その六:麗しきレディ・ドルリスは正体を明かす
それから数日後、ノワはふたたびレディ・ドルリスのもとへ謁見にやってきた。
レディ・ドルリスの朝は、謁見の予約の確認で始まることもある。
フェスティ夫人がご町内の人から頼まれるのだ。
人間の朝は猫より遅いが、謁見に来るのは朝の散歩をする猫より早い。ので、朝食は早めにすませておかなければならない。
「次の方、どうぞ」
レディ・ドルリスは、扉の向こうへほがらかに声をかけた。
黒猫ノワが入ってきた。保護者からレディ・ドルリスへ、お礼と報告にいくよう言いつけられてきたという。
「この数年にわたり、近隣諸国ではおよそ二、三ヶ月ごとに、似た手口の空き巣事件が発生していたそうです」
だが、証拠は無く、魔法使いも魔法猫もほとんどいない地域での事件だったので、誰も結びつけて考えなかったのだ。
「お手柄でしたわね、ノワさん」
レディ・ドルリスは優しくねぎらった。
「ぼくじゃありませんよお。犯人を捕まえたのはレディ・ドルリスですから」
照れてうつむくノワに、レディ・ドルリスは慈愛たっぷりに微笑んだ。
「それにしてもノワさん。なぜあなたの保護者は自分でわたくしへ依頼に来なかったのでしょうか。保護者のくせに、今日も顔すら見せに来ませんのね」
レディ・ドルリスがサッと庭へ視線を走らせ、誰もいないのをあえて確認してみせると、ノワは肩をビクッ! とふるわせた。
「え、えと、あの、それは、事件のせいでお仕事が忙しすぎるので、代わりにぼくがレディ・ドルリスに依頼……いえ、お願いしにくるのがいちばん合理的だったんです」
ノワはしどろもどろに言い訳した。
レディ・ドルリスは嘘の下手なノワの態度が微笑ましくなった。
「ホホホ、わかっていますわ。人間がわたくしに依頼をするにはそれなりの依頼料がかかります。だからあの捜査官は猫のノワさんをよこしたのですわね」
「あー……。はい、じつはそうらしいです」
ノワがしぶしぶ認めた真の事情。レディ・ドルリスは猫からの陳情は無料で受け付けるが、人間からの頼み事は依頼料を取るそうな……。
レディ・ドルリスをものすごくよく知る人間には『守銭奴』と陰口をたたかれることも。だが、そういう人間こそ、常に労力の対価として金銭のやりとりをしているのだ。
それは人間社会が正しく機能するためのルールでもある。
レディ・ドルリスは、人間からはしっかり対価をいただく。猫だけど。ゴハン代を自分で稼げるにこしたことはないのだ。
ノワの保護者はドケチである。ゆえに、白く寂しい通りの住人にしてレディ・ドルリスの謁見の掟を知っていたため、レディ・ドルリスへ支払うべき依頼料を節約しようと、悪賢くもたまたま保護したノワを利用したのであった。
「ノワさんの保護者は魔法使い。それもこの白く寂しい通りの警察機関に従事している方ですから、まあ、多少のわがままはしかたありませんわね。謎解きはこのくらいでよろしいでしょう」
ノワの尻尾の毛がブワッと膨れ上がった。
「どうしてそれを」
「簡単な推理ですわ。普通のねこはお遣いをできません。また魔法猫にお遣いを頼めるのも魔法使いのしるし。それほどに強い魔法使いで、なおかつ恐ろしいほどのドケチとくれば、おのずと特定されます。白く寂しい通りでは有名なんですのよ」
うわああ、なんだか恥ずかしい……とノワが両前足で頭をかかえた。
「それで、ノワさん。その捜査官の方と正式な家族契約は結ばれましたの?」
「あ、いえ、けっきょく犯人を逮捕できたのはぼくの働きではなかったので、あの約束は無効に……」
レディ・ドルリスの目がギラリ、光った。
「共犯の猫を捕らえたのは間違いなくノワさんの手柄だというのに、人間の分際で猫に対してなんという仕打ちを……。これはやはりわたくしが直々に粛清をせねば収まらないようですわね」
「わあ、い、いえ、だいじょうぶなんです、すぐに放り出されたりしません。落ち着き先が決まるまで家に居て良いと言ってもらえてますから! ちゃんとした猫用ベッドも毎日の美味しいゴハンも猫用おやつも、もらえていますから!」
ノワは大慌てで説明した。猫なのにじつに謙虚だ。
「ふ、大方そんなことだろうと思いましたけどね」
レディ・ドルリスはさきほどの鋭い目つきとは打って変わったやわらかい笑みを浮かべた。
「じつはわたくし、昨日のうちに、ノワさんの保護者の方とこっそり交渉しましたの。というわけで、ノワさんのことはわたくしが引き取りましたから、今日からはこの家の子ですわよ」
ノワはキョトンとした。初耳らしい。
「ぼく、レディ・ドルリスのこどもになったんですか?」
「そうですわ。ご安心なさい、これからは猫らしく暮らせるよう,私が責任を持って教育いたしますからね」
ノワがすぐに返事をしないので、待つ間レディ・ドルリスが前足でゆっくり顔を洗い終えた。それでもノワはまだポカンと口を開けていた。
「ぼく、ほんとうに……この家の子にしてもらえるんですか。でも、どうして、これほど親切にしてくださるのですか?」
「この街のすべての猫はわたくしの臣下にして家族。こんな時に手を差し伸べずにいては、何の女王でありましょうや」
レディ・ドルリスは、慈愛に満ちたまなざしでノワをみつめた。
「女王? レディ・ドルリスは猫の女王さまだったのですか」
ノワはけんめいにも『ボス猫』とは一度も口に出さずに訊ねた。
たしかに、女王さまとボス猫では、聞く方の語感にも雲泥の差が感じれる。
「この世界の月の女神ルセルドナの化身にして古代の魔法猫一族の女王エンデンドリスの直系、それがわたくしの家系なのですわ。そもそも世のすべての猫は、月の女神の化身猫の子孫なのですよ」
「ぼくもですか?」
「もちろんですとも」
「ぼくはここにいてもいいんですか」
「ええ、この家のどこでお昼寝をしても自由ですわよ。わたくしの玉座だけはいけませんが。そうそう、あとであなたの新しい寝床を調えにいきましょうね」
こうしてノワはフェスティ夫人邸の新しい住人猫になり、レディ・ドルリスの本日の謁見が終わるまで、庭でぼうやと遊びながら待っていた。
「では次の方、どうぞ」
この日の謁見は人間二人と猫一匹だった。その内容も、ほどほどに軽いものばかりだったから、小一時間で終了した。レディ・ドルリスはそれぞれの問題に対処することを約束し、謁見を終えた。
レディ・ドルリスはぼうやとノワを連れ、本日のパトロールに出発した。
この日、白く寂しい通りに、事件は発生しなかった。
街はなべてこともなく、一日は終わった。
〈了〉
パトロールを終えた帰り道、ふとレディ・ドルリスは、夕暮れの空を見上げた。
あかね色の夕焼けがルビーのように輝いている。きっと明日も良い天気だ。
「そうでしたわ、わたくしは用がありますので先に帰ってくださいませ」
「どこへ行かれるんですか?」
「捜査局のオフィスですわ」
「ぼくもお供します」
「いえ、ノワさんはぼうやとお家で待っていてくださいな。じつはわたくし、あの名前の無かった黒猫の子の、名付け親になりましたのよ」
「ええ!? あの子、釈放されたんですか?」
「というより、この街には、猫の更生施設なんてありませんもの。わたくしが後見人として引き受ける代わりに司法取引をしましたの。これでも養い親として二百と二匹の子猫を育てた実績がありますから。二百二匹が二百四匹になったところで、どうってことはありませんから」
こうしてレディ・ドルリス一行はちょっぴり寄り道をしたが、日が暮れる前に皆でフェスティ夫人邸に戻り、皆で美味しい夕食を食べたのだった。
〈了〉