適合者【3】
奴らの殺気は本物だった。
あれに対抗する術を知らなければ、今度は間違いなく死ぬ。幾度となく喧嘩の死闘を繰り返してきたリテアには直感で分かった。
まだ死ぬ訳にはいかない。だってやりたいこと沢山あるんだもの。なら、選択は1つだ。
………しかし。
ヴァーチェの隣にいるホヴィスを見て、リテアは不快そうに眉を寄せた。必要な事だと理解は出来る。出来るが、やはりこいつに頭下げて教えを乞うのはなんか腹立つ。
リテアの心の葛藤に気付いたのか、彼女の視線を受けたホヴィスは小さく鼻を鳴らした。
「嫌なら別にいいんだぞ。勝手に戦って勝手に野垂れ死にな」
「アンタってほんと嫌な奴! 思いやりも何もありゃしない!!」
基本的に馬が合わないのだろう。止める間もなく、リテアとホヴィスの2人は、再び口論を始めてしまった。
(……うーん、この2人ってほんと仲悪いよなぁ。何かと口喧嘩するし)
腕を組んでアサトは息をつく。そんなアサトの頭でキッシュは「キィ」と鳴いた。
≪まぁ、あれだね。何かと2人似てるんじゃない? ほらあれだよ、"喧嘩する程仲が良い"っやつ≫
「良くない!!」
「良くねぇ!!」
キッシュの言葉が耳に届いたのだろう。ギッとこちらを睨みつけると、2人揃って反論の声を上げた。
リテアは音を立てながら歩み寄ってくると、アサトの頭にいるキッシュをひょいと掴み上げる。
「誰と誰が仲良いって? 似てるって? もう1回言ってみなさいよ。ほら」
≪え、えーと……≫
満面の笑顔で言っているが拳がギリリと握り締められている。あ、これ詰んだ。下手な答えを言おうものなら、ただじゃ済まない。2人から私刑を執行される
「オレも、お前の先刻の言葉が聞きてぇな。何て言ってたか?」
銃を手にし、銃弾の有無を確認しながら言うホヴィスは無表情だが、目が本気だ。
アサトは1歩また1歩と後ろへ身を引いた。この先、起きることは容易に想像できるし、正直言って巻き込まれたくない。
『くれぐれも、家を壊さない程度にして下さいね』
やんわりとそう言ったのはヴァーチェだ。止めるでもなく、静かに見守っているヴァーチェの姿にアサトは首を傾けた。
「……え、止めなくていいの?」
ヴァーチェはええ、と微笑み頷いた。
『先程まで止めてばかりでしたから、少しはストレス発散させないと。後々、大変なことになります』
「……ああ」
何となくその大変なことは想像できそうだ。そう言えば、リテアもストレスを溜めすぎて大変な事をした時期があったな。まあ、今となってはいい思い出だが。
『アサトさん』
「んぁ、なあに?」
ヴァーチェに名を呼ばれ、思考の波に潜っていたアサトは徐に顔を上げた。それにヴァーチェは小さく笑みを溢す。
『アサトさんは、修業の件、異論はないんですか?』
「俺? うん、ないよ」
『どうしてですか?』
「どうしてって……。んんー、何となく。自分には必要な気がするから、かな」
ほら、俺ってリテアより弱いしさ、と言ってアサト頭を軽く掻く。妹に守られてばかりはどうかと思うんだ、と誤魔化す事をせず率直な意見を持つアサトに、ヴァーチェも成程と頷いた。
『あなたは、自分に素直なんですね。……あの人と違って』
「え?」
『……何でもありません。それでは、修業の詳細を決めましょうか』
そう言ってヴァーチェは、キッシュを虐め、否、指導しているつもりの2人の元へと向かっていく。その背を見つめアサトは首を捻る。
ヴァーチェが時折見せる悲しい表情は何なのだろう。そう疑問を浮かべるが、考えても考えても答えは出てこなかった。
(……ま、いっか。何れ、話を聞けるかもしれないし)
そう結論づけてアサトもヴァーチェの後に続いた。
……と、まぁこんな経緯で今に至る。
現在俺にはホヴィスが、リテアにはヴァーチェが付き指導している状態だ。
本来ならホヴィスとリテア。ヴァーチェと俺だったのだが、
「コイツと組むなんて絶対に嫌だ!!」
と2人から猛反発され、再び大喧嘩勃発しそうな雰囲気に、ヴァーチェは仕方なく変更することを承諾した。
ヴァーチェ曰く、実力的には変更する前の組み合わせが一番だという。
(……ヴァーチェには悪いけど、あの2人が一緒に行動することすら難しいような……)
アサトは内心、深々と息を吐くしかなかった。
「……あれ?」
剣の響き合う音がしない。戦いが終わったのだろうか? アサトが、一歩を踏み出そうとしたその時。
「――隙あり!!」
突然聞こえた声に顔を上に向けるとそこにはキッシュの姿が。手には何故か真剣を携えている。
「いっ!?」
アサトの手に今は武器はない。手に持っていた木刀は下に落としたままだ。このままいけば負傷するのは確実である。
アサトは唇を引き締め掌を頭上に伸ばした。そして、何かを思い出すように目を閉じる。
―――殺那。
アサトの頭上に風が集まり始めた。アサトを守るように風は揺らぎ、キッシュを弾こうとする。だが、風はキッシュを押し返すことなく、一気に霧散し掻き消えた。
「へ? ……うわわっと!?」
仕方なくアサトは迫ってくる剣をギリギリで躱す。そこまでは良かった。だが、着地を誤り、只の地面の石に躓き顔面から強打してしまった。あれは、誰がどう見ても痛いだろう。
キッシュは慌ててアサトの元に駆け寄り顔を覗く。
「アサトくーん。大丈夫ー? 生きてるー?」
「だい……、じょうぶ……」
顔を押さえアサトは、あははと笑顔を取り繕うが、顔面は悲惨な事になっていた。顔には泥がつき、鼻血も出ている。それを見てキッシュは苦笑を浮かべた。
「んんー、やっぱりアサト君は、能力解放が無理みたいだね。苦手な人でも防御壁ぐらいは出来るんだけどなぁ……」
「……うん。ごめん」
「謝る必要はないよ。誰にも、向き不向きがあるしー」
「だが、このままじゃ話にならん」
小石をジャリと踏んで、ホヴィスはアサトを見据えた。
「たった1週間で、全てを身につけるのは無理がある。それは分かっているつもりだ。だが、今のお前の実力じゃ、奴らに傷を負わせることも無理だろうな。殺されてしまうのがオチだ」
アサトは漠然とホヴィスを見る。彼の瞳は漆黒のサングラスのに隠れていて見えない。その瞳を静かに伏せホヴィスは息を吐いた。
「……力が、空回りしすぎなんだよ。お前は。詠唱は間違っちゃいない、オレが教えた通り。だが、それじゃ駄目だ」
ホヴィスは拳を作り、それを胸にトンと当てる。
「力の源は常に此処にある。此処に不安や迷いを抱いている場合、能力は発動しない。これは剣技にも言えることだ」
「剣技にも……?」
「そうだ。"心を開け。剣の声を聞け。力と心は一心同体なり"……オレの師が、口癖のように言ってた言葉だがな」
いつの間にか火を付けていた煙草を手で掴み、ホヴィスは勢い良く煙を吐く。
「アサト。お前には、まだ迷いがある。だから能力を上手く扱えねぇんだよ」
ホヴィスの言葉にアサトは目を見開く。そして首を振った。
「迷いなんてないよ! 俺は……!!」
「命を奪う事になる覚悟はあるか」
「……ッ!!」
ホヴィスは煙草を口に戻し腕を組んだ。
「修業初日に聞いたよな。武器を、剣を持つ事で自分を守れると同時に、人の命を奪う可能性も高い。その覚悟はあるのか、と」
「……うん」
「あの時、お前は長い沈黙の後"ある"と答えた。その瞳は真剣だったし、多少迷いは見られるが大丈夫だと思った。だが、今は迷いが勝ってるようだな」
「………」
ホヴィスの問いに何も返さず、アサトは黙り込む。
……図星だったからだ。
剣技を覚えていく事に少しずつ積み重なっていった不安。剣を始めて持った時とはまた違う不安が心の中に渦巻いていた。
あれ程憧れていた剣。戦う自分の姿。
だけど、それとは別に襲ってくる無数の不安や迷い。笑顔の裏でアサトはいつも悩んでいた。
唇をひきしめたまま黙りこんでしまったアサトを見て、ホヴィスは再び息を吐く。
「迷うのは当たり前さ。オレもそうだったからな」
「えっ!?」
ホヴィスはアサトが顔を上げたのを確認し、話を続ける。
「軍人になりたての頃は、特にそうだったさ。剣を握る度に不安が過ってた。迷いも無しに武器を振るう奴がおかしいんだよ。……アイツみたいにな」
アイツって誰……?
アサトが疑問を表すように首を傾けているとキッシュが耳打ちしてくれた。
「アイツって言うのは、レオンの事だよ。一応アレでも、旦那の優秀な弟子の1人だったからね」
「おい、キッシュ……」
「別に隠すことでもないでしょー。レオンは道を誤った。それだけ」
ホヴィスは感情を隠すように襟足をガリガリ搔くと、空を仰いだ。
「……迷いを履き違えば、闇に堕ちる。それだけ心は大事なものだ。迷いを持つなとは言わない。迷いや不安、それを受け止め、力を奮える心を作れ。そうじゃないとお前はここで終わる」
空から目線をはずしホヴィスはアサトを見つめる。
「迷いを感じることの出来る、お前ならやれるさ。自分を信じて前に進め」
「前に……」
頷きホヴィスは手に持っていた長剣をアサトに投げ放つ。受け取ったアサトは戸惑うようにホヴィスと剣を交互に見た。
「構えろ。オレと勝負だ」
「勝負!?」
アサトは驚きの声を上げ、首を勢い良く左右に振った。
「無理だよ! 俺なんかがホヴィスに敵う訳ない。すぐに俺が負けちゃうよ!!」
「誰がオレに勝てと言った?」
煙を吐いてホヴィスは、アサトの額を指で弾く。アサトは痛みに表情を歪める。
「勝ち負けじゃねぇよ。実践でコツを掴めって言ってるんだ」
「コツ?」
「奴等にはオレと互角、それ以上のDAMがいる。奴らに対抗するには、的確な技と力加減が必要になる。……まぁ、要するに頭と身体、両方駆使して戦えってことだ」
「……頭かぁ……」
(……頭使うのなんて、大の苦手なんだよな。学科試験ではいつも赤点、補習ばっかりだったし)
アサトは困ったとばかりに頬を掻いた。そんなアサトを見てホヴィスは目元を細める。
「お前が頭使う事が苦手なことは把握済みさ。だから、剣を渡したんだ」
「へ?」
どういうこと?
アサトが目を瞬かせ混乱している横でホヴィスは腰に携えていた長剣を抜く。
そして、その切っ先をアサトへ向けた。
「頭が無理なら身体に覚えさせるのみ。オレも、そうやって来たからな。堅苦しいことや面倒なのは苦手だ」
アサトは向けられた切っ先とホヴィスを見て掌を握りしめた。
「こんな俺でも強くなれるかな。まだ、なれるかな。誰かを守れるように」
揺れる心。まだ戦いを知らない瞳。
ホヴィスは全て失ってしまったものだ。純粋な心ほど強いものはない。
――だからこそ。
剣を下に降ろしホヴィスはフッと微笑む。
「そう思う気持ちがあれば、大丈夫だ。守りたいものがあるんだろ」
「うん」
「なら、剣を取れ。お前の望むものの為に」
アサトは頷いて抱えていた剣を取り、鞘から抜いた。木刀よりもズッシリとくる重み。これが命の重さでもある。
「準備が出来たらかかってこい。……あと、アサト」
「何?」
「鼻血を拭け。みっともない」
「え……。わぁぁっ!?」
アサトが徐に鼻に手を伸ばすと、鼻血の名残が鼻下についていた。血は既に止まり乾いていたので、ゴシゴシと袖で軽く拭き取り、小さく息を吐く。
「……よし、これで大丈夫だよ。いいよね。ホヴィス」
「ああ。いつでもいいぞ」
キュッと唇を引き締めアサトはホヴィスを見つめる。そして、剣を両手で握りしめホヴィスに向かって走り出した。
ガキィン!!と剣と剣が交差する音が響く。
初歩的な剣技は体得しているものの、ホヴィスの剣捌きは並のものではない。
身体がついていくのに必死で、攻撃する暇もなかった。攻撃しようとすれば隙ができる。その内に背後を取られかねない。
アサトは剣を力強く握りしめる。
諦めない。だって、俺は………
強くなる。強くなって守りたいんだ。
その気持ちを糧にアサトは剣を奮っていった。
アサトとホヴィスの攻防戦を見ながら、キッシュは期限良く笑みを浮かべていた。
「うーん、旦那、ほんと楽しんでるねぇ」
この数年間、あんなホヴィスの顔は見たことがない。国を、世界を守る為に行動を起こしたというのに国を追われることになった。
キッシュは後悔はしていない。だって自分のマスターはホヴィスだから。彼の意思は自分の意思。だが、ホヴィスは?
後悔はしていない、とそう笑っていたけれど、本当は……。
キィン!!と真剣がぶつかる音で、キッシュは思考を止めた。その疑問を打ち消すように頭を軽く振る。
「……あーあー、考えるのは、オイラらしくないや。気にしない気にしない!!」
キッシュはそう言って息を吐くと、剣が風を斬るその音を聴き流しながら踵を返した。




