴァーチェは心底驚いたというように、その動きを止める。そしてサリエットへ目を向けた。
『私の言葉が、分かるのですか?』
「うん。まぁ、少し聞き取りづらいけど。きちんと分かるわよ。ね、ユゥイ」
サリエットの視線にユゥイは困ったような表情を浮かべた。
「サリエット、水を刺すようで悪いんですが。僕には、彼女の言葉はまったく分からないですよ?」
「嘘ぉ!?」
サリエットは声を上げユゥイとヴァーチェを見比べる。そんな中、状況が理解出来ないとばかりにアサトはヴァーチェに耳打ちした。
「ねえ、ヴァーチェ。どういうこと?」
『……以前、私が話したことを覚えていますか?』
ヴァーチェの言葉は、適合者若しくはヴァーチェが聞こえるよう配慮した人物のみしか理解できない。つまり、初対面である彼女がヴァーチェの言葉を理解出来るはずがないのだ。
だが、彼女は理解した。ということは、考えられる可能性は1つ。
「適合者?」
『はい、その可能性が高いです』
アサトはちらりとユゥイと話しているサリエットを見る。
(この人が適合者。俺らと同じ……)
『まぁ、彼女が適合者だということは一先ず置いておいて。私達は、ホヴィス達と合流しなければなりません』
視線をヴァーチェに戻し、アサトはああ、と頷いた。
「そっか、そうだよね。ホヴィスもリテアも……」
一瞬だけ嫌な沈黙が2人を包む。そうだ。アサトとヴァーチェが同じ場所にいた以上、あの2人が一緒にいる可能性が高い。何かと喧嘩する2人だ。きちんと協力し合っているだろうか。
何故か急に、酷く不安になってきた。
それはヴァーチェも同じようで軽く息を吐く。
『……まずは此処から移動しましょうか』
「でも、場所とか分かるの? 地理もよくわかんないよね?」
『………』
痛い所をアサトに突かれ、ヴァーチェは頬に手をあて黙り込んでしまった。それを見てアサトは頭をガシガシとかく。
地理に詳しい人がいればなぁ、と思案した先に視界に入ったのはサリエットとユゥイだった。
サリエットは旅をしている、つまりは旅人だ。この世界の地理を知らないはずがない。
「あの、サリエット!」
「ん?」
ユゥイと話していたサリエットは此方に視線を向ける。
「なあに?」
「あの、サリエットはこの地域の地理とかに詳しかったり、する?」
サリエットは思わず目を瞬かせた。
「まぁ、分かるけど。どうして?」
「いや、俺達さ……、この辺り、まったく分からないから、近くの街まで案内してもらえないかなあ、と」
あははと、何処か困ったように笑うアサトを見てサリエットは、深く考える事なく頷きを返した。
「良いわよ。どうせ、あたし達も東に向かう所だったし」
「サリエット!」
ユゥイは声を上げサリエットの腕を引いた。
「何、安易に受けてるんですか! こんな年端もいかない子供を連れて歩くなんて、危険過ぎます。道中、何があるか分からないのに!」
「あら。楽しくなるからいいじゃない」
笑顔でさらりと返すサリエットに、ユゥイは思わず頭を押さえた。
「いや、楽しいとか楽しくないとか、そういうことを言ってるんじゃないんですが」
そう呟いて唸るユゥイを完全無視し、サリエットはアサトとヴァーチェを見る。
「あたし達、これからウィルタ自治区に向かう予定なの。名前ぐらいは聞いたことあるわよね? 有名な場所だもの」
サリエットの言葉にアサトとヴァーチェは首を横に振る。転移して気がついたばかりなのだ。当然ながら知る筈がない。
「……一体、貴方達何処から来たの?」
何もわからない様子のアサト達にサリエットは首を傾げ、困惑の表情を浮かべる軽く眉を寄せ、アサトは頭をかいた。何と言えばいいんだろうか。
「えーと、俺達……」
『実は私達、記憶が曖昧で。何処から来たのか、覚えてないんです』
思いもよらないヴァーチェの言葉に、アサトは目を瞬かせた。
(うわぁ、さらりと嘘言っちゃったよ。まぁ、確かに、この世界のことは何にも分からないし、ある意味正しいのかもしれないけども!)
サリエットは口元に手を当て、驚きの声を上げる。
「じゃあ、凄く大変じゃない。故郷も? 分からないの?」
『はい。なかなか思い出せなくて。ね、アサト』
「えっ!? あ、う、うん」
それを聞いて、サリエットの心は完全に決まった。
「なら、やっぱり放っておけないわ!困ってる人を助ける。人間として当たり前のことだもの! いいわね、 ユゥイ!」
「……ハァ、反対したところでどうせ聞かないんでしょう? 仕方ありません。認めますよ」
深々と息を吐いてユゥイはサリエットを見る。
「やったぁ!」
渋々承諾したユゥイにサリエットは感謝の意味を込めて、思いきり抱きつく。ユゥイはそれに驚き、照れたようにサリエットから離れようとするがサリエットがそれを許さない。
そんな光景を横目にアサトはヴァーチェを見た。ヴァーチェは意味ありげな笑みを浮かべ、口元に指をあてる。
「ヴァーチェ……」
『たまにはこういうのも、必要ですよ』
確かに自分達はこの世界のことに関しては無知だ。サリエット達に色々聞くにはこうする方が、都合がいいのかもしれない。
ヴァーチェはフッと目線を下げ、両手を握り締める。
『それに、下手に動くのは危険です。この世界にも、彼らがいる可能性もないとも限りませんから』
笑っていた表情を引き締め、アサトはヴァーチェを再び目線を向けた。
「彼らって、DAM?」
『ええ、正確にはベルガの独自組織の面々ですが。彼等が、既に暗躍していることも考えられます。慎重に行動しなければなりませんね』
アサトは頷いて、ふとあの戦いを思い浮かべる。鍵の力を使っても尚、驚異的な能力を持つ者達。レオン達みたいな輩がこの世界にもいるんだろうか。
(……そういえば、)
ログはどうやって、レオン達を退けたんだろう。自分にはその時の記憶が一切ない。
何度も何度も首を捻り、記憶をたぐり寄せようとするが、結局アサトがそれを思い出すことはできなかった。




