適合者【2】
――だが、現実は厳しかった。
彼女の病気は、前例のない珍しい病。完治するのは不可能に近かった。
それでも、ロイスは諦めずDAMを使って治療薬を探し続けた。だが、月日ばかりが過ぎるだけで結局、何も出来なかった。
ディバスリーの技術は日々進展していくのに、彼女の命は日に日に弱っていく。ロイスはやるせない気持ちで一杯だった。けれど、止めるという選択は彼には無く、彼女の病を治す為必死に研究を続けた。
その甲斐あって彼女の容体は少しずつ回復に向かっていた。
しかし……
彼女は数年前に亡くなった。ある事件によって。
「事件?」
「ああ。詳しくは言えないが、その事件によって彼女は亡くなった。……が、その後もロイスの研究は続いたさ」
ディバスリーの禁忌とも言える最も触れてはいけない技術にまで手を染めて、彼は模索し続けていた。彼女に再び会える方法を。
そんな方法などある訳ない。いや、方法があったとしても、それを使用してはいけないのだ。
そう考えていたホヴィス達は、ロイスを研究から、ディバスリーそのものから離そうとした。
だが、ロイスの意思は思った以上に固く、そう簡単にはいかなかった。暫く、ロイスから距離を置くべきだろうと、一旦ホヴィス達は説得を止めた。
そして最低限の関わりだけを持ち、2年が経過した頃。
「ロイスは突然、ディバスリーを止めるよう各方面に主張し始めた。このままでは、大変な事になると言ってな」
「大変な? 例えばどんなことよ」
リテアの問いにキッシュは腕を組んで、緩く首を傾けた。
「んん、説明するのは難しいんだけどねぇ。簡単に言うなら、全世界の破滅みたいな感じかなあ」
「ひぇ、それってヤバいじゃん! 大変って騒いでる場合じゃないよね!?」
立ち上がる勢いで声を張り上げたアサトの頭部を軽く叩き、リテアは息を吐いた。
「ね、1つ聞いていい?」
「何だ?」
「その話、全部本当なの?」
リテアの疑いの目は未だに解けずにいる。
無理もないだろう。こんな夢のような途方もない話、直ぐに信じろなんて言われ信じられる訳がない。リテアが疑うのは当然の反応だった。
カチンカチンと鳴らしていたライターから手を放すと、ホヴィスはゆっくりと腕を組んだ。
「残念だが、嘘ではないな。話せないことも多いが、語ったのは全て真実だ。信じる信じないはお前達の自由。だが、このままだと知らぬ間に大切なもの、全てを失うことになるぞ」
ホヴィスの言葉にリテアは再び頭を悩ませ始める。その証拠に眉間に皺が一つ刻まれた。
「……なんで、アタシ達にまで関係すんのよ。アンタ達と関わったから?」
『それもありますが、この世界そのものが彼らの手中にある可能性が高いから、です』
ヴァーチェはそう言って、治療中のアサトから手を離した。応急手当だが、きちんと効力はある。が、やはり治癒術に比べれば完全に劣っていた。
能力が回復するまで我慢して下さい、とアサトに一声掛け、ヴァーチェはリテアに視線を向けた。
『話は戻りますが、彼等はマスターがディバスリーを封殺するという事を、断固反対していました。ディバスリーによって得た技術を駆使して、異世界に手出しを始めていたのです。恐らくその1つがこの世界かと……』
「この璃球に? 冗談でしょ?」
「冗談だったら言わないってー」
キッシュは頭を軽く掻いて、その場から立ち上がる。ホヴィスのいるソファの背後に回ると、ソファにもたれかかった。
「オイラ達以外にDAMがいたし、軍人のオッサンはディバスリーを知っていた。それに、レオン達まで出てきたからねぇ。奴等の手が伸びてるのは確実だよ」
「まさか、そんなこと……」
信じられないとリテアは首を横に振る。
璃球は国連政府によって、きちんと守られており、外部の侵入を微塵も許さない体制を取っていた。それに、政府のトップがそう安易に異界の人を受け入れるはずがない。
ただ、璃球が抱えている問題が1つだけあった。それは、璃球の環境について。
璃球の環境は数千年以上も前から荒れ果ててしまい、改善する手段も未だに見つかっていないという。
璃球を、以前の緑豊かな太陽の下で暮らせる環境に戻す。政府が毎年公約として掲げているものだ。そうリテアがぽつりと呟けば、聞き留めたホヴィスが口に咥えていた煙草を手に戻し、それを握り潰した。
「成程な。そこに漬け込んでこの世界に入ったって訳か。……どうせ、口の上手いベルガ辺りだろう。アイツは人の良さそうな顔して、平気で嘘をつきやがる」
キッシュはうんうんと同意を示すと、心底嫌そうな顔を浮かべた。
「だね! ベルガは総統の片腕みたいなもんだし、思い出しただけでも腹が立つ!!」
キッシュとベルガには深い因縁がある。恨み辛みを話し出すと、それは止まらない。誰よりもその事を理解しているホヴィスは、キッシュを黙らせる為、彼の頬を摘み後ろへ叩き落とした。
キッシュは受け身を取る事なく、壁に勢い良くぶつかり床に崩れ落ちる。
「……これで暫く静かになるだろ」
悪怯れる事なくさらりとそう言うと、ホヴィスは寛ぐようにソファへと体重を傾けた。
リテアはそれを一瞥すると痛む頭を抑えるように、額に手を当てる。
「あー、もう!! 色々聞いちゃって訳わかんない!! その、アンタ達の言ってる奴等は何が目的なのよ! この璃球に何の用がある訳!?」
「オレ等と一緒さ」
握り潰した煙草を懐に仕舞うと、ホヴィスは軽く閉じていた瞳を薄っすらと開けた。
「最初に言っただろ。オレ達は鍵を探していると。奴等も一緒だ。互いにある目的の為に鍵を、いや適合者を捜しているのさ。――そして、オレ達は偶然にも見つけちまった」
サングラス越しに見えるホヴィスの片眸がリテアとアサトを捉える。その視線にリテアは眉を寄せ、アサトは目を瞬かせた。
「何よ。……ッ、まさか……」
「そのまさかだ」
微かに目元からずれたサングラスを中指で押し直し、ホヴィスは頷いた。
「お前らは適合者なんだよ。それも生粋のな」
全ての世界の記憶と意思を受け継ぎ、様々な力を操ることができる者。それが適合者である。アサトとリテアはその貴重な存在、なのだという。
「ちょ、待ちなさいよ!」
思いも思考も打ち払うように片手を振り、リテアはその場から立ち上がった。
「アタシ達が適合者? んな訳ないでしょ!? アタシ達は普通の一般人。そんな変な輩じゃないっての!!」
「いや、お前らは力を持ってる」
「だから、違うって……!」
「すっげぇぇぇ!!」
リテアの言葉を遮るようにアサトの声がリビングに響く。その声にリテアもホヴィスも視線をアサトに移した。
アサトは何故か子供みたいに、キラキラと目を輝かせている。
「なんか凄いよなぁ。適合者って響き!なぁ、リテアもそう思うだろ?」
「……兄貴……」
また始まったと、リテアは深々と息を吐き、勢い良くアサトの頭を叩いた。勢いのまま、手加減無しに叩かれ痛みは最高潮に達する。
アサトは叩かれた頭を両手で押さえ、眉を思いっきり寄せた。
「ッ、痛いじゃんか。何すんだよぉぉ」
「兄貴、意味わかって言ってんの? 適合者の意味! アタシは嫌よ。こんな非現実なこと、アタシ付き合いたくないし!!」
「……そんな言い方しなくてもいいじゃん。世界の役に立てるかもしれないのに」
「アタシは、兄貴みたいにそう楽観的に考えられないの!!」
付き合ってられないとばかりにリテアは首を横に振る。信じない、と拒絶を見せ続けるリテアの様子にホヴィスは息を吐き、横にいるヴァーチェへ目を向けた。
「……仕方ねぇ。ヴァーチェ、頼む」
『はい』
ホヴィスの視線を受けてヴァーチェ淡く微笑んだ。そして、懐から緑に淡く輝く不思議な鍵を取り出す。
「あ。その鍵……!!」
それは、リテアがあの時、違和感を感じたあの鍵だった。その鍵をちらりと見てリテアは首を傾けた。
「一体、何をする気なの?」
ヴァーチェは何も答えない。代わりに笑みを溢し、リテアの視線を自分の方へと促した。
『2人共、鍵を見てて下さい。直ぐに終りますから』
鍵を掌に乗せ、ヴァーチェは瞳を閉じる。暫くすると鍵は仄かに光を放ち始めた。光を纏い、鍵は宙へと浮いていく。
アサトとリテアは言われた通りに鍵を見つめ、鍵の行方を目で追っていた。
すると、それは何の前触れもなく2人の身体を駆け抜ける。
「うぁっ!?」
「きゃあっ!!」
突如身体に現れた痛み。静電気によく似た痺れの強い衝撃が、2人の身体を走っていた。前触れもなく起きた出来事に、アサトとリテアは互いを見つめ、困惑の表情で痛みが強かった胸を抑えている。
それを静かに見つめていたホヴィスは、ゆっくりと目を細めた。
「確定、だな」
「……何よ。確定って」
リテアは胸元を片手で抑えながらホヴィスを睨みつけた。リテアの鋭い視線を気にすることなく、ホヴィスはだらけていた身体をソファから上げた。
「そのままの意味だ。お前らは適合者。その事実が、きちんと決定されたって事だ」
「決定? どうしてよ!?」
「さっき、身体に衝撃が走っただろ。ヴァーチェには鍵から少し力を放出してもらった。その力に、お前等の身体に眠ってる鍵が共鳴したのさ」
「共鳴……?」
ホヴィスは呆然としたままのリテアを見据え緩く口端を上げた。
「“百聞は一見に如かず”ってな。お前のような聞き分けのないガキには、これが一番分かりやすいだろ?」
「っ、聞き分けがなくて悪かったわね!」
嘲笑うかのようなホヴィスの態度に、そう言い返すとリテアは顔を背ける。そして、静かに自分の両手を見つめた。
先程、全身を駆け抜けた鋭い痛みはもう感じない。一時的なものだったようだ。
リテアがちらりと横に目を移すと、益々、目を輝かせているアサトの姿が視界に映る。興奮冷めやらぬ様子で、アサトは声を出しては何やらはしゃいでいた。
(……ああ、もう、現状を本当にわかってないよな。あの馬鹿兄貴は……)
≪まぁ、それがアサト君の良い所だかんねー≫
「へ?」
(……今、声が聞こえなかった? しかも、アタシの心の声に同調するように……)
≪ここ。ここっすよー≫
声は直接、頭に聞こえてきていた。声の主は何処にいるんだろうかと周りを見渡して見る。声の主は、意外にもリテアの頭上にちょこんと座っていた。
黒と茶の混ざった見たこともない毛色の小猿。リテアには全く見覚えがなかった。
「……え、何、あんた」
≪オイラだよ。キッシュ≫
「はぁぁぁ!?」
リテアの予想外に大きな声に、アサトやホヴィスは思わず動きを止める。アサトはリテアの頭上にいるキッシュを見て、目を瞬かせた。
「あれ? キッシュ、なんで小猿に戻ってんの?」
≪えっとね、旦那にやられた時に鍵奪われたみたいでね。んで、この姿って訳≫
キッシュは器用に後ろ足でカリカリと毛を掻き一息を吐く。
アサトとキッシュ、2人の会話を聞きながらも状況を理解出来ないリテアは首を捻った。
「何? キッシュって猿だったの?」
「あれ、リテアは知らなかったっけ? キッシュは鍵の力で人型になれるんだよ。な!」
≪いやぁ、元々、オイラは人型なんだよね。呪いを受けて、こうなったってのが正しいかな≫
リテアの頭からアサトの頭に器用に乗り移るとキッシュはキィ、と鳴いた。
≪それにしても2人共おめでとー。適合者になったからには、色々と忙しくなるよ!≫
「そうなの? 頑張んなきゃな」
「アタシはまだ認めた訳じゃない!!」
素直に頷くアサトとは対照的にリテアは顔を背けた。そんなリテアを見てキッシュは笑みを溢す。
≪頑固だねぇ。でも、直にそうも言ってられる状況じゃなくなるよ≫
「……どういう意味よ?」
≪そのままの意味だよ。君らは、命を狙われる運命にあるってこと≫
適合者。彼らの力を求めてるのは我々も奴等も同じ。
ホヴィス達は適合者に協力を求めるが、奴等は違う。適合者が従わない場合、適合者を殺して力を奪うのだ。時として例外もあるが大半はその遣り方である。
故郷ヴァルスケーヴィでも、そうやって何人かの適合者が命を落とした。
≪現状を認識はしてるでしょ。だから、早く行動に移さないとヤバいことになるよー≫
"冗談でしょ"
リテアはそう出かけた言葉を飲み込んだ。キッシュはケラケラと明るく振る舞っているが目は笑っていない。本気で言っている。それだけは分かった。
「アタシ達は普通の学生……。そう思ってたのに」
リテアはそう呟いて掌を握り締めた。それを横目にホヴィスは溜息を吐く。
「諦めの悪いガキだな。いい加減、腹くくれよ」
「うっさいわね! オッサン!! アンタはムカつく言い方しかできないの? こんな出来事普通に受け入れる人が珍しいわよ!」
「オッサン……?」
ホヴィスの眉がピクリと動く。
あの禁句がホヴィスの頭に連呼する。やべえ、とアサトとキッシュは思わず固まった。そんな中ヴァーチェが静かに立ち上がりホヴィスの頬を軽く叩く。
『落ち着いて下さいね、ホヴィス。リテアさんの言う事も一理ありますよ』
「ヴァーチェ」
バツが悪そうにしている2人を見て、ヴァーチェはパンッと軽く手を合わせた。
『そこで提案があります。先ずは1週間程、彼等に適合能力を身につけさせるというのはどうでしょう?』
「何、それ。どういうこと?」
リテアは訳わからないとばかりにヴァーチェを見る。そんなリテアにヴァーチェは笑みを返した。
『簡単なことですよ。私達と修業をしようと言ってるんです。私達にとっても、リテアさん達にとっても悪い話ではないと思いますが』
「なんで、そんな事を……」
『貴方達の能力を引き出さなければ、彼等に対抗することはできません。見逃される事は先ず無いと言っていい。必ず狙われる。その為には対策が、必要でしょう?』
リテアはこめかみを抑え唸った。
ヴァーチェの話は、理解は出来る。彼女の言うことは最もで、自分達は力を持っているといっても使い方は知らない。完全に無知である。
今の現状で奴等から自分の身を守れるかと言われても、正直な所自信がない。




