8失った世界【ナイジェル視点】
◇◆◇
「ふむ、ミキャエラ嬢は自力で慰謝料を支払うため、冒険者になることを決意したそうだ。意外にも気骨のある娘だったようだな、ナイジェル。
それとも、お前と結婚するのが、それほど嫌だったのかもしれんがな……」
「……っ」
父の言葉が、冷たい刃の様にナイジェルに突き刺さる。
「で? お前はどうする?
ミキャエラ嬢がお前との結婚を断った以上、お前と結婚したいというご令嬢はいないだろう。
いたとしても、何かしら問題のあるご令嬢だろうよ。そんな令嬢を我が家に入れるわけにはいかない。
お前はこの家にいる限り、結婚はできないという事だな」
「そ、それは……」
「つまり、後継ぎを作ることができないというわけだ。
さて、そんなお前に、我がプルサティラ侯爵家次期当主の資格があると思うかね?」
「は? え? 父上?」
嫌な汗が、背中を流れる。
何があっても、両親は自分の味方だと思っていたのだが、それは幻想だったようだ。
「お前が我が家の跡取りだったのは、ひとえに長男だったからだ。優秀さで言えば、弟や妹の方が勝る。
お前の様に、誘惑に負ける事も、精神状態に左右される事もないからな」
「……」
ナイジェルは、何も言えなかった。
「で? お前はどうするんだ?」
「わ、私は……」
ショックで頭が働かず、何も浮かばない。
「……もういい。ナイジェル、お前を後継から外す。
慰謝料は払ってやるが、立て替えるだけだ。支払った分は返してもらう。いいな?」
「……」
「分かったな? 分かったなら部屋に戻れ。そしてどうやって金を稼ぐか考えろ」
「し、失礼、します……」
ナイジェルはふらついた足取りで、自室へと戻った。
◇
ナイジェルとジャスティーナが婚約したのは、二人が十四歳の頃だった。
近年の貴族社会では、幼少期から婚約を結ぶことは、あまり推奨されてはいない。
というのも、幼少期に婚約を結んで早い時期から同居したものの、婚約者が心変わりをし、相手を冷遇・虐待して死亡させたという事件が、短い期間に多発した。
そのため、幼少期に婚約者を作ることを忌避する家が増えたのだ。
ナイジェルの場合はそれに倣ったわけではないが、政略結婚をする必要がなかったため、十四歳ごろから相手を探し始めた。
そうして出会ったのが、サルビア伯爵家の長女、ジャスティーナだった。
落ち着いた紫の髪に赤い瞳、そして雪のように白い肌の美少女。
それにおっとりした性格。
どれをとってもナイジェルの好みだった。
ナイジェルはジャスティーナに一目惚れをした。
だから無理を言って、彼女を今婚約者にしてもらった。
将来設計の見直しを余儀なくされたサルビア家には、苦言を言われたが、愛の試練だと思い込み、譲らなかった。
そしてナイジェルはジャスティーナと婚約することができた。
それからは毎日の様に、お互いの家を行き来してお茶会をした。
しかし、それからすぐにジャスティーナは貴族学園に入学してしまったので、会える日が減ってしまった。
ナイジェルも彼女と一緒に貴族学園へと入学したかったが、彼の家での貴族教育の進みが遅く、家族に止められてしまったのだ。
子供が通う学園と言っても、そこは貴族社会の縮図。
しかもナイジェルの家は侯爵家だ。下級貴族なら見過ごされることも、上級貴族ともなればそうはいかない。
家に泥を塗らない様に、きっちりと教育しなければならないのだ。
ナイジェルは頭は悪くない。学習能力もある。
だが誘惑に弱く、不安や寂しさを別の楽しいことで紛らわすという悪癖があった。
それが原因で貴族教育は難航したが、十六歳の頃にはなんとか、外に出しても恥ずかしくはない程度には仕上がった。
しかし、ジャスティーナはすでに三回生となっていた為、やはり一緒にいられる時間は少ない。
彼女が卒業してしまうと、ナイジェルは不安と寂しさで、押しつぶされそうになった。
見た目が良く優しいナイジェルは、学園で女子に人気があった。
婚約者が卒業した後は、彼の人気にあやかろうと、良くない同性の友人もでき、ナイジェルは彼らに半ば無理矢理誘われ、高級娼館で初体験を終わらせた。
そこでナイジェルは、誰かと快楽を共有している間は、不思議と不安や寂しさから解放されていることを感じた。
それから彼は、不安や寂しさを感じると人肌を求める様になった。
しかし、学生の身ではいかに上級貴族といえど、自由にできる資金は少ない。
いや、理由を親に話し、それが適切に使われると判断されれば自由にできる資金はかなり多い。
しかし、厳格な両親が、高級娼館に通う為の資金を出してくれる訳がない。
そうなると、学園でそういった関係になれる相手を探すしかない。
婚約者のいる身でそんな事を、と思わなくもなかったが、ナイジェルと同じ境遇の者は他にもいたし、仲間に背中を押されて、ナイジェルはそういった相手を何人か作った。
為を重ねるだけの割り切った関係は、その瞬間こそ心地のよいものだった。
だが、肉体が触れ合っても、心の奥にある虚しさが埋まることはない。
それが何故の渇望なのか理解できないまま、ナイジェルは飢えたように次の相手を求め続けた。
その不誠実な行動に、まともな感性を持つ友人たちは次々に彼の元を去っていき、気づけば周囲には彼の同類の者しか残らなかった。
悪友たちとの自堕落な生活は、当然の様に成績を悪化させ、彼の常識を歪ませていった。
二回生の時は、まだそれでもよかった。
だが、将来を見据え始める三回生になると、状況は変わる。
遊び仲間だと思っていた者たちも、卒業を目前に自分の身の振り方を考え、ナイジェルとも疎遠になっていく。
侯爵家を継ぐ予定の彼は、彼らの様に焦る必要がない。
そうして彼は、一人になった。
そんな孤独になったナイジェルに寄り添ったのが、ミキャエラだった。
彼女は男爵家の令嬢だったが、ナイジェルに寄り添い、その心を救った。
流されやすいナイジェルが、ミキャエラに溺れるのはあっという間だった。
会えば所構わず体を重ね、それが習慣になっていた。
だから、王宮主催の夜会でもバレなければいいと、行為に及んでしまった。
そしてナイジェルは全てを失った。
◇
自室に戻ったナイジェルは、ソファに座り込んだ。
今になって思い出すのは、ジャスティーナの事。
婚約できた頃はあんなに嬉しかったのに、彼女が先に学園に入学してしまったのが、寂しくてたまらなかったのに、彼女が学園を先に卒業すると、あっと言う間にジャスティーナのことは、頭の中から抜けてしまった。
別に忘れたわけでも、興味が無くなった訳でもない。
ただ、初めて知った快楽に溺れて、そちらの方の優先度が高くなってしまったのだ。
しかし、二年間ナイジェルがジャスティーナに会わなかったのも、手紙すら出さなかったのも事実だ。
だが、どうにでもなると、たかを括っていた。
ジャスティーナは自分の事を愛しているのだから許してくれると、そう都合よく思い込んでいたのだ。
しかし、ナイジェルはここに来てようやく、その機会が永遠に失われた事を理解し、涙を流した。
(なぜ、周りに流されて、そのまま来てしまったのだろうか? やり直せる場所はいくらでもあった筈だ)
そう思ったところで、既に手遅れだった。
もはや、家族にさえも見捨てられている。
自分を慕ってくれていた弟と妹から向けられた、蔑んだ目が忘れられない。
絶望が彼を支配した。
彼の弟と妹が優秀なのは本当だ。
少なくとも、誘惑に負けることもなく、周りに流されない芯の強さを持っている。
ナイジェルが跡取りになるには、彼らが亡き者にでもならない限り、機会はないだろう。
(確かに私は、ジャスティーナをないがしろにし、多数の女性と遊んだが、大切なのはジャスティーナだけだったのに……)
寂しさや不安を、誰かの温もりで埋めるという悪癖は、彼を毒の様に侵食した。
不安でたまらない今も、女性の肌に縋りつきたくてたまらない。
だが、そんなことをすれば、完全に両親から見捨てられることもわかっている。
しかし、このままでは、どうにもならない。
ジャスティーナへ支払う慰謝料は三千万ドラ。
これまでの経緯ゆえに、この値段となった。
今まで家の跡を継ぐための勉強しかしてこなかった彼に、大金を稼ぐ術など思いつく筈もない。
「一体、どうすれば……、いや、そうだ!」
そうなると、ナイジェルも結局、ミキャエラと同じ考えに至る。
(実戦経験はないが、私は魔法と剣術の成績は悪くはなかった。ミキャエラにもできるなら、私にもできる筈だ!
冒険者として名を上げ、またジャスティーナに想いを伝えるのだ!!)
こうしてナイジェルも、冒険者への道を歩き始める事となる。
奇しくもそれは、ミキャエラが回避したいと願った展開通りとなってしまったのだった──。




