第56話 好きこそものの上手なれ
寮の床はよく軋む。古びた建物で、特に改修の予定も無い。金が掛かるのと、利用者がそこまで多くないのが原因だ。街に家がある奴、街の外で寝泊まりする奴、トんだり死んだりした奴……。
その分重要性は下がるし、その分改築が後回しになる……そうしてまた利用者が減る悪循環。
寮もブリッツに直してもらうか。クーラーも付けて貰おう。アイツはいきなり大忙しだな。もはやギルドの心臓だ。外様とは思えん。
しかし妙に活躍されても困るのだ。
フェンの相棒が彼女になりかねない。
当然ボーには譲れん訳だが、そもそもフェンには俺の傍に居て貰わなくては。
なにせ彼女は”神獣”。タウダス復活の為に魔力の供給をしてもらわねばならんのだ……。
それに……。
「はぁ……」
俺は、何時しか彼女を神獣として見る様になっていた。きっかけなど様々あったが、最も大きいのはタウダスの存在か。彼女を復活させるには神獣の魔力が多分に必要である。だのに、俺はタウダスに魔力を使わせ、あろう事か彼女は俺の中から消えてしまった……フェンは心配ないと言っていたが、その実は分からないまま。早く彼女を取り戻したい。そう思う。俺は使命感と罪悪感に急かされている。
それと、神獣として見る様にしている、というのもある。フェンは優しく美しい。そんな彼女が時折俺に矢印を向けるのだ。しかしそれは、子孫繁栄の本能的な作用に過ぎない。彼女は俺でなく、”童貞”が良いのだ。彼女の好意を勘違いせぬ様、俺は彼女を徹底的に”神獣”として見ねばならない。そうでなくては、まるで一人の女性が、俺を一人の男として好いている様である。そう勘違いしてしまう。不純な話だ。俺の貞操が奪われれば、彼女は俺の元から離れていくというのに。俺は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。
彼女が俺を”童貞”として見るのなら、俺も対して”神獣”として見なくてはならない。
そうした生物学的なフェア性こそが、今までの関係の延長として相応しい。
……。
そうして、ついため息が漏れる。
ルペール達の話し声がする部屋の前まで来た。がやがやと賑やかで、薄い壁からよく聞こえる。
そんな場所で、俺は途端に怖気づき、すくと腰を降ろす。
フェンの手前、俺は自信ありげに試験を受けると豪語したが、その実不安の方が大きい。
他の参加者には誇れる部分があまりにも多い。俺がリードしている点など、せいぜい付き合いの長さぐらい。しかしそれも1週間あまりの時間だ。
試験期間も1週間……最終日には追い付かれてしまう。
付き合いの長さだって、決して強みには成り得ない。
「おい。てめぇ何してんだ。コラ」
「あ」
部屋の扉が少し開く。そこからブリッツが顔を覗かせていた。
バツが悪い。
「辛気臭ぇ面だな。コラ」
「あぁ……いや、何でも」
察しの良い奴だ。俺が辛気臭いのは元からと言うのに、今になって勘付き、あろう事か踏み込むなんてな。その点に関しては察しが悪いというか。
「てめぇ……煮え切らねぇな」
「だ、だから何でもないって……」
「んな寒ぃ所でウダウダしやがって。くそだりぃぜ」
「面と向かって言うな」
しかし寒いというのも事実。ウダウダというのも事実。
図星に付き”面と向かって言うな”などとしか言えない。俺は冷たい床の上で小さくまとまる。
その頃に室内の奴にも気付かれ始めた。
「ねぇー! カナタもあそぼよー!」
「ふふ。たまには羽を伸ばさないと」
「そうですぜ。皆の方が楽しいってもんですぜ。旦那」
……。
「……なんでギエーナも居んだよ」
「知らね。気付いたらいた」
室内じゃ3人仲良くトランプ片手に駄弁っていた。それはもう楽しそうに。
成程ギエーナよ。そうやってフェンを取り込もうと言うのだな……。
少なくとも俺には出来ない芸当。舌を巻く。
思い返せば、ギエーナは盗賊の出身……ギルドのような定職に就けるだけに飽き足らず、飢えのままにのし上がろうとするのは必然……。
下を経験した者ほど、上にしがみ付く。フェンの相棒に選ばれれば、彼の野望も叶えられよう……。
ギエーナ自身がフェンに興味ある節は窺えない……しかし、その役職には間違いなく興味がある。
コイツも何かと強敵か。今になって俺の立場の無さを痛感する。
思えば俺は、ただの一度だってフェンに相応しかった事なんて無かった……。
部屋の暖かな照明が、そのまま暗闇の廊下に立ち尽くす俺との対比と知り、俺の足は後ろに下がる。
「……俺、ちょっと歩いて来るわ」
「え」
言い得ぬ疎外感を悟る。
俺のするべきは”コレ”じゃない。
トランプなどした所で今更深まる仲でもない。むしろこのゲームを盛り上げてみろ……ギエーナの思う壺だ。泰然とした態度を取る。
駆け足。しかし焦りが悟られない様に俺は寮の廊下を進む。
街はもうすっかり明かりが落ち、街行く人の出で立ちも随分馴染みやすいものになっていた。
黒の上着に黒のズボン……肌の露出は少なく、行き交う者を目で追っても咎みはない。
俺は夜の街に溶け込む様に練り歩く。
この薄暗い心持には相応しい。
しかし中には男女身を寄せ合い歩く者もいる。不届き。
俺もああやって大胆に、積極的になれればもっと気が楽だろう。
しかし30も前にしてこの有様では、また思い直しただけで終わるのだ。
「……」
かの集団の中にボーが居た。
向こうへ向こうへ歩いて行っている。
俺はバレず、背後を取る形。臆する事なく目で追えた。
先程まで酔いつぶれていた女性も、今は自分の脚で歩いていた。
そのままスタスタと、自分の脚で路地裏に消えていく二人。
その路地裏には見覚えがあった。
路地裏に見覚えなど、とんと人生で感じる感覚ではないと思っていたが……その路地裏は、俺とフェンがかつて出会った場所であった。
確か向かいの商店で、何か食料を買い込んで、それをフェンにあげたのだ……。
思えば、あの頃のフェンはドレスを泥だらけにした奇妙な出で立ちだった。
よくもまぁあの頃の俺は疑いもせず親切にしたものだ。
それだけ彼女の有様に同情していたのだろう。
普段は、礼を言われるのも、こそばゆくって軽率には優しくなんてしないのに。
ふとそんな事を思い出す。
そうこうしていると奴等を見失うじゃないか。
慌て路地裏が見える所まで。
艶めかしい水音が聞こえた。
途切れ途切れの息遣いが囁く。
掻く様な布の擦れる音。
路地裏の闇の中、奴等は媾っていた。
正確には前戯の段階であるが、気が膨らみ、今にもと言う様子である。
思わず息を殺し、彼らの様を盗み見る。
よくもまぁこんな場所で、恥ずかしげもなくあのような行為を。
いや、人目を気にしたからこそ影に潜ったのか。
かく言う俺も、恥ずかしげもなく人の媾いを見ている訳だが。
むしろ街の往来で堂々背を丸め、人の愛し合いを妬む俺の方が恥というもの。
なんて情けない。
俺は盗み見したその根本を後悔した。
もう帰ろう。
そうやってその場からすくりと立ち去……――――。
「何をしてますカ」
ハッとし、往来に向き直る。
耳障りの心地よい少し高い声色。
こちらを覗き込むのは、少し背の高い女性であった。
白のボブカット、清純そうな、そして何処か大人びたオーラ漂う立ち振る舞いである。
髪をそっと耳に掛け、その時漂う香りが鼻をくすぐる。
「あの人達ハ……」
「あ、あ……」
女性が、今度は路地裏を覗く。
その頃、色に溺れた彼らの情熱は、さらに勢いを増している。
女性の瞳孔が、ぐっと開く。
俺は瞬時、かの闇の光景を見せてはならぬと悟る。
「あ、ちょっと……!」
慌て路地裏をその身一つで覆う。
しかし深淵を覆うという事は云々。俺はボーにも見つかるという話だ。
ただいっそこの際、バレても仕方あるまい。
そう思う程にかの方の瞳は純粋に満ちていた。
「…………?」
「はぁ……はぁ……見ちゃ、駄目っす……」
「……んー?」
女性が俺の身体を押す。
俺が必死になってる様が、余計に彼女の好奇心を煽ったのだ。
しかし抵抗できぬ。
決して、彼女の細い指と柔らかな肌に気圧されたのではない。
この人……異常に力が強い。
俺は物でもどかす様に払われる。
「うわぁ」
「……お兄さん、レイのこと馬鹿にしてるノ?」
「え、え?」
「……えっちなの、見たかったのニ」
「……?」
女性は不貞腐れた様に路地裏を眺め、すっと背を向けた。
何を不満足になっているのか。俺も慌て路地裏を覗く。
「あ、あれ?」
路地裏にはもう誰も居ない。
しかし乗り越えられる様な壁も、駆け込めるような隙間もない。
ただただ忽然と。
「きえ、た……?」
ボーも女性も何処にもおらず、そこには静まり返る闇があったのだった。
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