第17話 目が覚めた
点滴が始まって3時間と少し……俺とルペールはずっと心ここにあらずの状態が続いていた。
フェンのこと。シェナレのこと。陸竜のこと……。懸念は尽きず、こんな事ばかりが頭を巡る。
「コホッ……コホッ……」
この重苦しい空気の中に、浅く軽い咳が聞こえる。フェンだ。
ヴィーセさんはすくと立ち上がりフェンへと近づく。
「ヴィーセさん……」
「大丈夫です……寧ろ……」
その後もフェンはコホッコホッと浅い咳を繰り返す。これを覗き込むヴィーセさんは穏やかに背を撫でた。
「魔力の循環が始まりました…………ただ想定より量も濃度も異常値……」
「異常って……大丈夫なんすか……?」
「回復が間に合えば……」
傷口から溢れ出す魔力……と思われる青煙がフェンを包む。
魔力とは、栄養素を代謝によって特殊な成分へと変換したもの……人間にとってのグリコーゲンやアミノ酸と何も変わらない。
それが、こうした色彩を帯び、目にできるという異常性。
背筋が凍る。
……ただヴィーセさんの様子は少し違った。
「傷口が塞がっている……」
この木漏れ日の様な一言に、俺は安堵した。
よく見ればその通りだ。先ほどまで痛ましく開いていた傷口が、今は見る影もない。ただ相変らず魔力は溢れ出している……これは大丈夫なのか?
すっとヴィーセさんの横顔を窺う。
彼女は青い顔をしていた。
彼女の震える手がそっとフェンに触れる。
何故そんな表情か。俺には理解できなかった。
「わ」
フェンが元に戻った……正確には人型に戻ったのだ。
彼女にとってどちらが正体かは知らないが、ともかく見知った獣人の姿と成ったのだ。
「フェン……!」
「……??」
俺の決死な表情に、フェンは少しばかりキョトンとした様子である。
「お……俺が分かるか?」
「も、もちろんですよ」
「そうか……良かった」
フェンはぼーっと俺を見つめる。
その時、自然と彼女の片方の目から涙が溢れる。
これを、彼女自身も理解できていなかった。
「あれ……? 私、なんで泣いて……悲しくなんて無いのに……」
「……取り敢えずお洋服を見繕いましょう。お待ちください」
「え? あ……」
フェンは慌てて恥部を隠す。そして小さく蹲った。小さな手術台の上、手術灯に照らされた姿はあられもない。
俺も慌てて目を隠す。
「あ、あの……カナタ様……」
「ど、どうした」
「……お見苦しい物を……申し訳ございません」
「……気にするな」
「き、気にします!」
「すまん」
それはそうだろうが、見てしまった物を今更どうにも出来ない。俺はただ内心に悔恨を残すことしかできない。
「フェンさん。こちらを」
「あ、ありがとうございます……」
「カナタさんも。もう目を開けて構いませんよ」
「あ、うっす……」
ヴィーセさんは先ほどの青い顔を忘れてしまうくらいには穏やかな表情をしていた。そして悪戯っぽく微笑むのである。
「積もる話も御座いましょうが……フェンさんは回復に努めてください……」
「はい。お世話になります」
「それとカナタさん。少しお話を」
「あ、俺っすか?」
なんだなんだ。
俺は贖罪を覚悟していた。
ただヴィーセさんの話は存外拍子抜けなモノだった。
いや、俺にとってみれば少しばかり繊細な話であった。
「単刀直入に申し上げます。貴方は”童貞”ですか?」
「…………はい?」
「……汚れを覚えず、色を知らず、その純白をこの瞬間まで守り抜いた方なのでしょうか?」
「かっこよく言い換えんでください……」
「これは古い文献にて述べられていた話ですが……『神獣』は汚れの無い個体と生殖を行い、繁栄していくと。それが故に本能が純潔を求めるともされています」
「は、はぁ……」
「貴方が童貞であるならば、フェンさんが貴方に好意的である理由も見えてきます。『神獣』は滅多に人には懐きませんので……それに何より『神獣』に関する研究の論拠を増やす結果ともなります。如何でしょう?」
「……童貞かどうかでいうなら、俺は……ど、童貞ですよ」
何をカミングアウトさせられているのか。俺は途端に恥ずかしくなる。論拠だ何だ、研究がどうしたとか言っておきながら、俺を辱めているのか。
「ありがとうございます。『神獣』の情報はとても貴重ですので」
「なるほど……」
”なるほど”とはいえ事態は飲み込めない。
しかし分かった事もある。
フェンは、俺が童貞”だから”好意的なのだと。
俺は人から愛される質でない。だのにあんな心優しい女性が、何故に俺を助けるのか。それは何とも科学的な話だった。
心のどこかに穴の開いたような気を感じながらも、これを納得することで堪えた。
「さて、ここからは陸竜の話ですが……フェンさんの完全回復を待つべきでしょう」
またぶっ倒れられても事だ。これには反論もないだろう。
「ただ……シェナレが街の外に居るんすよね。アイツが大丈夫か……」
「フレックは無事ですか?」
「馬っすよね……怪我はしてますけど、元気ではあると思うっす」
「そうですか。ならすぐにでも帰って来れそうですが」
「……本当っすか」
フレックが無事ならと、ヴィーセさんは少し安心した様な、少し晴れやかな顔を見せた。
確かにアイツは中々胆が据わっている。
洞窟の時もそうだった。一度逃げ出せたというに返って俺を助け出した……そういう奴だ。
「……では私は食糧を買って参ります。皆様空腹でしょう」
「い、良いですよ。なんなら俺が買って来るし……」
「いえいえ。貴方はフェンさんのもとに居てあげてください」
「あぁ……」
「それでは」
スタスタと去って行く。その足取りはおぼつかないものであった……。
かく言う俺もすっかり疲れたに違いなく……こっちもまたふらつく足取りで宿に潜って行った。
「フェーン! 元気になってんじゃーん!」
戻れば、その時丁度、寝起きのルペールがフェンに近寄っていた。
そしてフェンもまた、その快活なオーラに押されながらも、どこか照れがちな表情を浮かべる。何だか入りづらいな。俺は玄関口で二人を眺めた。
「皆様のお陰です……本当にありがとうございました」
「な~に水くさいこと言ってんのさ! 頼りな頼りな!」
「ふふ。心強いですね。ルペール様は」
「そりゃそうよ! なんたってウチはカナタの相棒だからね!」
それは根拠になっているか?
「仲がよろしいのですね」
「良いなんてもんじゃないから! 生まれた時からずーっと一緒でぇ、たっくさん冒険もしたよ!」
「冒険……それは、さぞ楽しい思い出でしょうね」
思い出話に花が咲く。
丁度その時、玄関の向こうが騒がしくなった。
慌ただしい騎馬の足音。それはぐんぐんとこの家の、俺たちに迫って来ていた。
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