その五:レディ・ドルリスは証拠の無い犯人を追い詰める。
黒猫はかんがえた
そうだ、いいことを思いついた。
怪しいやつを見たと、あのレディ・ドルリスへ言いつけにいこう。
あいつが真犯人と思われたら好都合じゃないか。どうせ流れものの野良猫だ、すぐに街を移動するだろう。今夜には、もういないかもしれない。ぼくとご主人は今は疑われていないけれど、用心に越したことはない。
だってぼくは善良な子猫なんだ。ぼくのご主人だって、ほんとうは良い人だ。おかあさんとはぐれたぼくを拾って、大きくなるまで育ててくれたんだから。
ぼくはそんな優しいご主人へ恩返しをしなくてはならない。
ぼくが本当の赤ちゃんだったころ、食べていた猫用ゴハンはとても高価で、赤ちゃんのぼくをお医者さんへ診せるには恐ろしいくらいのお金がかかったんだって。
だからぼくはご主人にりそくをつけたお金を返さなくてはいけないんだって。
これからも、うんとたくさんのお金が必要になる。だからぼくは、もっともっと、働かなくてはいけないって……。
うっかりレディ・ドルリスの前で、ぼくが働かないといけないんだと言ったら、すごく驚かれてしまっていたけれど……。
ぼくは今日もぜったい猫の集会へいかなくちゃいけないんだ。
ご主人はきっと明日、この街を出るつもりだ。いつもいつも、『仕事』が終わると、数日以内に遠くへお引っ越しをするから――。
草木も眠った深夜。
公園の桜の大木に上ったレディ・ドルリスがひと声鳴けば、街中の猫がぞくぞくと公園広場に集まってきた。
今夜は時ならぬ大集会があると、レディ・ドルリスが昼間のうちに声を掛けていたのは知っているが、あまりの猫の数にノワは腰を抜かしそうになった。
ノワがこの街の猫の集会に来たのは、これが初めてだからだ。
猫たちの雄叫びが夜空をつんざく。
街の人間は何事が起こったのかとベッドから跳ね起き、寝室の窓を開けて外の様子を確認したのだった。
「さすがはレディ・ドルリス、この街のボス猫ですね!」
ノワはレディ・ドルリスより一段低い桜の枝に留まっていた。夜の保護色である黒い毛皮は、桜のピンクが背景だときれいに浮き上がって見える。
「ボス猫ですって!?」
レディ・ドルリスは、サッとノワを見下ろした。ピンと立てられたふわふわ尻尾が夜風にフサアッと揺れる。
「あれ? どうかしましたか?」
「ええ、ノワさん。あなたのその誤解だけは解いておかねばなりませんわ」
レディ・ドルリスは枝の上で前足を揃え、ぐっと胸を張った。この世で最も美しいと称えられる猫の正座ポーズでノワを見下ろす。
「わたくしはボス猫ではありませんことよ」
レディ・ドルリスは持ち前の威厳と迫力を、ここぞとばかりに発揮した。
「え?」
ノワはカチンコチンに固まった。レディ・ドルリスの不興をかったと思ったのだろう。
「たしかにわたくしはこの街の猫を統括する立場におりますが、わたくしを『ボス猫』と呼んではなりません。わたくしのことはレディ・ドルリスと!」
「え、でもこの街のボス猫はレディ・ドルリスですよね」
ノワは目をぱちくりさせた。
「ノワさん、もう一度言いますわよ。わたくしは『ボス猫』ではありません」
一般的にボス猫といえば、ふつうの猫よりも巨大な顔(猫は本当に顔が大きいのが強さの条件でもある)と、平均よりもどでかい体躯に歴戦のケンカ傷が刻まれた荒くれ野良の雄猫がなるもの。……と思われている。
じっさいにそうであっても、それは優雅にして優美の代名詞たるレディ・ドルリスのイメージではない。断じてちがう。
だからレディ・ドルリスは、『ボス猫』と言われるたびにきちんと訂正している。
でないと、『レディ・ドルリス』を直接見知っていない人々へ、歪んだイメージを与えてしまうからだ。
それはいけない。レディ・ドルリスの美貌にかけて、あってはならぬことである。
「え、でも、ぼくの保護者は、この街のボス猫はレ……」
レディ・ドルリスはギロリとノワを睨んだ。
ノワはうぐっと舌を口からはみ出させ、髭をプルプルふるわせた。
「ノン! わたくしのことはレディ・ドルリスとのみお呼びなさいな!」
「あぁ、はい、申し訳ございません、ボ、いえ、レディ、ドルリス!」
ふと気づくと、集会の猫たちがすっかり静まっていた。その視線が痛いほどにレディ・ドルリスに集中している。
レディ・ドルリスは、コホンと咳払いしてから、すうぅ……、と息を大きく吸い込んだ。
「さあ、皆さまッ。これから真犯人を捕縛しに参らなければなりません。準備はよろしいかしら?」
猫たちは気を取り直し、声を合わせた。
オオオッ、ニャーオウーッッッ!!!
「そのままリピート! わたくしの合図を待って、待機していなさい!」
なんども繰り返される雄叫びを聞きながら、レディ・ドルリスは桜の枝からポーンと飛び降りた。
「ん? あれれ?」
ノワも急いで飛び降りた。
レディ・ドルリスは、雄叫びを上げる猫集会のまっただ中へ突っこんでいく。
「おわ、なんだなんだ!?」
かたまっていた猫たちが大慌てでレディ・ドルリスのために道をあける。
「レディ・ドルリス、どちらへ?」
「ノワさん、ほら、あの子ですわッ、一匹だけ動きが皆と違いましたの!」
皆が左右に分かれてレディ・ドルリスの動向を見守るなか、ずっと先の方の隅で一匹、お尻を向けてこそこそ逃げだそうとしている小柄な黒猫が!
「ノワさん、あの子を捕まえなさい!」
ノワは閃光のごとく疾走した。
猫の間を駆け抜け、たちまち背を向けている小柄な黒猫に追いつき飛びかかり、その首の後ろに噛みつき、背中を前足で押さえて動けなくした。
「おみごと!」
レディ・ドルリスは悠々と歩みよった。
「あなた、名無しの黒猫さん。わたくしたちをあなたのご主人のところへ案内なさい」
ノワに押さえつけられた小柄な黒猫は横向きのまま目を動かし、レディ・ドルリスを見上げた。
「どうしてぼくを? ぼくは犯人らしい猫のことをレディ・ドルリスへ報告までしにいったじゃありませんか」
「あなたが可哀想な境遇にあることは、最初の謁見からわかっていました。名前が無いなんて、飼い主がいるのにむごい事この上ないわ。窃盗事件の情報を最初に話しにきたのもあなたでしたわね。二度目の謁見では怪しいキズだらけの猫を見たと。あれで確信できたのです。あなたが今回の窃盗犯の関係者だと。キズだらけの猫が怪しいと報告しに来た猫は、あなただけ。なぜならあのキズだらけの猫はこの街の古くからの住人で、仕事の都合で定期的に長期の出張にいくのです。彼のことを知らないのはこの街に半年以上住んでいない新参者だけですから」
ざざっと、周囲を猫たちが囲んだ。猫の中でもレディ・ドルリスの腹心の臣下である強者の猫たちだ。
ノワはようやく黒猫を押さえる力をゆるめた。黒猫はしょんぼり肩を落とし、猫たちに囲まれている。当局が引き取りに来るまでこうして拘束されたままだ。
「ノワさん、あなたの保護者に連絡を。あれだけおおぜいの猫の声で脅したのですもの、人間の方も今頃は逃げ出しているでしょう」
「脅したって、さっきの猫の大合唱ですか。なんて言っていたのかなんて、人間にはわからないでしょうに」
「この黒猫もどこかで魔法猫の血が混じっているようですわ。人間と直接には喋れませんけれど。この子の飼い主気取りの魔法使いは、猫の言葉を少しばかりくみ取れる魔法を持っているのでしょう。だからこの子に人間の家を調べて侵入の手引きをするよう指示を与える事もできたのです。いまごろはさっきの『おまえを捕まえに行くぞ!』という街中に響き渡った威嚇の声に、さぞかし怯えていることでしょうよ」
レディ・ドルリスの推測通り、犯人は街から逃げようとしたところを逮捕された。
その日の真夜中、白く寂しい通りの南の外れで大きなトランクを引きずって走っていた女が、白く寂しい通りの今月の当番警察官である街の住人に一時拘束されたのである。
女の手提げバックの中にはサールバント金貨が三十枚、二重になった底の部分に隠されていた。
それらのあまりの美品さを怪しんだ鑑識官が魔法でコインの履歴を調べると、当局に魔法登録している魔法使いが所有する未使用のコレクション金貨を解体した物だとわかった次第である。
そこで家宅捜索令状を取り、女の家を調べたところ、数年前から隣国での窃盗事件で被害届が出されていた貴金属のアクセサリー類の一部が発見された。
正式に窃盗犯として逮捕された女は自称:占い師。
占い魔法を使える魔女という触れ込みで、この街で占い商売をしようとしたが、いかんせんこの街の住人は本物の魔法使いばかり。しかも折り紙付きの実力者ぞろいだ。
魔法使いのいない国ではいいように稼げた魔女だが、この街では、三流占い師など話のタネにもなれなかった。
若い美人でもあった魔女は、他の街でやっていたように美人というだけでちやほやしてくれる男性にも恵まれず、ストレスを発散することもできず心身ともに追い詰められていった。だが、贅沢に慣れた暮らしをやめられないまま散財して過ごし、ついに貯金まで尽きた。
そうしたら、もう一つのできる仕事をするしかなかった。
自称:魔女は飼い猫が集めてきたご近所の噂話を聞き、借りていた家のお隣が裕福な魔法使いであり、出張で留守がちなことを知った。
そしていつものように、窃盗犯として回数をこなしたおかげでもはやプロ並みに洗練された手際で侵入し、証拠を残さず盗みを行ったのだった。