第8話 鴨がネギ
丘を越え、少し冷え込む所まで来た。この辺はもう寒冷地に片足を突っ込んだ地域だ。そして”プロシェンヌ”の領土内に入ったと言ってもいい所まで来たのだ。
「うわっ。また虫」
ルペールが手綱を取っては明後日の方向に引く。
「あ。こっちにも居るんだけど……!」
また手綱を取る。
「まって……あれ蜘蛛じゃない?」
「お前」
「な、なに……?」
虫の魔獣が出る度に手綱を引いては直線距離を外れてしまって……これじゃあ何時着くか分かったもんじゃねぇ……。
「お前はもう触るな」
「いやだー! 見て! 前見て! く・もー!」
「蜘蛛がなんだよ。お前ドラゴンにもビビらず戦うだろ」
「虫はむりなの! いいから遠回りして!」
だからそれじゃあ何時まで経っても……。
俺は無慈悲に手綱を緩め、腹をトンと蹴ってやる。ロバは少しだけ早く進む。
「ぎゃー!! きらい! 虫もお前もキライ!!」
「うるさいうるさい。嫌ならしっかり捕まっとけ」
この地域に住む蜘蛛は巣にさえ触れなければ襲っては来ない。”蜘蛛魔獣”という。非常にデカくて気持ち悪い。蜘蛛の顔を、こうもまじまじ見ることはないだろう。とても目が大きい。
「ちょ……! 揺らさないで! お、落としたら殴るからね……!」
「揺らしてない。お前こそ暴れんな」
俺の背に身を寄せ、あり得ない力で抱きしめて来る。身動きなどできよう筈もなく、むしろ骨が折れて当分動けやしないだろう。
というより、前からこんなにも虫嫌いだっただろうか? あの頃よりも幾分か……。
と、その時だ。さっきまでじっと大人しくしていた蜘蛛が何やらガサガサ騒がしい。
「きも」
ルペールのそんな吐き捨てる様な一言。
これを合図に蜘蛛が散って行く。蜘蛛にも罵声は効くのだろうか。これは違う。恐らく巣の端の方に獲物が掛かったのだろう。彼らの貴重な捕食シーンだ。
「あれは……?」
「馬車だ」
視線の先には立派な馬車が巣に捕らわれ、どうにも動かない様子である。かの馬車は……余程位の高い人物が乗っているのだろう。
貴族、賢人には優秀な護衛が付き物。俺たちが何か手を貸すのも意味もないか。それに大した役にも立てないだろうに、恩を売った様に思われるのも苦手だ。
「今の内だな。先を急ぐか」
「ちょ、ちょちょちょ! 助けないの?! なんでー!」
「……どうせ護衛はいる。俺たちがせこせこ出てったってな」
「まーだそんな事言ってんの? 誰もアンタのこと気にしてないって! ならやらない善よりやる善でしょ」
「……じゃあお前は虫と戦り合うのかぁ?」
「うぇ。で、できるよ……!」
”できる”と言っておいて忽ち顔を青くしやがって……。
「……まぁいい。お前は目ぇ瞑って戦え」
「はぁ?? どうやって戦うん?? けはい?」
「俺が指示出しすりゃあいいんじゃないか?」
「おーそれならイけるかもー」
「ほんとかよ」
蜘蛛の厄介な部分は糸だの動きの速さだの、そういう所だろう。距離を詰めれば足の多さも厄介か? 数は3匹で……。
「うわぁやばい! もう行かなきゃ間に合わないって!!」
「あっ! おい!」
蜘蛛が馬車の屋根にまで到達した。だのに護衛は対処しない……居ないのか? なぜだ、気付いていないという訳でもあるまいて……。
「待て待て待てー。そこの旅お方ぁ」
「は?」
背後に知らない男。その男は褒められた身なりではない。少なくとも”プロシェンヌ”の住民ではないか。
「誰だ」
「おぅ。この辺に住むギエーナっつーんだがね。いやー最近獲物が少なくってどうにも……」
「今時間がないんだ。後にしろ」
「待ちぃな。オイラは魔獣の喰い残しを売って生活してんだ。邪魔されちゃあ困るぜ」
「……じゃあ運が悪かったと思え」
もうルペールは走り出してる。
こんな所で無駄話してる場合じゃない。
「ルペール!! お前の左前に1匹! その奥にもう1匹と……」
「わー! 覚えらんないから! 1匹づつ!!」
ルペールはぐっと足に力を込め、次の瞬間に宙を舞う。かなり高く飛んだな。
「おりゃぁ!」
身体を捻り、今度は拳に力を込める。落下の勢いを乗せて蜘蛛の1匹に叩き込む。
嫌な音がした。周囲にもどす黒い液が飛び散り、ルペールの服が真っ黒だ。
「ぎゃあー!! 最悪なんだけど!!」
「言ってる場合か。あーあ!」
残った2匹に忽ち糸を吐きつけられ、ルペールはあっという間に拘束される。
当然と言えば当然だが、獲物に直接吐きかけるか。
「ルペール! 今拘束を解く!」
糸と言えど魔獣の体内で生み出されたものだ。つまりあの糸には魔力が練り込まれている……つまり……。
「”棍棒”で触れれば消えてなくなる……!!」
とんと触れれば糸は忽ち分解される。ただあまり接触し過ぎるとルペールも消えてしまうので程度が重要。
「お! ナイス!」
「次の糸が来っから! 喜んでる場合じゃねぇ!」
ルペールはサムズアップ。目を瞑ってるくせに蜘蛛の位置が分かるのか。
恐らく糸の飛んで来た方向から逆算したのだろう。
「おりゃ! おりゃ!!」
見るのは嫌だが触れるのには文句ないのか。
とはいえ見事3匹すべてを対処した。あとは死骸と糸を”棍棒”で触れれば掃除完了だ。
「おぉいおぉいアンタぁ」
「げっ」
という所でまた邪魔が入る……。さっきのギエーナとかいう族だ。今度は猫を被った様な姑息な表情。
「強いんだねぇ」
「何の用だ」
「いやね。蜘蛛の糸をいくらか分けて欲しくてねぇ。どうだい30ペンガルでどうだい」
「30…………いやナシだ。俺ならもっと高値で売れる」
魔獣の素材は高値で売れる。特に討伐が困難な魔獣であれば、ソイツの踏みしめた泥でさえコレクションアイテムとして認定書が付くレベルだ。
今回の蜘蛛は……まぁそこまで強くないが糸なら価値は高いだろう。こいつらがわざわざ値付けをする程だ。
しかし30ペンガル……? 田舎者と馬鹿にするのも大概にしてほしい。
「……ちっ。ちぃと強いからって、調子に乗っているんじゃないかぁ?」
「ギエーナ帰るぞ。別の獲物が出た」
「うーっす」
「ねぇ。アイツら何?」
「あ……あぁ」
この辺には”プロシェンヌ”に集まる貴族や賢人を狙う族やら野盗やらがぞろぞろ居る。こういう奴等は護衛には勝てないんで魔獣に襲わせたり、襲われた跡を漁ったりする。
「へぇ盗賊ぅ」
「まぁ気にするな。それよりも糸を集めろ」
「げぇキモイぃ……むりぃ……」
無理と言われても。とはいえ金が無いのも事実で何とか泥でも糸でも金になるなら集めねば。
「ロバの腹ん中にどんくらい入る?」
「絶対だめ! 入れたらころす」
「あのー……」
「今度はなんだ。仕方ねぇ上着を縛ってなんとか袋に……」
「あの、助けていただき……」
「ルペール、お前も手伝え」
「いやそんな事よりさ。馬車から人が……」
「え?」
馬車から、小さな少年が顔を覗かせ、こちらをじっと見つめている。
見るからに育ちの良さそうな、貴族っぽい衣装を纏っている。この馬車の持ち主か……こんな少年が?
「……君、親御さんは?」
「親……いませんが……賢人様が……」
「賢人」
「は、はい。賢人様! 蜘蛛は撃退為されました……! この二人の者に……」
「えぇ」
馬車から少年が降りる。するとせっせと木箱を用意して、中から賢人を連れ出す。
賢人とは、魔力を安定的にコントロールする術を知った人間のことである。
そして、”この世で最も魔獣に狙われるという業”を背負った存在でもあるのだ。
「ワタクシ、”プロシェンヌ”にて学術の道を極める為邁進しております……ヴィーセと申します。此度は、何とお礼したらよろしいのか……」
その人は、とても美しい女性であった。
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