皿
一緒に暮らすことにした。僕は部屋の更新が迫り、彼女は長い通勤時間に疲れていた。彼女は仕事の繁忙期が重なり、僕は先に新居に越した。
土曜の朝はのどかだ。繁忙期の明けた彼女と彼女の最寄り駅で待ち合わせ、ファミレスで早めの昼食をとり、早々に彼女の部屋へと向かう。
週末のたびに行き来して、もうすっかり馴染みのアパートの鉄のドアは、いつも通りにきしんだ音を立てて部屋の主人と僕を迎え入れた。
「お皿をお願いできる? 私はキッチンを片付けるから」
廊下を兼ねたキッチンに早速腰を据えた彼女に言われ、僕は居室のドアを開けた。
引っ越し業者の社名が入った段ボールが、テープで閉じられたものも口が開いたままのものも雑多に置かれ、あるいは積み重ねられている。
いつもの暮らしのにおいは薄れて、確かに見知った部屋なのになんだかもうよそよそしい気がする部屋の隅に、先々週末と変わらず彼女の食器棚はあった。ネットで買ったという安い組み立て式の小ぶりなキャビネットは、1Kの狭いキッチンに収まらず居室の端に据えられている。
二人で飲んだ帰り、陽気になって買った菓子パンについていたのをふざけて貼ったシールもそのまま、引っ越しの準備が進む部屋の隅で、客の来た家の子どものように所在なさげにうずくまっている。僕は見知らぬ人たちの中に友人を見つけたような気持ちになって、いそいそと棚の前に腰を下ろした。
説明書を読まない彼女が組み立てたそれは見ても分からないくらいわずかに歪んでいて、すりガラスを模した樹脂がはめ込まれた扉を開けるには、少しコツがいる。
多分、実家を出るときに持たされたのだろう年季の入ったガラスの器、渋い趣味の箸と子どもっぽいスプーン。キャラクターの書かれた小皿の裏にはコンビニのロゴが小さく入っていて、ちまちまと点数シールを集める姿が目に浮かんだ。
一度も見たことのないいびつな焼き物。いつかぽろっと話してくれた、前の彼氏と陶芸教室の体験に行ったときに作ったものかもしれない。おもしろくないことはないが、だってものに罪はないでしょ、と言いながら、それでも申し訳なさそうな顔をする彼女が簡単に想像できるから、何も言わずにおく。
ひとり暮らしを始めて浮き立つ心で、あるいは日々につかれた自分を少し慰めるために、少しずつ集められた食器たち。人波の絶えないこの街の片隅、仕事を終えて帰る小さな部屋で、ひとり分のあたたかな料理を載せた皿。 同じのを二つ買うのと尋ねた僕に、あなたが来たとき用にとぶっきらぼうに答えた彼女の掌の中にあった皿。
統一感のない、けれどどれも彼女らしい器。重ねられたそれらは形も大きさも深さもバラバラなのに、不思議にすわりよく小さな棚の中に収まっていた。
自分の番を静かに待っている皿のひとつひとつをそっと取り出して、新聞紙と緩衝材に包んでいく。傷つけないように注意しながら、繰り返し。見た目よりも重い角皿。欠けのある茶碗。怖い気がして、触れた手が揺れる。釉薬のかけられていないざらついた底の縁が下の皿をひっかいて、すすり泣きのような音を立てた。
一緒に行こう。言い聞かせるように胸の内でつぶやく。ひとつ。ひとつ。これから先、君たちの中のいくつかは、傷つき、欠けて、割れるだろう。どうかそれでもいいと言ってほしい。少し怖いのは僕も同じ。僕は、それでもいい。どうか君も。新しい食器棚もきっと悪くない。そう信じたい。信じてほしい。
ねえ、包丁ってどう梱包したらいいんだろ? キッチンから君の声がする。
今行くよ、と僕はこたえる。