第58話 神隠し
代表の自宅は街の郊外。ベッドタウン。
ギルドからはすっかり離れ、街の明かりも届かぬ坂の先。
ココには獣人が多く住む。物好きな人間も居たりするが、治安が悪いのと少数派に慣れない為に結局越していく人間が多い。
故に環境は最底辺。寮とどちらが良いか。そんな場所だ。
であるにも関わらず、代表はココに住む。中々に稼いでいる筈で、もっと都心にだって住めるんだろうがな。
「ヤルダちゃん。転ばへんようにね」
ヤルダは大きな歩幅で捲れた石畳を越えていく。
向かう先には周囲の家よりちょっくらばかし大きな家屋。
階層は1。ただ横に広く庭もある。
「適当に寛いどいてくれる? ヤルダちゃん眠たいんやて」
「あぁ……はい」
玄関に着くなり別れ。俺は怯みどちらの脚からお邪魔するかも一考した。
室内にはまるで生活感はなく、何処に座ってもその繊細な在り方を崩してしまいそう。
俺はぎこちなく冷えた床に正座で収まる。
ただ落ち着きなく、部屋をキョロキョロと見渡す。
得も言われぬ圧迫感。獣人のテリトリーには不用心に入る者ではない。
その時、家具の奥に書類の束を見つけた。
角の折れた、しわの付いた書類の山である。
ふと彼女の痕跡を感じ、心が軽くなる。これは断じて癖ではなく、ようやく生活感を探し当てた居心地の良さである。
何の気なしに近づき、そっと覗き込む。
汚い字が、ずらずらと書き連ねられた紙。これでは読めない。
ただ紙の端から端までびっしりと、黒くなるまで書き込まれている。
これは何か。
「協議書よ」
代表の冷静な声がする。
「協議書……」
「説明資料もいくつか混じっとるやろ?」
「……い、いやぁ、字ぃ汚くて内容までは……」
「……」
空気がピりつく。
「あ」
「なんやぁ、言いはりました?」
「……」
「全部手書きなんよ。すみませんなぁ、汚くて」
「あぁいやいや……字書けるだけでも凄いですよ……!」
「ふん。お口が達者ですなぁ」
「あ、あはは」
しかし事実、人の文字が書ける獣人は少ない。読める者も少ない。
ギルドの獣人は幼い頃から教育される為、話せる者だけは多い。しかし恐らく野生のならば聞き取れる者さえ殆どいないだろう。
それでこれだけの紙に、これだけの文字を書けているのだから大したものだ。これに偽りはない。
ただ、効率的でもない。
「はぁ。こないに、いきなり愉快やない気持ちにさせられるとは思いませんでした」
「あ、あの……」
「? どないしました?」
「書記くらい、人間にやって貰ったら……良いんじゃ」
「……」
「……」
俺はまた不味い事を言ったか。
「もうええです。その話はしたくありません」
「あ、す、すみません」
「カナタはんは、もっとデリカシーある人や思ってましたわ」
「そ、そうすか……」
代表の評価はおかしな所でまとまっていた。
デリカシー云々ではなく、言うべき事も言えない臆病者である。
今こうして代表と一緒に居るのだって、フェンを追えず、仲間も頼れずのままであるからして。フェンとの約束を破り、俺は風来坊。
そんな折にデリカシーの話は止して欲しい……。
「ほら。また暗い顔しとるやないですか」
「あ、あ……すみません」
「謝ってほしい訳やあらへん。文字の事も、下手なんは分かってますから」
「……すみません。努力されてるのに……余計な事言って」
「努力やあらへんよ。せなならん事、やっとるだけですから」
代表は寂しそうに資料の山を見つめる。
きっとギルド長や、他の有権者に訴える為の……そんな資料なのだろう。
ギルドでの獣人の扱いは酷である。こんな郊外に住まわせ、戦う時だけは前線……それでも賞賛を受けるのは人間ばかり……俺達ばかりなのだ。
それは俺がギルドに加入してから、追放されるまで、とうとう改善される事は無かった。
そりゃそうだ。あんな汚い字じゃ職員だって読む気は起きない。
そもそも人間側が、獣人の好待遇など良しとする訳がない。それはすなわち革命。
ただでさえ物理的に優位な獣人が権力まで持ったらば、人間の居場所はなくなるのだから。
「……代表」
「ええんです。こんな紙クズ後で燃やしますわ」
「な、なにもそこまで……」
「ふふ。だってギルド長は代わりましたもの」
「あ、あぁ……」
新たなギルド長は獣人。
待遇の改善は十分見込める。代表にとっては、経緯は違えど結果は同じ……獣人が日の目を見る組織と成ったのだ。
代表は、打って変わって心穏やかな表情である。
そうして、一枚一枚紙を捲る。
黒の滲みがひどく、殆ど読めない様な所もある。
書き損じたか、それとも水に濡れたか。
「……ふふ……ホンマにかわいらしい字やわ。ホンマに」
「……はい。本当に」
代表はひと際穏やかに、俺へ微笑みかけた。
彼女の瞳は少し潤んでいる様にも見えた。いやもしかしたら、俺の方が泣いているのかもしれない。前が見えん。
「はぁ。すっきりした。カナタはんも寝はります?」
「あ、はい……あ、でも……」
「?」
「俺、フェン探さないと……」
「? フェンさんどうかなされました?」
「あの、ちょっと嫌われたというか」
「?」
「……ちょっと、色々話せないんですけど……ともかく探さないとなんで」
路地裏で襲われたところを見られたなど、口が裂けても言えない。
自意識過剰と罵られるだけだ。
しかし代表は、存外な態度を取る。
「ほんならウチも探しましょ」
「え。ほ、ホント……良いんすか」
「はい。獣人の鼻は良く効きますから……それに、夜は男性でも危ないんですよ」
「?」
「”神隠し”って知ってはります? 人がパッと消えるんです」
「……!」
”パッと”……”消える”。
思い当たる節がある。
「東洋にそういう伝承が有るんですよ。神様が遊び相手に子供連れてくとか。悟ってもうた人が神様の領域に”アガる”とか」
「あがる……?」
「まぁ気ぃ可笑しくしてもうただけやと思いますけどね」
「は、はぁ」
「ともかくパッと消えてまうんです……まるで”攫われた”様に」
「攫われ……」
先程の路地裏の話。俺には心当たりがあった。
ただ、代表はその話をしているのではなかった。
代表はずっと別の事を想起していた。
「ヤルダちゃんも、もうちょっとで”神隠し”に遭うとこやったんやろ……?」
「えっと……代表」
「?」
「『ビュントニス帝国』の”獣人攫い”についてご存知ですか……?」
「……えぇ。あれは噂やないよ。ホンマの話」
「……」
「獣人って、ホンマは見つかっとらんだけで沢山おるんよ。でも、野生の子は殆どおらへん。何処に居ると思う?」
「ギルドですよね……それと」
「『ビュントニス』に居んのよ。それと同盟の『アッレアンツァ』やね」
「……」
「最近までは、ほんのちょっと野生の子も居ったから、それをギルドと二国が取り合っとったんやけど……そろそろお互いの者を取り合う頃かも知れへんな」
「な、なんで」
「ヤルダちゃん。トロンペで襲われてたんやろ。あそこはギルドの領地や。もうそこまで来とるんよ」
「た、確かに……」
「……早くフェンさん見つけんと、取り返しつかへん事になるよ」
代表の冷静な声も、俺の急かすには十分な様相であった。
俺は”神隠し”をこの眼で見た。
”もうそこまで”……この言葉があまりに重くのしかかるのだった。
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