第21話 タウダスの悪魔➀
ファーラの谷を進む俺達一行。ここはやけに冷え込み、指の先や耳介がズキズキと痛んだ。
左手に断崖。右手に絶壁。足元にはふかふかの雪が積もる。踏みしめる度わずかに体が沈む。
「すごーい! 雪だよゆき!」
「元気だねぇお前は……」
「そりゃそうでしょ! 雪合戦しよ!」
「お前の痛ぇから嫌だ」
「ぶー……ねぇフェンはー?」
「ふふ。楽しそうですね」
「だよねー?」
「……社交辞令だぞ」
「おらくらえー!!」
「わぷっ!」
クソ。雪が口に入った。泥もだ。最悪の気分だぜ全く。
俺は適度に丸めた雪玉を水で濡らしてルペールに投擲。ルペール、華麗にキャッチ。投げ返された石みたいなのが鼻の頭に直撃で試合終了。僅かに血を噴いた。
「……! 皆様、葉の揺れる音がします……!」
「え、ほんと?! ファーラの谷抜けたんじゃない?」
「はい、恐らく。きっとこの先に針葉樹林の群生地があるのですよ」
二人はスッタスッタと軽やかな歩調で駆けて行った。
……痺れた鼻っ柱をこすりながら、俺もそれに続く。
ファーラの谷の先。コートを羽織ってたって芯まで冷える寒冷地。
そこには一面、湖が広がっていたのだ。
水面は僅かに揺蕩い、キラキラと細かな陽の光を返す。これにあっと見惚れていると、心すらその湖に飲まれてしまいそうだ。
そしてその湖の遥か奥には、山……とも呼べぬような切り立った崖が聳えていた。頂に雪を纏うその”崖山”は自然の猛威も、傲慢さも、何より雄大さを、俺にばかり突きつけるのだ。
「すごー! なにあれ、山?? でかー!」
「湖も透き通ってて……雪解け水でしょうか?」
「泳ぎたい!」
「凍えて死ぬぞ」
ただ、俺達が目指す『ルオットゥト』に行くには、この湖を越えねばならぬ。そしてかの霊峰も……。泳げるものなら手っ取り早いが……獣人でもない俺は確実にお陀仏だ。
「迂回ルートを探すしかねぇな。急がば回れってのは東洋のことわざだ」
「私が”元の姿”となり皆様を背に乗せれば……」
「ヴィーセさんから言われたろ。身体は大事にしろ」
「は、はい……」
こいつは……本当に目を離したら、そういうことをやりかねない……。監督責任。俺がしっかりせねば。
「ともかく迂回ルートだ。俺について来い!」
「お。珍しくやる気ー」
「当然だ。俺はフェンを守る義務がある」
「ふーん」
かくして俺達の旅路は少し脇に逸れる。しかし大した遠回りでない。むしろ遠回りを楽しむ事こそ、旅の醍醐味ではないか。俺は今、トラベラーズハイにある。
湖畔の周辺は嫌に泥濘んでいた。湿度なんてほとんど感じないが、足元ばかりが気持ち悪い。
その頃に空が曇った。
風が僅かに吹き、思わずこれを吸い込んだ。喉の奥まで凍えるのが分かる。
湖がざわめき焦りを煽る。針葉樹がざわめき恐怖を生む。
俺は少し歩くスピードを上げた。
「あ……雪だ」
ちらちらと雪が舞う。まっすぐ落ちずに、雨よりも遅く宙に漂っている。見上げた横顔に乗っかったが冷たくはない。それはやがて体温で溶ける。
「吹雪きそうですね……」
「早く進むか、それとも戻るか」
「戻るならファーラの谷まででしょうか」
「えーむり! いやだ!」
「しょうがないだろ。自然を舐めすぎだ」
「このままじゃさー! いつまでもつかないってばー! お腹すいたー!」
腹の話はするな。俺だって空腹さ……。だが命あっての美食だと思わんか。
「カナタ様……私も」
「お前もかい」
「おいしいトナカイ食べれるって思ったのにー!! ”とうし”の前に餓死するよー!!」
この頃に雪の勢いが増し始めた。
肩に積もった白を払うと、手がぐっしょりと濡れた。手が痛い。雪は決して直接恐ろしくない。
この手のひらのような水滴が、恐ろしい程に体温を奪っていくのだ。
「ほっぺが痛いです……」
「やっぱり引き返すぞルペール。これ以上は無理だ……」
「で、でもさ……どっちが前?」
辺りは薄暗い。そんな空中に白い斑点が勢いよく吹きすさぶ。
黒い空と白い地面……分かるのはそれだけだった。
「み、皆、離れるなよ」
「ルペール様、此方へ……」
「あ、ありがとー……」
「もうちょっとこっちに寄ってくれ……俺ぁ寒くてたまんないぜ……」
獣人の尾っぽが温もりをくれる。
ただこれは、俺が体温を奪ってるだけな訳で、長続きはしないだろう……。
「ご、ごべんなさい……ウチがわがまま、言ってたからぁ……」
「この際責め合いはなしだ。ともかく道を探さねぇと……フェンどうだ?」
「すみません……雪のせいで何も分からなく」
鼻を赤くしたフェン。寒さにやられてしまったようで、彼女は右手でこれを摩る。
「こんだけ寒けりゃ仕方ねぇな……ともかく足跡を逆に辿ろう……消えちまう前に」
この暗闇の中で、はっきりと見えるのは白い大地だけだ。
互いに身を寄せ、ふらつきながら後退する。
「さむぅ……」
「もうちょっと耐えてくれよ……」
「……カナタ様。この雪、なんだか変です」
「どうした?」
「……初めは、寒さによって嗅覚が鈍くなったのだと、そう思っていました……ですが、原因はこの雪です……」
「だ、だからどうしたよ……怪談か何かか?」
「怪談と言うよりは神話……この雪に強力な”魔力”を感じます」
フェンが暗闇をギロリと睨む。この時さらに勢いを増す豪雪。
雪に触れた皮膚が痛い。もうここには居られない。ただフェンは足を止める。
「フェン……今はとにかく安全な場所へ……」
俺もまた後ろを振り返った。
ただ、ただ暗闇の後ろの正面。そこには、宝玉の様な赤い瞳が二つ、ゆらりと浮かんでいた。
それはゆっくりと確かに近づいて来る。
野生生物か。熊か、狼か。
「おい……目を逸らすなよ。ゆっくり後ろに……」
俺は冷静に動けた。窮地にこそ冷静にならねば。
しかし足が動かない。
「な、なにあれ……?? やばくない? 動物なの?」
「カナタ様??」
何とかして体重を後ろへ。
ただ足元の浅い雪ほども足を上げれず、俺の足跡は伸びるばかりである。
そうして雪の下の凍てついた地面に足を滑らした。
早く立たねばならぬ。そう思えば思うほど無意識が消える。体が寒い。
この時ルペールに体を揺すられた。しかしどうにも動悸が止まない。
ルペールと目を合わせる。彼女はゆっくりと目を見開くばかりだ。
「ルペール様……!! カナタ様をどうか……ルペール様……??」
フェンが呼ぶがルペールは何も言わない。それどころか動こうともせず、俺の肩を掴む手に力をこめる。
「ルペール様! ルペール様!」
フェンの叫びは容量を得ない。
彼女もまたその場を動こうとはせず、吹雪の轟音にかき消されないように声を絞り続ける。
はたとフェンとも目が合う……いや、一方的に彼女の瞳を窺った。
彼女の瞳の色もまた、暗闇の瞳のように深紅色をしていた。
「同じ……目……なん……だ……それ??」
俺はぽつりと呟いた。
その時、フェンがゆっくりと此方を向いた。その時ようやく目が合ったのだ。
もう彼女は叫んでなどいなかった。
はたと、自分の脚を掬った凍てつく水溜りを見やる。
そこには、瞳を真っ赤に染めた俺が、ぼぉっと映っていた。
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