第59話 実力行使
「探すなら早く……いえ、そない悠長に言うとる場合でもないと思います」
「は、はい」
「ちょっとついて来はって」
「?」
代表は慌ただしく外へ。追って俺も出た。
彼女はぼっと空を見上げる。
僅かに白んだ地平線の彼方。藍の色に染まった上空には微かに小さな月が浮かぶ。
秋口の澄んだような、少々風の強い夜明けである。
「攫うんは大抵夜や……」
「……もう夜明けですけど」
「せやから怖いんよ。ヤルダちゃんの現場見られたんは向こうさんも気付いとる」
「……こっちが警戒するのも察している」
「そ。何ならこっちから仕掛けて来るんも想定してはるやろね」
そうとなれば、先に仕掛けた方が有利。
ヤルダの一件が昨日の今日につき、『ビュントニス』の者共が早仕掛けして来るならば明け切らぬ今の内か。
「じゃあ今すぐ行かなくちゃ……」
「と、言いたいんやけど。ヤルダちゃんも守らなアカンし。カナタはんは待っといてくださる?」
「え」
「探すならウチの方が向いとる……し、カナタはんに危険な目ぇ合わせられへんもん」
「……」
「ヤルダちゃんの事、頼んますな」
代表は右左と目を配り、直ちに都心へ向かって行った。
後を追うか……しかしヤルダの事が後ろ髪を引く。
俺が目を離している内に、攫われてしまっては何にもならない。
フェンを見つける事こそが最善の釈明であろうが、俺には出来ない。
「……どうせ今更だ」
不意にそんな事を言う。
今更フェンを連れ戻したところで、もうとうに避けられている。
むしろかえって執着を気味悪がられるかもしれない。
このままでも、事を為しても、きっと俺の思う様にはならない。
薄ら薄ら察していたことが、ようやく目に見える様になっただけだ。
俺は嫌われている。
行動を起こしても起こさずともそれは変わらない。
トボトボと、俺は頼まれた任をこなす。
代表の寝室に足を運べば、そこにはすーすーと眠るヤルダが居た。
外の騒ぎなど知らず、ようやく安堵している。
しかし表情が穏やかである一方で、小さな手は布団の端を力強く握っていた。
こんな小さい内から、あんな事に巻き込まれ、それはそれは恐ろしかったろう。
彼女がこうして寝息を立てる様。平和でないからこそ平和を感じる。
そういえばこの子にも、とうとう言えていないことがあった。
あの時、”大丈夫か”と言えなかった。
見るからに傷を負い、心が不安定な少女に、”大丈夫か”など、軽率な言葉。見れば分かる事は言わなくて良い……。
だが、心配していると態度で示す事も大事だったのだろうか……。
ヤルダの寝顔をじっと見ていると、少し眉を顰めた。僅かに脂汗をかく。
彼女の小さな拳にいっそう力が籠る。
何やら悪夢で見ているのか。
「ヤルダ……」
俺は思わず彼女の手を包む。
きっと昼間の事を思い起こしているのだろう。
パッと、彼女が俺の指を握る。
獣人の力で、力強く……かなり痛い。うっ血しそうだ。
ただ、ヤルダが助けを求めているも事実。
証拠に、彼女の表情が少しだけ和らいだ。
そんな顔を見ていると、どうにも振りほどけなかった。
「……」
指を握られたのはこれで二回目だ。
ココに来る道中にも、彼女は勇気を出して俺の手を引いた。
怖かったろうに、このままではいけないと、そう思ったのだろう。
あの時も俺は、”大丈夫か”とも”ありがとう”とも言えなかったな。
俺は恐ろしい目に遭った少女よりも、ずっと勇気が無いのか。
「情けねぇなぁ……」
ヤルダの手を解く。そしてそっと布団の上に置き直す。
その頃には、もうすっかり落ち着いた表情をしていた。
すくりと立つ。
今もこうしてクヨクヨと、フェンを追わなくて良い理由を探している。
ヤルダの手が振りほどけないのも、きっとそのせいだ。
嫌われたって良いじゃないか。
そう割り切れば良いじゃないか……。
探さなくても嫌われる。探しても嫌われる。
どうせ同じ結果なら、動いた方がずっと良い。そう出来る奴は格好いい。
もうすぐ夜が明ける。後ほんの数刻。
「ヤルダ。ごめんな。やっぱり行って来るよ」
行かねば。
「あ。お兄さんダ」
「……。……?」
背後で木の軋む音がした。
金属の擦れる音がした。
寝室の扉の所に、見知った女性が立っていた。
かの路地裏で、俺を襲った白髪の女性だ。
「こんにちは。運命ですネ」
「? あ、あぁ……はい」
何故ここに居るのか。代表の家と知っている……?
いや、そもそも、この人は”神隠し”でパッタリと消えた筈じゃないか。
「……そこの後ろの子」
細く長い指を指す。
ベッドを指す。
ただ、そこにはもうヤルダは居なかった。忽然と。
代わりに、黒い長髪の幼女がベッドに胡坐をかいていた。
艶やかな髪と、東洋の漆黒の装束。漆塗りの髪飾りが曙の光を反射させる。
「え……」
「Ciao」
「いや……は?」
「お前には言うちょらんわ。後ろん奴じゃボケ」
太々しい態度。チンチクリンな様相しておきながらよくもそんな態度を。自分を客観視するべきだ……。
いや、そんな事はどうでもいい。
コイツも何処から湧いた……?
「テネブレ~。もう着いちゃったのネ」
「お前、置いてこぉとしたじゃろ……ええ加減にせぇ」
「……知り合いなのか……」
「おう、そうじゃ! 邪魔したのぉ餓鬼」
「が、餓鬼……いや、それはどうでも良いんだ。なぁ、そこに寝てた女の子知らねぇか……? 何処に行っちまって……」
代表に預けられたと言うのに……どうしてこうなる。
後ほんの数刻だったのに……一体だれが……。
誰が……など、答えは明白か、それ以上。
眼前に鎮座する幼女が、微かに嗤う。
咄嗟、俺はかの幼女に掛かろうとした。
コイツが、何か知っている。
聞き出さねばならない。
ヤルダの事。”神隠し”の事。人攫いの事。
しかし、瞬時に動けなかった。
かの白髪に、後ろから羽交い絞めにされる。
やはり動けない。
恐ろしい剛力である。
「おま……放せ……!」
「ねぇテネブレ。お兄さんも連れて来たいんだけド」
「……は?」
「何言うとんじゃ。コイツ獣人じゃないやろ。なんで攫うんよ」
「違う違う。違うんだヨ」
白髪の女性が手でハートを象る。
そしてそれを俺に押し当てる。
その頬は僅かに赤らんでいた。
「…………旦那様にしなきゃ」
「……」
「な、何言うとんじゃ……レイジー……」
「レイとお兄さんが出会ったのは……寒くて、人通りの少ない路地裏でしタ」
「??」
「あれは偶然出会っただけ……でも今こうしてもう一回出会えた……これは偶然じゃなくて、”運命”……つまり、”恋”なのデス」
「??」
「小説の読み過ぎじゃ」
「そう。まるで御伽噺の様に、レイとお兄さんは愛し合っているのデス」
「合ってねぇよ……それより俺は、黒い方に用があんだ……!!」
「エ」
ボーが消えた、女性が消えた、ヤルダが消えた……誰かが裏で手を引く”神隠し”。しかし白髪はこうして帰還している。
ともなれば、元凶は白髪本人か、はたまた黒髪の方で間違いない……。
この強情っ張りが、離しやがれと……。
「何で……運命なのに……」
「良いから離せ……!」
「テネブレ。お兄さんも入れてヨ。”箱”に」
「は?」
「じゃから。獣人じゃないと言うて……」
「じゃないとテネブレも殺すヨ。この運命泥棒」
その時、白髪から魔力の圧を感じる。
この気は、単なる獣人や魔獣で無く、この禍々しさは、フェンやタウダスのモノにずっと近い……。
「神獣か……??」
「明察。ええい面倒。開け”妖銘・トロイ箱”」
黒髪が手を突き出す。
かの掌にもまた、異質な魔力を取る。
コイツもか……??
耳の近くで、木の軋むような音がした。
不協和音の様に、金属の擦れる音もする。
何が起きている。
瞬時に判断が効かない。
目の前は忽ち暗闇に堕ち、身体の感覚も失われていくのだった。




