伯爵令嬢アテナイスの物語 ある秘密
初夜に絶対愛さない宣言する大公女 あの手この手を使って離婚を模索する。
で登場しました。アテナイスを主役にした物語
「はぁ~~自由って。
なんて素晴らしいの~。はあぁ~~」
私は目の前に広がる景色を決して忘れないだろう。
空は薄く白いベールを纏ったように淡い水色で、太陽は雲に遮られて薄明かりがさしている。
涼しい風が頬を伝い、シルバーブロンドの髪を靡かせ、草原の草花を揺らしている。
風の音、木々の騒めき、鳥達のさえずりと羽ばたきの音、草花に誘われて舞う蝶々や蜜蜂にリスと
そして愛してやまない私の友と愛しい人との素晴らしい生活を。
生きている。
そう生きているの。
この世界は本当に素晴らしい。
そう実感出来る幸せを初めて噛みしめる。
その壮絶な運命にさらされ、命の危険が迫りやっと得られた。
「お母様私は幸せです。
大公閣下私は幸せです」
大きな空に向かってアテナイスは叫んだ。
その言葉を風が運んでいく。
誰に?
もう逝去して十年以上経つ亡き母と自分を助けてくれた異国の大公へと。
アテナイスの思いを知る様に風は激しく吹き付ける。
異母姉に殺されそうになった幼かった私を護衛と侍従をつけて大きな帆船に乗せてくれたのはフランソワ・ディア・ダルディアン大公閣下。
母からまだ独身時代の頃の恋人だったと聞いています。
幼い時から叔父様のお話をお母様から聞いていたのでとても親しみを感じていた。
だから私が異母姉の第一皇女殿下に殺されそうになった時、助けてくれて中立国のハシャルバード共和国に逃がしてくれたのでした。
ハシャルバードは共和国だけど貴族制度がまだ残っていて、選挙で選ばれた貴族達が国を運営していました。
小さな国ですが、貿易と資源が豊富な国でアフェルキアの次に古い国だったので大国も侵略出来ずに中立国を保った平和な国です。
私はフランソワ叔父様の昵懇だった伯爵家の別邸でしばらく暮らしていました。
そこで新たなハシャルバードの民としての教育を施して、本宅に戻り養女としての暮らし新たな人生をスタートさせます。
ハシャル語や風習、歴史、文化、慣習をしっかり学んだ八年後、本宅に入り養女としての生活が始まりました。
再びルファンツッア伯爵家へ
共和国の首都ハシャルの国会議事堂の背後に聳えるルファン山の中腹にひっそりと佇む邸宅に馬車が止まる。
伯爵と面識があったフランソワ叔父様が国務大臣を輩出する家柄ではないが、家の歴史は古く財もあり人望も申し分なかったので皇女の後見を依頼したと伯爵から聞きました。
初めてルファンツッア伯爵家を訪れた時、久しぶりに見る伯爵は少し窶れて見えました。
「お父様。
お久しぶりです。アテナイス只今戻りました」
スカートの裾を摘んでお辞儀をする。
私の姿を満足そうに眼を細めてみるルファンツッア伯爵は愛しそうに私の手を握った。
その手は冷たすぎて私は温めないとという行動を無意識にその手を胸に当てて腕に飛び込んだ。
「んんッ……おかえり…娘よ」
ルファンツッア伯爵のそのお帰りという言葉には本当の娘を迎える様な愛おしさを感じじ~んと胸が熱くなる。
そうここにいるのはアテナイス・ディア・ルファンツッア
私のこれからルファンツッア伯爵令嬢としての生活が始まる。
お父様は私の歓迎会を兼ねた家族の食事会を用意してくださいました。
伯爵家には娘がおらず、お父様と兄になる令息二人が私の新しい家族です。
広々とした白色を基調にしたダイニングルームに上座にお父様が座っています。
私は召使に促されて、お父様の向かえの席に座ります。
お父様の両側には二人のお兄様が座っています。
八年ぶりのお兄様方は当時の印象とは違ってみえました。
「さあ。食事を始めよう。
おかえり我が娘アテナイス
改めアルテミス・ディア・ルファンツッア
これが今日から御前の名前になる。
改めて我がルファンツッア伯爵令嬢」
お父様は私を我が子の様に愛おしく見つめてくれて、とても嬉しく胸が高鳴ります。
けれど自分の名前が変わる違和感を感じながらも、目を下げてめいいっぱい笑顔を浮かべて見せました。
「お父様。お兄様。
改めましてアルテミス・ディア・ルファンツッア
です。
これからもどうぞ末永く宜しくお願いいたします」
少しの恥ずかしさとこれからの生活の期待感と不安感が同時に押し寄せて緊張で震える。
「そんなにかしこまらなくていいよ。
妹よ。
久しぶりだね。
ルイ・ヴィルヘルムだ。
おかえり。」
ウインクしながらそう優しく言ってくださったのは長男のルイお兄様。
子供の時以来会っていなかった。
当時は女の子かと間違うくらいの美しい容姿だったがさすがに二十代前半。
濃いコバルトブルーの瞳、目は切れ長で鼻が高い、唇はぷっくらとして歯が白く綺麗だ。
美しいが冷たい印象はなく女性からもてそうな美男だと思う。
「またいい女になったな!
いつでも遊んでやるよ。アルテミス」
椅子にだらりと深く腰を落としてボサボサのダークブラウンの長髪をかきあげながら言ったのは次男のアンドリュー兄様だった。
十代半ば、身なりもタイをだらしなく下げて中の白いシャツはしわくちゃになっている。
覚えてるがこんな人柄だったろうか?
よく遊んでもらったけど、泣き虫で伯爵夫人にべったりだった。
そういえば伯爵夫人の姿が見えない。
どうしたのかしら?
新緑の緑色の瞳はどことなくくすんでいて影が見え隠れしている。肌は日に焼けてライトブラウン活動的だけど、投げやりで危なげで粗暴な印象が私を襲う。
「こら!アンドリュー!
アルテミスが困っているじゃないか。
貴族の子息らしく振る舞えといつも言っているじ
ゃないか」
ルイお兄様は柔らかい口調で嗜めた。
「知るか。
好きで貴族に生まれた訳でなく。
俺は俺らしく振る舞うんだ。
ほっといてくれ!」
そんな二人の息子の会話を狼狽えながらも、何も言わないお父様に違和感を持つけれどそんな事は言えるはずもない。
召使いがスープを運んで来たので、女神ディアに感謝する祈りを捧げ口にする。
味付けと具材はシンプルだか深い旨のあるスープだ。
そして前菜は季節の野菜と魚のマリネ、メインはラムのバルサミコ酢マテラ酒のソースと焼き野菜、軽いサーモンのレモンソース、デザートは季節の果物とカスタードプディングフランボワーズソース。アファルキア茶だった。
食事中にした会話と言えばルイ兄様に幼い時の思い出話と別宅での暮らしの事。
お父様からのこれからの本宅での暮らしについてのお話だった.
アンドリュー兄様は食事が終わると、荒っぽく椅子を引いて足を組んで不機嫌そうに召使いに珈琲を要求した。
始終機嫌が悪そうでどうふるまったらいいかわからずに居心地が悪い。
お父様がふぅ~と深い溜め息を吐くと、ダイニングの重い扉が開いた。
現れた人物は知らない男性だ。
執事服を着ているから、おそらく当家の使用人だろうが。
私は知らない人だった。
黒曜石の長い髪は後ろで束ねられ、ダークブラウンの瞳は少し曇っているように生気が感じられない。
何かを押し殺しているかのように口を真一文字に固く閉ざしている。
近寄りがたい使用人そんな人物は珍しい。
すっとしたたたずまいに思わず息を呑む。
貴族でもこれだけ優雅に立ち居振る舞いが出来ようか?
美しい仕草に瞳はくぎ付けになった。
彼はそのままお父様の傍で立ち耳元で何が話すと。
「今日は王宮から伝令が来ているようだ。
私は失礼するよ」
お父様は残りの紅茶を口に流し込んで席を立った。
残されたのは三人。
「じゃあ俺もこれで失礼するよ。
ムカツク奴も目にしちまったからよ。
じゃあなアルテミス」
乱暴に執事にテーブルナプキンを投げつけると足場やにダイニングを去っていく。
しばらくの沈黙の後ルイお兄様が言った。
「アルテミスは初めてだよな。
シャルル・オーギュスト・デュルアだ。
当家の執事だ。
屋敷の使用人や細々した事は彼に聞くといい。
出来る執事だから」
そう言って私ににっこりと太陽のような眩しい微笑を浮かべてくれている。
私は小さく頷いてすぐ下を向いた。
執事の視線は感じたが、なんとなく目を合わせるのが躊躇われた。
「疲れたろ。
部屋で休むといい。
いろいろこれから慣れないだろうが。
私を幼い頃の様にルイ兄様と呼んで笑っておく
れ」
ルイ兄様は優しく私のシルバーブロンドの髪を撫でた。
そういえば幼い頃からよく気持ちがいいと言っては触れてらした。
「はいルイ兄様
あの~。
伯…いえお母様の姿がお見えにならないのです
が。
どうかされたのでしょうか?」
「……お母様は昨年亡くなられた。
一族に君のお披露目がまだだったので知らせなか
った。
すまない。
落ち着いたら墓へ行こう」
お兄様はそれ以上死去した理由もなく瞳に影を落として去って行った。
幼い頃は伯爵夫人とはそれほど打ち解けた記憶がなかったが。
それでも葬儀には出たかったと思う。
私はそれ以上何も聞けず、お兄様の後ろ姿を見送るしかすべを持たなかった。
私はシャルルとダイニングに取り残される。
「今日はだんな様はお戻りは深夜か場合によっては明日になるかもしれません。
お部屋で寛がれ、夜に召使いに湯浴みの用意をさせましょう」
シャルルはそう言った後、礼をしてそそくさと去って行った。
執事が言った通りお父様はその夜は帰ってこなかった。
気にはなったが睡魔には勝てず、そのまま瞼を閉じてそのまま眠りについた。
その眠りを妨げたのは、まだ濃い紺色の空と白色の光の境界線が不確かになる。
夜も明けるか明けないかという頃だった。
馬のいななきと蹄の音と門が開かれるけたたましい高音が屋敷の外から聞こえた。
あまりの音に眠りから覚めてしまった。
ベットで左右に身体を動かした後、ショールを羽織り大きな窓から正面門に目をやると、丁度馬から降りた人物が玄関へと向かう所だった。
そのうち屋敷の使用人達も足音や物音が大きくなっていった。
そして一階から男の人の声が聞こえる。
「だんな様が!
ルイ様とアンドリュー様を至急に起こしてくださ
い。
旦那様が国会議事堂で倒れられたそうだ。
早く!」
私はさすがに夜着では一階に降りれないので、メイドを呼ぶベルを振り彼女が来るのを待った。
気持ちは下に降りて何が起こったのか知りたかったが、はやる気持ちを抑えメイドに着替えを手伝わせ一階に降りる。
すでにルイ兄様とアンドリュー兄様が執事長とシャルルが輪になって真剣に何かを話している。
私は階段を滑る様に下り、輪の中に入る。
皆私を見て暗い表情をしてどう説明すればいいのかと困惑しているようだった。
私は不安げにルイ兄様の瞳を見つめる。
ルイ兄様は少し悲しそうな固い表情を私に向けて静かに言った。
「お父様が国会議事堂で倒れた。
意識がないそうだ。
すぐに医者が呼ばれたそうだが病状はわからな
い」
皆一様に黙りこくっていたが、突然アンドリュー兄様がシャルルの胸ぐらを掴んで拳で頬を殴った。
鈍い破裂音が玄関ホールに響き渡る。
衝撃でシャルルが吹き飛んだ。
衣服は乱シャルルの口には血が滲んでいる。
殴られた時に口の中を切ったようだった。
あまりの事で私の身体は凍り付き、血の気引いてしまった。
どうして?
アンドリューお兄様。
「お前のせいだ。
お父様になにかあったら許さない!」
シャルルは殴られた頬を押さえて、顔を下に向けてしまって何も言わない。
無言だからかこそ。そこに違和感があった。
使用人だからと言って何をしてもいい訳ではない。
少なくとも幼い頃は使用人に兄様達が悪戯してもお父様にいさめられたぐらいだ。
何が?何故?
私の頭は混乱している。
この状況に再び拍車をかける状況を伝える使者が到着した。
「アランソワ・ディア・ルファンツッア伯爵
御逝去」
ルイ兄様は私を抱きしめて震えている。
アンドリュー兄様は意外にも大粒の涙をボトボトと流し始め真っ青な顔色で突然頭を抱えて膝から崩れ落ちた。
「わぁわぁぁあぁー!!」
もはや声にならない叫び声は静かな伯爵邸を引き裂いた。
召使いも涙を流して、嗚咽している者もいる。
どんなにかお父様が慕われていたか思い知った。
混乱する私はこの後の事をほとんど覚えていない。
覚えているのはまるで蝋を垂らした様に光沢のある細いお父様の遺体と泣き崩れるアンドリューお兄様と弔問客を悲しみに沈みながら丁寧に応対しているルイお兄様の姿、私を物珍しそうに見る親類の人の視線だけだった。
なんとか落ち着いたのは逝去から十日後だった。
伯爵家は一年間喪に服す。
ルファンツッア伯爵家の異変
慌ただしい弔問客の対応に追われなんとか十日が経った頃の屋敷。
ルイ兄様は絶えず大統領や首相閣僚と面会する事が多くなり、外出が増えアンドリュー兄様はショックからか部屋から出てこなくなった。
以来食事はたまにルイ兄様と頂くが、自然と一人かシャルルと二人っきりの時間が多くなる。
今日もお昼を一人隣にはシャルルがいて召使いに指示を出している。
シャルルは無口だが、こちらが話しかけるときちんと丁寧に対応してくれる。
当初持った印象は和らいでいた。
「お父様がお亡くなりになられて、だいぶ経つわ。
アンドリュー兄様は相変わらず籠ってでてこ
ないし…」
間が空いてシャルルの唇が僅かに開くと意外な返答が帰って来た。
「でてこない方がいいかもしれない。
いや出て来ない方がいい」
シャルルの謎の言葉に。
私ははっとして、シャルルの顔をじっと見る。
瞳は虚ろで何か私の知らない伯爵家の軋轢の存在を物語っていた。
「私は知らなくていいの?
私だって家族よ。
分かち合いたいわ」
シャルルの顔を覗き見て手首のジャケットの袖を指で引っ張り、教えてほしいと口には出さなかったけれど。
目で懇願した。
シャルルは私から目線を外し、しばらく動かない。
「……お嬢様はアルテミスでいいのですか?
アテナイスの名をお捨てになって?」
私の問いの答えどころか、逆に問いかけられている。
いま?!その話?
私は混乱する。私は私。
名前が変わったからと違いはあるのだろうか?
今はそれは重要ではないじゃない。
いえる事はシャルルが問いに答えるつもりはないという事だろう。
「そろそろルイ様が国会議事堂からお戻りになるは
ずです。アルテミス様に大切なお話があるとおっ
しゃって」
そういえば最近またルイ兄様と会えていない。
国会議事堂傍の別宅で過ごす事が多くなったからだ。
何でもお父様が亡くなられてから今の大統領に気に入られて側近に加えられたと執事長が言っていた。
ルイ兄様は何のお話があるのかしら?
翌日の夕食時にルイ兄様は帰宅されて今ご一緒にディナーを頂いています。
「アルテミス。
御前に縁談が来ている。
お相手は前王室王族だったアルフォソン・ディア・ハシャルバード殿下だ。
まだ内定だから内密に。
但し準備はしておくように
恐れ多くも大統領閣下の口添えだ。
今国は共和国だが、旧王党派を取り込む為に婚姻
が必要なんだ」
ルイ兄様は私に淡々と眉一つ動かさず言った。
まるで私には拒否する権利はないかのように。
私はいいともいやだとも答えず、
黙々とフォークに鹿肉を刺して口に運ぶ。
料理の味はしない。
あまりの突然の出来事に言葉を失ってしまった。
「良家の子女たる者の結婚は家同志の結び付き強めるためだ。わかるね。
私とて来年には婚約者と結婚するが、会ったのは二回くらいだよ。
一緒になればお互い信頼関係が出来、幸せな結婚だと思うはずさ。わかったねアルテミス」
私は頷く事しか出来なかった。
ルイ兄様は私が同意したと思ったはずた。
だけど心は違った。
言いようのない虚無感が私を襲う。
ルイ兄様は食事を終えられると私を軽く抱き寄せて言った。
「御前の為だよ。アルテミス」
額にキスするルイ兄様の温かい温度は以前と同じだったけど、その心の内は見えない。
ルイ兄様はまだ来客があると言って、一階の客間に降りていった。
私はシャルルと二人っきりで残された。
「私。どうしたらいいのかしら?」
シャルルに聞いてもらいたいのか?
独り言のつもりなのか自分でもわからなかった。
「お嬢様はどうされたいのか?
とおっしゃるという事は嫌なのではありません
か?」
意外な反応だった。
普通は家庭内の事に口を挟む事は執事といえど禁句だ。
シャルルはいままで見たことがないくらい。
不敵さを口元に見せて瞳は意地悪っぽく笑っているようだった。
「伯爵令嬢として考えるなら結婚は受け入れなくては。
でも私の一人の人としてはやはり抵抗はあるわ」
素直な考えだった。
シャルルは何度か頷いて礼をして去っていく。
そう言えばシャルルは不思議な人だ。
初めは近寄りがたい雰囲気だったのに、お父様が亡くなられてから一層身近に感じる。
二人っきりの時間が多くなったからかしら?
次の日から家庭教師がつけられる。
すでにマナーは身につけていたが、元王族に嫁ぐには歴史と家の系図、宮廷マナーに至るまで広きに渡る。
授業が終わるといつも考える事がある。
シャルルに私はどうしたいのか?と聞かれた。
私の人生で自分から欲したり、望んだ事があったろうか?
お母様がなくなってからフェレではひっそり息を殺すように後宮で生きてきた。
殺されそうになった時はフランソワ叔父様に助けてもらった。
そしてシャハルバードではお父様、お兄様の言われるまま過ごしている。
「私はどうしたいのか?」
ぼそりっと呟いてみると頬が緩む。
突然の共和軍の乱入
三ヶ月後その夜は激しい豪雨に屋敷中に雨音が響き渡っていた。
予想も出来ないくらいにそれは突然起こった。
シャルルが珍しく踵を強く床に叩きつける音が鳴り響く。
突然メイドが私の部屋のドアを叩くとほぼ同時に中に侵入してクローゼットのあれこれを旅行鞄に詰め込んでいく。
「お嬢様!」
シャルルが息を切らしながら私の部屋にノックもせず、許可も取らず入ってきた。
ただ事ではないそう感じて心臓の鼓動が早くなる。
「どうしたの?」
「理由は後でとにかく早くここを出ましょう」
シャルルはそう言って私の手を引いて力ませに引きずる様に廊下に出て一階へ降りる。
私は訳もわからずに力強い大きな手に引かれて後についていく。
「あっ!アンドリュー兄様は?」
思わず立ち止まる。
「アンドリュー様は私が後から連れ出す。
とにかくお嬢様早く!」
裏庭に向かい奥の裏門に走ると門の外で質素な辻馬車が待機していた。
シャルルは無理やりに馬車に乗せて御者に合図してすぐに馬車は発車する。
私は後ろ髪をひかれる思いはあるものの、走る馬車にどうする事も出来ず自然と不安と後悔とで涙を流れる。
伯爵邸のアンドリューの部屋は元々自分の部屋はあったが、現在は伯爵の部屋の隣今は亡き伯爵夫人の部屋を使っていた。
息を切らして二階に上がり直し、部屋の扉を壊れるかと思うほど激しく叩いた。
「早く!ここを出るんだ。もうすぐ大変な事が起こる。
早く!!」
指の節が真っ赤になるほど扉を叩き続けた。
血が滲むほど何度も何度も叩いた後、ようやく部屋の中にいる声が聞こえた。
「ほっといてくれ!
もうどうでもいいんだ!」
俺はその言葉を無視して更に扉に向かい体当たりする。
何度も身体が飛ばされながら、骨が軋むような音をたてながら。
バールを持った侍従長が現れて二人でバールで無理やり扉をこじ開けた。
「アンドリュー様」
侍従長が部屋の隅で小さくなったアンドリューを見つけ駆け寄った。
「もういいんだよ。
ほっといてくれ!
どうなってもいいんだよ」
身体を小さく自分を包みこむように両腕を抱きかかえていた。
僅かに震えている幼子のようだった。
侍従長が傍により叫ぶ。
「アンドリュー様今軍隊がこちらに向かっています。
とにかく逃げましょう。
早く!!」
「もういいんだよ~~ほっといてくれ!」
アンドリューは両手で頭を抱えながら、吐き出す様に叫ぶ。
面倒くさい奴だ。
俺はそうわめくアンドリューの腹部めがけて拳を打ち付けあっという間に失神させた。
侍従長と男手で急いで失神したアンドリューを裏門にもう一台用意させた荷馬車にアンドリューを投げ入れた。
俺は御者の席に乗り込んで急いで馬の背を鞭で打ち全速力で屋敷を離れる。
軍の駐屯地は首都すでに首都に到着している。
もう時はない。
アテナイスは逃げきれたろうがギリギリだ。
激しく馬車は上下に揺れるが、かまってなどいられない。
とにかく目的地までは止まれない!
馬に何度も何度も鞭打ち、その先へと進んでいく。
ここで歩みを止めたらアテナイスはどうなる?
絶対に逃げ切ってみせる。
私が港近くの倉庫にいるように言われてどのくらい経ったろうか?
御者は倉庫で止まるとここで待てと言った。
いくつもの大きな木箱が積まれた倉庫に輸出用の品々が無造作に置かれている。
上層部にわずかな明かりとりがある薄暗い空間は静かだった。
木箱の重なった隙間を見つけ、近くの麻袋を敷いてそこで蹲った。
そういえばフェレの後宮でもそうしてたっけ、侍女数名が食事と眠る場所、着替えの用意、最低限の日常はおくれていた。
それだけだったそれでも母と乳母のがいるうちはよかった。母が亡くなった後、乳母も後宮を去っていった。
その後はいつもこう過ごしていた。
そう久しぶりで思い出したあの孤独とあの閉塞感。
二度といやだわあんな生活。
そう息を殺して生きていた。
自分を殺して。
えっ?
自分を殺して?
あっ!!
そう思い出したのシャルルが言ったあの言葉を。
「……お嬢様はアルテミスでいいのですか?
アテナイスの名をお捨てになって?」
ある意味で伯爵家でも自分ではない者になるという事よ。
仕方なかったかもしれないが。
せめて訳を聞くだけでもよかったのではなかったのではないかと?
あぁ~~こんな時に感じるなんて。少し苦笑いをしてしまう。
うとうととし始めたその時、倉庫の扉が歪の音と共に少しづつ開いてはっとする。
少し隙間からその開かれた扉の方に目線を向けると。
逆光で顔は見えないけれど、シルエットでわかる。
シャルルだ。
「シャルル!」
よく見ると何か担いでいる。
何??
「あっ!アンドリュー兄様?」
目が丸くなる。
だんだかシャルルが逞しい?
屋敷にいる時と印象が全然違って颯爽として、その力強い瞳が安心感を与えてくれるようで嬉しい。
「あっ。死んでないよ。
こいつ本当にウザすぎる。ぎゃあぎゃあわめくから失神させた」
あれ?シャルル言葉使いが?
そう言って私の敷いた麻袋の上にアンドリューを降ろす。
「まず今回の事説明する。
ルイ・ヴィルヘルムだけど。
今逮捕状が出ていて、王党派のアジトに潜伏してる。
軍隊がそこと屋敷に来る情報を得て、君達を逃がしたんだ。
今頃ルイは殺されているか。逮捕されているだろう。
実はね。彼は旧王族と旧王党派で王政復古を企てるグループに所属していたんだ。
その事を伯爵が知ってね。
息子を売る代わりに君に婿をとって伯爵家を継がせようとしたんだ。
所がそれに気付いたルイが逆に大統領に進言するタイミングで毒殺したんだ。
証拠はすでに部屋を押収して猛毒の瓶を確保している。
すでに大統領の元に送った。
彼は大統領に近付いて情報を得ようとしたけれど、逆に罠を仕掛けられてね。
今回偽情報を掴まされて無謀にも大統領を暗殺しようとしていたんだ。
まあ失敗して全て露見したけどね」
「えっ…?!」
だから私に王族と結婚するように言ったの?
旧王党派と強く結びつくために。
えっ。
あまりの情報の多さと内容にまったく理解できない。
頭の中ではフリーズが起こってただただシャルルを見つめていた。
その時アンドリューお兄様の身体がごそごそと動き始めた。
視線を兄様へ向けると瞼が空いて一瞬何が起こったのかわからない様子だったが。
すぐにその顔は怒りに満ちて身体を震わせている。
シャルルに目を向けると握りこぶしで殴ろうと襲いかかるが、シャルルは身体を斜めにして軽々とかわす。
兄様は更に激怒してシャルルに飛びかかろうと肩を突き飛ばそうとしたが、反対に腕を掴まれて後ろに両手を縄で拘束されてしまった。
あっけない一連の動きに私は驚いて何も言わず何も出来なかった。
「何すんだ侍従如きが」
シャルルはそんな汚い言葉を吐く兄様を軽蔑する眼差しで見た。
「それがどうした。
我儘で甘えたのどっかの馬鹿子息よりよっぽどましさ。」
皮肉っぽく笑ったその顔を歯切りして悔しがる兄様に浴びせる。
「親父の私生児の分際で偉そうに!!」
頭を殴られたような衝撃が私を襲った。
立ち眩みでクラクラと光景が歪んでいく。
ふらりと足が揺れて倒れそうになった。
えっ?お父様の?子供?シャルルが?
と同時になんとなく納得出来たような気もする。
「だからなんだ?
母とは伯爵は結婚前の関係だった。
不倫をしていた理由じゃない!」
シャルルのきつく睨んだ瞳が鋭く兄様を刺す。
「お母様は苦しんだ。
お前達のせいだ!」
兄様は激しくシャルルを詰り、今にも飛びかかりそうだ。
「知るか!!
大体伯爵家に来たのだってある方の命だ。
好きでくるかこんなとこ」
罵声を浴びせるシャルルを想像出来なかったから頭の中が上手く動かない。
「お母様はお父様に愛されていないと。
お前が来たから。悩んで病気になったんだ」
殴りかかった兄様の拳を掌で跳ね返し、お兄様はそのまま後ろに倒れてしまった。
「何言ってんだ。
あれは事故だったよ。
お前が見つけたんだろ。
わかってるだろう。
お前が酒に酔っ払ってバルコニーから落ちそうに
なったのを庇った弾みで転落したじゃないか」
シャルルがお兄様の両肩を握りしめて激しく揺らした。
お兄様の顔は真っ青でガタガタ震えたと思ったら、小さくうずくまって、頭を両手で抱えた。
その時だ。
倉庫の扉がギシギシと鈍い音をたて、三人はその方向に視線を向ける。
追ってか??
シャルルは私を木箱の積み重なった奥に隠して、ジャケットの内側から取り出した短剣を握りしめた。
そのわずかな薄灯りの方へ足音を立てずに歩いていこうとする。
「そこにいるんだろ。
アンドリュー。シャルル。そしてアルテミス!」
ルイ兄様の声だった。
私が姿を現そうとすると何故かシャルルは首を振り、奥に隠れるように仕草で促す。
私は仕方なくその場に小さくなって隠れる。
「ルイだな。
もう諦めるんだ。
逃げられないさ。
追ってはすぐそこまで来てる。
投降するんだ。
もう自分の後始末は自分でつけろ」
シャルルが冷たく言い放つ。
「はっ?何を??途中まで旨くいっていたんだ。
父上が私の行動に気がついて証拠を掴まれるまでは。
伯爵家の為に私を大統領に告発して、実子のシャルルを婿養子にして後を継がせようとしたんだ。
だから持っていた毒で殺した」
今まで見た事のないルイ兄様の恐ろしい言葉に私はただ不安と恐怖で涙が自然と流れる。
「俺はそんなもの興味はない。
名目上でもアンドリューに継がせればよかったんだ」
「はっ!そいつは駄目さ。
あまちゃんで。
いつまでもお母様。お母様。
大体あの女はメソメソ鬱陶しかったんだよ。
いつもアンドリューを猫可愛がりして甘やかして。
だからこんな出来損ないになったんだ!」
その一言でアンドリューの怒りの導火線に火が付いた。
もう止められない。
「お前がお父様を殺したのか?
家族をか?」
アンドリュー兄様が真正面からルイ兄様を見ている。
「あぁ。そうだ。
それよりアルテミスはどこにいる?
アルテミス!ルイ兄様と行こう。
フェレ皇国が御前を許してくれると。
お兄様とフェレ皇国へ行こう。
大丈夫だ。
お兄様に任せなさい」
お兄様は狂っている。
怖い。怖い。来ないで!
逃げたいけど恐怖で足が動かない。
「まさか。そうか!
フェレの差し金で旧王党派を集め王政復古するつもりだったんだな。
売国奴め!」
そういってシャルルは手にした剣でルイ兄様の胸に突き付けたが、一足先にルイ兄様の剣がシャルルの剣を弾き飛ばした。
「はっ!これで終わりさ」
ルイお兄様が両手で剣を振りかざそうとした時だった。
アンドリュー兄様がルイ兄様に体当たりをしたかと思ったら、二人はまったく動かなくなった。
「げっぽっ!」
ルイ兄様は嗚咽の後に血の塊を吐いたと思ったら、アンドリュー兄様を血走った目で睨むながら崩れ落ちた。
床に鈍い音が鳴った後ピクビクと痙攣してついに動かなくなった。
「……お父様…殺した……馬鹿に……馬鹿にするな…」
アンドリュー兄様はブツブツブツと呟きながら床に座り込んでしまった。
顔面蒼白の私を見てシャルルは私の傍に来て軽く肩を抱く。
もう大丈夫だと言わんばかりに。
「わぁぁ〜〜」
緊張の糸が切れて、泣き声を上げて後から後から涙が止まらない。
またフェレに返されると思った怖さ、ルイ兄様の正体、お父様の死、アンドリュー兄様の懺悔、ルイ兄様の死。
その全てが一気に大津波の様になって私を襲ったから。
恥ずかしげもなくシャルルの胸で泣いた。
涙が枯れるまで。
もうしばらくしたら大統領直属部隊がくる。
「アンドリューは連れていかれるが、今回の事件には無関係だ。
あのありさまだすぐに病院に収容されるだろう。だから大丈夫だ。
さぁ港に船を待たせている。
行こう!アテナイス」
シャルルはジャケットを脱いで私の肩にかけて、ゆっくりと倉庫を出ていく。
アンドリュー兄様はまったく動かない。
傍にルイ兄様の死体が横たわっている。
身体が固くなる。
どうしようもない恐怖と失望感と現実感のなさに心を投げ出したくなる。
考えたくないの。全て……。
シャルルはそれを感じたのか、私の瞳を覗き込んで言った。
「実はね。
僕はオルファン帝国のダルディアン大公閣下と仕事で出会ってね。
僕の身元を調査されてしまって僕が伯爵の息子と知られてね。
頼まれて伯爵邸に入ったんだ。
大公は伯爵は信頼していたが。
心配だったんだな君の事が。
今回の情報は彼からだ。
だから安心したらいい。
首都は流石に騒がしいから。
第二の都市ランスローに行こう。
郊外に屋敷を用意している。
とても素敵な場所だよ。
きっと気にいる。
第三の人生をアテナイスとして生きるんだ」
あったかいシャルルの瞳に癒される。
フランソワ叔父様が最後まで私を助けてくれる。
なんて幸せだろう。
いつになったら私はあの方に恩返し出来るだろうか?
私の答えの見つからない考え事をして眉間に皴を寄せ、口元に指をあてながら神妙な顔つきをしていたようだった。
シャルルが私の耳元で笑いを含んだ声で言った。
「笑っていればいい。それだけで大公は幸せだろうから」
柔らかなその穏やかな声に重荷がとれる。
倉庫を出て薄明かりの中、薄霧のたなびく港の船着き場の隅に中型の帆船を見つけた。
シャルルは私を見て大きく微笑みながら頷いて私達は桟橋を渡る。
まるで何かの儀式の様に陸から海へと渡ると、何故か今までの事が嘘のように感じられる。
するととんでもない光景が見える。
光景というのか人だ。
私の乳母アンヌと常に傍にいた侍女のエルリだった。
二人は会うなり、泣きだして強く私を抱きしめる。
私の中に幼い頃の唯一の安らぎ。希望。癒しの全てだった。
私の凍りついた心を幼い頃の温もりが徐々に溶けていくのがわかる。
涙が止まらない。
三人で離れている時を取り返す様にいつまでも抱きしめ合っていた。
船はいつの間にか港を出発して海原に出ていた。
ランスローまでは三日の船旅だ。
私は乳母と侍女と三人で今までの暮らしを語り合った。
けれどフェレ皇国時代の話は口にしなかった。
不幸な時代は封印するに限るから……。
三人寝る間も惜しんで笑って泣いて語り合う。
それを傍で温かく見守るシャルルに。
そしてここにはいないフランソワ叔父様も見守ってくれる。
「ねえ私ね。新しい生活に慣れたら沢山学びたいわ。
学校に行って勉強をして。
何になろうかしら?」
「アテナイス様は何でも器用にできますよ」
エルリが言った。
「ええ。これからやりたい事をなされませアテナイス様」
アンヌが言った。
「何でもできるさ。
資本は任せな。
大公から出資してもらった貿易業がうまくいっているからな」
ちょっと現実に戻されるシャルルの発言……。
私は幸せを感謝と幸せを噛みしめる。
永遠にわすれないそれを噛みしめる。
これから訪れる幸せを……永遠に噛みしめる。
完結
長めの短編になってしまいましたが。
人生を流れるままに暮らしてきた少女の成長とサスペンス要素も入れてみました。
この後は想像通り、二人はハッピーエンドになるでしょう
ご愛愛読ありがとうございました。
ブックマーク、評価ありがとうございます。
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