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第65話 狂気

 ボーは、シオンにあわや掴みかからん勢い。

 慌てて間に入るが……必死の形相にやや怯む。


 しかしシオンの呆けた顔を見ると……庇わずにはいられない……。


「お、落ち着……」

「どいてくれ。その呆けた顔が余計に腹立たしいんだ」


「いや、ついさっきまで戦ってて疲れてんだよ……一旦休養を取らねぇと……」


「そんな事言ってる場合じゃない。良いからどいてくれ」


「いいや無理だ。一旦落ち着いて話せ」

「……」


 遂、彼の腕を掴めば、ボーはピタリ留まる。

 この頃には流石に、彼の頭に昇った血は引き際を理解していた。


 ただボーは俺の腕を強引に振りほどき、そうするや否や俺の鳩尾(みぞおち)に指を指す。僅かながら息苦しさを感じる……。


「う……」


「君には、大切な人が居るか」


「……あ、あぁ」


 フェンを窺う。

 彼女は伏し、眠りこくる……もうすっかり人型に戻って、その様に改まって安堵し……。


「……まぁどうせルペールだろ」


「!」


「そうだ。相棒ってのは長く時間を共にする者さ……連携は洗練され、自然と情も沸くだろ」

「ま、まぁそうだな……うん」


「……僕もそうだ。だが追放された折、そんな彼女とは離れ離れになったのさ……君達のせいでね」

「……それは……言い訳の余地も無い…………すまん」


「……ふん」


 俺だってルペールとの別れは耐え難い。自分で思うよりもずっと俺は依存深い。フェンでさえそうだったのだから……彼の気持ちが痛い程に分かる……。

 だがそれは当然伝わらないし、平謝りと受け取られても仕方がない。


 ボーは一層不愉快に顔を歪め、呆れ果てた様に溜息をつく。

 今も尚、ルペールと共に居る俺では、説得力に欠けるのだ……。


「……ボー、ともかく話をしてくれ……お前が許さねぇのと、俺が役に立つかってのは無関係だろ。俺を存分に扱き使えよ」


「全くさ……説教しないでくれるか……」


 ただ口とは裏腹に刻々と考え込むボー。


 そこへ先程の獣人の女性が駆けて来た。

 俺と共に、あの”禍々しい空間”を脱出した者である。


 そして傍らにはヤルダを抱えていた。


「……ヤルダ」


 俺の声でボーも気付く。


「……丁度いい」


 ボーが両腕を大きく広げた。

 彼女を迎え入れようとするのだ。”それどころではない”とは何だったのか。熱い抱擁でも交わすのか。そんな訳がない。


 女性はピタリ立ち止まって、ヤルダを隣にそっと置いた。

 そして彼女をボーの方へ促す。


「ほら。いきな」


 グイグイと背を押すが、ヤルダはひらり(かわ)し、獣人の後ろに隠れる……。

 まぁボーとの面識は薄い。当然の反応とも言える……だからそう落ち込む事もないぞ。ボー。


「…………」


「?」


「ちょ、私じゃなくてボー様んとこいけってばー!」


「……良いんだよ。今はさ……」

「ボー様……」


 意味深にも塞ぎ込む二人は、どうにも話し掛けづらく……。

 ボーはすっかり草臥れた様に座り込んだ。


「ボー?」


「……さっきの話の続きだカナタ……もしも、もしも家族の様に大事な相棒と、離れ離れになったらどうするよ」


「……いや、そりゃあ……辛いだろうし」


「あぁ悪かった。そんな経験も無いだろうからね。聞くだけ無駄だったね」

「何なんだよ」


「……じゃあもしも、ルペールが記憶喪失になったら、どうする?」


「え」


「……記憶喪失になったら、きっと不便も多いだろうね。甲斐甲斐しい介護も必要だろう。どうだ?」


「い、いやまぁそりゃ……傍に居るよ……やれる事は全部やる……」


「……じゃあ、もしも記憶を失ったルペールに拒絶されたらどうする?」


「!」


「……丁度、あんな風にさ」


 ボーが指を指す。

 そこには怯えたように服を掴むヤルダが居た。


 当然、彼女がボーを見る目は、余りにも拒絶に満ちていた。


「……お前、何の話をしてんだよ」


「僕も分からないよ……でも、そうにしか見えないんだ……」


 ボーが懐に手を入れる。

 取り出したるはロケットペンダント。


 そこには小さな写真が仕舞われていた。美しい女性と、ボーの記念写真だ。

 ボーの見た目は随分若い。多分、ギルドに入りたての頃の物か……。


 一方、女性の方にも見覚えがあった。


「ファムさん……」


 懐かしい名前だ。

 ボーの写真を見るまで、もうすっかり忘れていた。


 彼女はボーのかつての相棒……俺とルペールの失態の煽りを受け、随分前にギルドを離れた獣人の淑女である。

 獣人でありながら言葉遣いも丁寧で、気品のある人だった。


 そして何より驚いたのは……。


「どうだいカナタ。何か、思ったろ」


「…………」


 彼女のブロンドの髪。小さな耳と控えめな尾っぽ。

 何よりその顔立ちが、どうにも”ヤルダ”と重なって見えた。


「ヤルダは……彼女にそっくりだ」


「……あ、あぁ……まぁ」


 この頃に、ようやくボーの落ち込みにも理解が及んだ。


 ファムさんは、何処かで子を作ったのだ。そう、考える事も出来る。

 そして、もしもその通りなら、相手はボーではない。それが彼の心に傷を作ったのだ。それは、俺が作った痕と同じ位置。


「……ファム」


「……でもよぉ、ボー。他人の空似だってあり得るだろ……! 決めつけんのも可笑しな話だ……」


「いや。あり得ない」


「……ボー」


 知らぬが仏……都合よくこじ付けておいた方が、ずっと幸せな事だってある……。

 わざわざ向き合う事は無いじゃないか……。


 どう励ますべきか。

 そんな風にも考えた。


 ただ、ボーは思っていたよりも壊れてしまっていた。


「あれは、小さくなったファムだ」


「……は?」


「ファムも、僕を探していたんだよ。その道中、記憶も年齢も失ってしまったが、本能のままにこの街に辿り着いてくれたんだ」


「何を、言ってんだ……」


「これは”奇跡”だ。”奇跡”が起きたんだよ」


 ボーは再び腕を広げる。

 その表情には狂気。何もかも都合よく捻じ曲げた事によって、その表情すら歪んだ恐ろしい様である……。


 この狂気に向き合ったヤルダは、相変らず怯え切った表情で女性のスカートに隠れてしまう。

 しかしボーは、これさえ仕方ないと自分に言い聞かせた。


「ふ、ふふ……僕としては、どんな試練だって乗り越える気持ちさ……何時までだって傍に居る」


「お、おいボー……」


「しかし、彼女自身は余程不便だろう……だから、僕が”元”に戻してあげないと……」


 ボーは無理に立ち上がり、相変らず呆けた顔をしたシオンに寄る。


「シオン……君が何時までふざけていても僕はやるよ。元々ココに戻って来た理由も、ギルドの情報網でファムを探して貰う事が条件だった……しかし、それはもう果たされたんでね」


 ボーが女性に手招きする。

 さすれば女性はヤルダを抱え上げボーに寄る。

 ヤルダは余程ジタバタと暴れ、抵抗するが、獣人同士で大人と子供では、力に差が出るのだ。


「……ヤルダ!」


 これでは人攫いと変わらない。


 そんな事を思った矢先にヤルダが女性を振りほどいた。


 ヤルダが走る。


 駆け込んだ先は、俺の背後だった。


「あ」


 俺を盾にするように隠れるヤルダ。


 これは不味い事になった。

 鬼の形相はボーである。


「……何を、してるんだい……??」


「あ。ま、待て……これは……」


「…………本当に、全てを奪う気なんだな。お前は」


 先程の狂気が、そのまま俺に、悪意として向けられるのだった。

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