第60話 トロイ箱
闇をただ下へ下へ堕ちていく。
落下するのとは違う。消えていくような、身体の感覚ばかりが朦朧とする様相。
息が苦しい。呼吸を意識せねば、思わず止まるようである。
ただ呼吸ばかりに気を取られると、余計に身体が鈍くなる。
やがて、その鈍感ささえ受け入れ始める。
心地よいとさえ感じる。
それが恐ろしいのだ。
「カナタ!! しっかりしろ!!」
頬をぶたれる。
感覚は鈍い筈だのに、殴られた事だけは分かりきる。
そして誰が殴ったのもよく分かる。
「……っかは……! ゴホッゴホッ」
「おら、しっかりしろよ」
もう一発殴られる。
もう起きているというのに、容赦のない男だ……。
「ボー……てめぇ……」
「お。ははは。起きた起きた」
「……起こすつもりじゃなかっただろ……お前」
「んな事ぁないぜ。ははは」
恨みの籠った一発。俺にはよく効いた。
だが、目が覚めたのも事実……微かな鼻血を拭い、事を把握する。
「……何だ、この空間はよぉ……」
暗くマゼンタに染まった天空。
ドームの様に丸みを帯びた天空。
そこには深い山吹色の瞳が無数に浮かび、これと目が合う様で合わない。
ただ確かに凝視され、息が詰まる。
また地べたには水面。
空の様を反射し、底さえ無い様に見える。
しかし俺達は沈まず。
「何なんだろうねぇ。ココはさぁ」
「……神獣の能力だろうな」
「能力……ってのは?」
「……よくは分からん」
「なんだよ」
「……ただ、閉じ込められたし、出る事も出来ん」
「……弱ったねぇ」
と言いつつボーはあっけらかんとしていた。
胆が据わっているのか。諦めが来ているのか。
だが、やはりば”神隠し”の正体は判明した。
先程の黒髪幼女……テネブレと言ったか。それとレイとかいう白髪……奴等が”神隠し”の主犯格か。
ボーもかの路地裏で闇に飲まれたのだ。
そして俺も、今現実世界に目撃者が居たならば、忽然と消えていた事だろう。
……。
「ヤルダは?」
「は?」
「小さな女の子は……?? ここに来ただろ?? 俺みたいに」
「あ、あぁ……それならあっちで」
ボーの視線の先には横たわるヤルダと、介抱する女性。
直ちに駆け寄らねば。
ヤルダの様態は芳しくなく。
虚ろに半開きな瞳で天空の黄色の目玉と視線を交らせる。
呼吸はしているが……これが彼女の意識かどうかも分からない。
「ちょ、マジだれアンタ」
「え。いや今はどうでもいい……ヤルダは、大丈夫なのか??」
「……マジわかんねし……私、バカだし」
「……そ、そうすか」
「でも、ココがマジやべぇのは分かっよ……魔力がキメェ」
「……」
恐らく神獣の魔力であるからだ。
それか黒髪の性質がそうなのか……。
ともかく長居はしたくない……こんな小さな子供に、神獣の魔力など強大過ぎるのだ……。
それに早くにでもあの二人の存在を知らせねば。フェンだけでなく、ルペールも、代表も、何時しかはシオンでさえも飲み込まれてしまう……。
「あ、あのちょっと良いっすか……?」
「ナニ」
「魔力は、何処が一番やべぇっすか?」
「うーん……あの目玉、かな? やべぇわ」
「……ちょっと、上まで放って貰って良いですか。目玉に届くぐらいの感じで」
「は? なに言ってんの」
「脱出する為っす」
「……? まぁいいケド」
女性。俺を担ぎ上げ、カタパルトの様に放る体勢を整える。
自分で言った手前、少々恐ろしい。届くのか、落ちれば死ぬのか。
いやしかし、ココから抜け出すにはこれしかない。
と、そこへボーが駆けて来る。
「何をしてんの」
「ぼ、ボーくん♡ いや、コイツが投げろって」
「はぁ??」
「ココから出なくちゃならねぇんだ……」
「? 入り口でも見つけたかい? まぁあるならそりゃ天井だろうけど」
「違う」
「違うのかい」
「ともかく、やってみるしかねぇだろ……」
「止せ止せ。堕ちたら死ぬよ。彼女を人殺しにさせる気か」
「あんボー様♡ 私のことを想って……♡」
「そうさ。僕は君に手を汚して欲しくない」
「い、良いから投げてくれ……」
居心地の悪い。
「もー……ボー様、ごめんね。すぐすませるから……」
「あぁ投げてしまえ。邪魔者には退散してもらおう」
「どっちなんだよ……投げる時、言えよ」
女性が改めて構える。
「せーの……!」
途端投げる。
”言えよ”と言ったのに、もっとゆっくり数えるべきだ。
身体が宙で回る。
水面に天井が映っているのか。
天井が迫っているのか。
何もかも分からない。
ただ無我夢中に手を伸ばす。
気絶する程、酔い浸る。天地が分からぬ気分の悪さ……。
「ぐぁ……!」
天井の目玉と瞼の隙に腕を差し込む。
泥に突っ込んだような飲み込まれる感覚。いやに温かく、液が腕を伝ってくるのだ。
早く引き抜きたい……しかし手を離せば、俺は地面へ真っ逆さまだ……。
「ナイスキャッチー!」
下からボーの野次が聞こえる……。
人の気も知らずにあの野郎……。
「どうボー様♡ 私がんばったよー」
「あぁ。君は可憐さと逞しさを兼ね備えてる。なんて魅力的」
「きゃー」
「……」
「おーい。カナタ。脱出方法が見つかったら頼むよー」
「……へいへい……」
この際、協力せざるを得まい……。まぁボーは何もしてないが……。
それに、放り投げられるよりも、ずっと狂気的な事をせねばならないのだ……。
俺は、かの眼球を舐める。
粘膜を舐めるのだ。
タウダスはこう言っていた。
粘膜の接触により、魔力を共有できると……。
「おぇ……」
気分が悪い。
ただでさえ空中を回転し、かの浮遊感と共に煽られた恐怖心で溜飲が上がりっぱなしである。
且つこの薄気味の悪い目玉を舐めるのは、どうにも耐え難い。
身体が震える。
粘膜に滑る。
その時、思わず嘔吐する。
喉が痺れ、痛烈な酸っぱさが口内と鼻を犯すのだ。
いくつか飲んだし、鼻にも入る。
最悪だ。
「おぉいカナタぁ! 何吐いてんの……!」
「うわ! マジサイアク!」
んな事言いやがって……お前らだって……恩恵を受けるというのに……。
しかしここまでか。
目玉と瞼の隙に差し込んでいた腕が、もう限界である。
更なる吐き気に手が震え、もう力が籠らない。
手が滑る。
途端、身体が宙に落とされた。
吐瀉物と共に、水面へ真っ逆さまとなる。
死ぬだろうかと、俺は焦る。
躍動とは違う、高揚とも違う。
圧倒的な恐怖心。
それは地が近づくごとにハキリとする。
身体が熱い。
吐瀉物に塗れたせいか、それとも恐怖によるものか。
瞳が熱いのだ。
地に激突。
しかし、肉体に痛みは無い。
死した折、人間は痛みよりもエクスタシーを感じるという……。
だが、それともまた違う感覚である。
『何じゃぁ? 気色の悪い感覚じゃ……』
タウダスの顕現。
身体が熱い。
『其れは貴様が嘔吐したからじゃろうが。全く……』
それは申し訳ない。
流石に眼球を舐めるのはどうにも抵抗感があった。
しかしそれをするだけの価値はあった。
神獣の作った空間の、備わった目玉であるなら、神獣の魔力を吸収できるだろうと見込んだ。
その通りだったか。
それに、タウダス、生きてたか……。
良かったよ本当に。
『銀髪のお陰じゃろうのぉ……妾が事切れる寸での所で魔力を供給してくれたでな』
……あぁ、本当に……いよいよ早くココを出なくちゃな。
「お、おい……カナタ?」
『? 何じゃ貴様』
「は? だ、誰……?」
ボー・ガルソンだ。
ちょいと性格の悪い色男だよ。
『……ほぉ。妾の好まん輩よのぉ』
「え、何、初対面なのにさ」
『……まぁ良い。で、何をする』
吹雪を吹かせてくれ。
天空の目玉を、全部操るんだ。
『……全く、目覚めるなり扱き使いおって……』
魔力の急速な高まりを感じる。
冷気を帯びた、恐ろしくも雄大な魔力……。
豪雪が舞う。
冷気が走り、水面が凍てつく。
そして、天空の山吹が、忽ち赤く染まっていくのだ。
『ほれ、早う。妾に屈せ』
天空から光が差す。
かの細い細い輝きは、脱出への確かなる道標であった。
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