第29話 麓の話
「カナタさまぁ? 何言ってんすか?」
身体が熱い。特に眼輪筋……眼が焼けるように……ただ残念ながら、嫌な熱さではなかった。
吹雪の恐ろしい寒さから、俺を守ってくれているようで……。
『……貴様は誰じゃ? 小娘』
「は? お前こそ誰だよ……」
『躾がなっておらんのぉ』
俺の右手がヌルキの首を絞める。
拍の速い脈動が、首の筋肉の収縮が、俺の皮膚に伝わるのだ。
何をする気か。やめろ。
やがてヌルキをひょいと持ち上げ、宙ぶらりんにする。
「あ、あぁ……ぐるじ……いだい……」
『はっはっは。この娘は、小便まで漏らしおったぞ』
右手に一層力が込もる。握りつぶす気か。
やめろやめろやめろ……。
どうにか身体を取り返さねば……ヌルキが死ぬ。
『……小僧め。抵抗しよって……』
冷静さを、どうにか……寸での所で。
このまま殺すは無理と踏んだか、悪魔はヌルキを、山の麓の方へ投げ飛ばす。
一瞬、安堵できた。
『ベアナよ。奴を追って来い。食って構わん』
ベアナが駆け出す。しかしそれを追いかける事も止める事も出来ず。
『さて……くくく、刹那油断したが……ようやく手に入れたぞ』
俺の指が、俺の頬をなぞる。愛でる様に。確かめる様に。
なぜコイツはそんなに俺が欲しいのか。思い当たる節は何も無い。
『なんじゃ。まだ分からんのか? 小僧』
……分かるものか。俺をどうにかしたいなら、俺だけにしてくれ。そう願う。
ルペールも、フェンも、ベアナも、ヌルキも。どうか勘弁して欲しい。
こんな俺の懇願も、”悪魔”は一蹴する。
『温い男よのぉ……だがならん』
何故だ。俺が欲しいんだろ……。
『妾には”魔力”が必要じゃ。お前の周りにある”神獣の魔力”がな』
神獣……フェンの事か。
この時、彼女の顔がふっと思い起こされる。白銀の髪、透き通るような瞳、穏やかな彼女の笑顔が。
”悪魔”はニタリと嗤う。
『おぉそうじゃ。小僧、余程奴に気に入られておる様じゃのぉ』
……そうなのかもしれない。確かにフェンは俺に気を許している……と思っている。
だが、それは純粋な好意ではない。
俺が童貞だからだ。フェンは偶々俺に出会い、生物的な利の為に俺に好意を持った。
ならば、気に入られているというのは、少し誤解がある。
『面倒臭い奴じゃのぉ。まぁいい……兎も角、小僧よ。貴様は神獣に好かれやすい……神獣の魔力が永続的に欲しい妾にとってみれば、至高の囲いという訳よ』
俺が欲しい理由は分かった。ただまだ腑に落ちない。
神獣の魔力が欲しいとは何だ。
『……良かろう。どうせ貴様は妾の物じゃ……』
そう言うなり天を仰ぐ。曇天。
しかし吹雪は次第に弱まり、ゆらゆらと舞う雪が目で終える様にまでなる。
『妾には、実体が無い。昔に魔力を使い切り、身体が崩壊したのじゃ。魔力が無くては回復も出来ん。これでは愛娘を抱きしめる事さえ……』
……確かにフェンの魔力には異常な回復力がある……。それが狙いか。
『そうじゃ! 神獣には、”神獣の魔力”が最も適合する……!! 早う奴の魔力が欲しいのぉ』
理解は出来た……ただ納得は出来ない。フェンの魔力はお前の物でもない。
どうしてルペールを狙った。ヌルキにあんな真似をする……。
……てめぇの都合でフェンを利用するだの……なによりルペールの身体をどうしてくれんだ……どうにも許せねぇぞ悪魔が……。
『もうよい。村へ出向こうぞ。はて先程の獣人……魔力も微小だったのぉ。今更どうでもよいわ』
遂に俺の身体が前へ進む……しかし抵抗できない。いくら冷静になろうにも、どうにも怒りがこみ上げる。
焦りもある。恐怖もある。絶望もある。
フェンが狙われている。
村に戻るなり、コイツは何をする気か……。
瞳は以前、焼ける様に熱いままであった。
いや、寧ろ悪化している。
景色がボヤける。意識も、靄が掛かった様だ。
もうすっかり、意識が蝕まれ、抵抗だとか、そんな話も絵空事か。
誰か、止めてくれ。
「待ってよ」
誰か…………居る。
『迷惑だのぉ』
「そりゃないでしょ。”悪魔さん”」
ヌルキである。片方の脚を引きずりながらも、一歩づつ此方へやって来る。
彼女は、誰かに支えられていた。
『……ベアナはどうした』
「いるよ。ほらいってらっしゃい」
ヌルキの足元からベアナが飛び出して来た。
健脚。凄まじい速度で俺へ飛び掛かり、あわや倒れ込む。
『な』
しかし敵意は無い。
噛みつくでも、吠えるでもない。
彼はただ尻尾を振るのだ。
そして彼の背に、誰か乗っている。
『……?』
「カナタさーん!! ごべんなさい! 来つまっただーー!!」
『ムオ、タ……??』
ドクンと、拍動が変わった。
悪魔が高揚している。
「ベアナが……おねえさん襲っつまってたし……ジブンどうしたら……こんなこと、今までなかっだのに……」
ムオタの目から、大粒の涙が溢れる。
一滴づつ、俺の方へ落ちた。頬が徐々にひんやりとしていくのだ。
「む、ムオタ……!!」
俺の、声だ。
「うぅ……カナタさーん……」
「危ねぇだろ……来たら……!!」
「で、でも……カナタさんが……しんぱいでぇ……」
ムオタが俺に強く抱き着く。
冷たくなった彼女の身体を、俺は引き寄せる。
「……カナタさま戻ってんじゃないすか?」
「あ。あぁ確かに……」
「さっき滅茶苦茶怖かったんすよ! 首絞められてー! ぐえーって!」
「すまん……お前がベアナに噛まれてて……動揺した」
「うぅ……ごめんだべ」
「……そういえばワンちゃんも大人しくなってるすねぇ……でもドーラ隊長はそのまんまだし……なんでぇ?」
「分からんが……ただ、ムオタが泣きじゃくってんのが、悪魔を揺さぶったのは間違いねぇな……」
「お。その心は?」
「なんか、こう、ドキッとした」
「それ、ロリコンなんじゃね?」
「違う」
「……あーいやいや、カナタさまがじゃなくてさ。悪魔が」
「は?」
「ほらーカナタさまが興奮したら乗っ取られるんでしょ? じゃあ悪魔も興奮したら入れ替わるんじゃね? そうじゃね?」
「……まぁとにかく助かった。ありがとなムオタ」
「んん……」
ムオタは顔を埋め、よっぽど大人しくしている。
それでいうとベアナもだ。コイツ俺に嚙みついた割に、舌を出し、尻尾を振っている。
「こいつもムオタが来てから大人しくなった……」
「分かんないっすねー。まぁとりま村帰りませんかー? 隊長も連れて来たいし」
ドーラのぽつりと佇む。生気が無いというか、糸が切れた様というか……。
彼の指先は当然のように凍傷に冒され、黒ずんでいる。鼻もか。
「確かに置いてく訳にはいかんな……」
俺がドーラを背負い、ベアナがヌルキを背負った。
「おもくないー? ワンちゃーん」
「だいじょうぶだよー。ベアナは力持ちだべ!」
ベアナの目は尚も赤かった。力持ちなのは”悪魔”の力なのだろう……。しかし襲いもしないし、喋りもしない。
「なぁ、ベアナの目って何時から赤いんだ?」
「え? んー、ジブンが生まれたころから……ずーっとだよ」
「……そうか」
空は尚も曇天。今にも吹雪きそうだ。
気が変わらぬ内に、俺たちは来た道を戻って行った。
そして、存外すぐに村のすぐそこまでやって来たのだった。
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